第16話 これじゃなきゃ、私じゃない

 ピーシャが目を開けると、そこは白い空間だった。石柱がどこまでも立ち並んでいる。横になっていた身体を起こし、はっきりしない頭を振る。

「ここ……ゾハル?」

 そばには、はるか頭上へ伸びる計り知れない高さを持つ巨大な石版があった。

「おはよう」

「ソヘイラーちゃん!」

 飛び起きて、友達のもとへ駆け寄る。ソヘイラーは細い手を、巨大な板に当ててなにか作業をしていたようだ。

「ど、どうなったの? 私死んで……あああああ大変だよ私死んじゃったよ!」

「落ち着いて聞いて」

「うん……」

「あなた死んだわ」

「ああああああ! やっぱりいいいいい!」

 頭を抱えるピーシャを見て、ソヘイラーは呆れと安堵の混じった薄笑いを浮かべる。


「でもでも、じゃあソヘイラーちゃんは助かったんだよね」

「だから落ち着きなさい。二人がかりでも勝てなかったのに、私だけでミュティアをどうにかできるはずないでしょう」

「そんな! 私は、間違えたの……?」

「あなたの信義に従ったのでしょう。そこに是も非もないわよ」

「助けられなかったんじゃ意味ないよ……」

「私の命が少しでも永らえたのだから、十分価値はあるわ。あなたがくれた時間でミュティアと話したの」

「そう言ってくれるとちょっと楽だけど……意外かも。ミュティアさん話聞いてくれたんだ」

「あなたを殺したショックで少し弱っていたように見えたわよ?」

「それなら殺さないでほしかったよぉ」

「逆に言えば、少ししか弱ってないのよ。命を奪っても、自分の命を懸けてでも、秩序の守護者としての生き方を曲げるつもりはないと」

「ミュティアさんらしいね」

「あなたの母のことも聞いたわ」

「……あはは。かっこ悪いとこ知られちゃったな」

 ソヘイラーは口元を固く結び、じっとピーシャを見つめる。その目は、鋭くとがりピーシャがこれまで見たことのない感情を宿しているように見えた。

「違うかったらごめんね? なんか怒ってる?」

「あなたから見ても怒ってるように見えるのね。そう……やはりこれが怒りなのね。苛立ちを感じたことは多かったけれど、人に向けた怒りを自覚したのは初めてだわ。ふふふ。よかったわね?」

「全然よくないよ! 目! 目笑ってなくて恐いから!」

 凄むソヘイラーから一歩引いて、ピーシャは手をわたわたと動かす。

「えっと、え~っと……ごめん。心当たりがなくて、ごめん」


「わかれというほうが無理だわ。あなたの根本的なところ、行動原理に関わるのだから」

「……??」

「あなたは母親を救おうとして救えなかった。その後悔に突き動かされて、一人前の魔法使いを目指している。ここまではいいわね」

「そんなつもりは! 私はただ……魔法で助けられる人がいるならって」

「ここを認めないの? 別に、この点について怒ってるのではないのよ。辛いことはあったけど、前に進もうとするあなたを誰も責めたりしないわ」

 ソヘイラーの言葉に嘘はないだろう。でも、けれど、過去にするには鮮烈すぎる痛みに触れられ、すぅっと冷たいままに感情が沸騰した。

「お母さんを助けられなかった! いつも通ってた橋が洪水でなくなってた時の気持ちがわかるの!? 昨日、空を飛ぶ魔法はないのかって聞いたよね? その時私がどんな気持ちだったかわかる? あの嵐の日、あふれる川の前で空を飛べたらって思った私の気持ちが! 私の本当の願いは空を飛ぶ魔法を使えるようになること……誰にも言ってないし、知るはずがないんだよ。勝手なこと言わないで」

 気づけば溢れていた涙を乱暴にぬぐって顔をそむける。

「怒らせるつもりはなかったのよ」

「……うん」

「でも解せないわね」

「自分を可哀想扱いする気はないってことだよ。私は立派な魔法使いにならなきゃいけないの」

「人を助ける魔法使い。空を飛び、嵐も洪水も物ともしないような」

「そう」

「だったらなぜ、死の間際によかったなんて口走ったの。志半ばで倒れたのだから、悔しいと言うべきじゃなかったの? もしくは……言える筋ではないけれど、私を見捨てるべきだとは思わなかったの?」

「そんなのするはずないよ!」

「ミュティアならそうしたでしょうね」

「あの人は突き詰めちゃてるから。私はただ人助けができればそれでいい」

「それは命を懸けることなの? ミュティアは他を殺し自分も捨てる覚悟があった。あなたは、とっさの行動で私をかばっただけでしょう」

「そっ、そうだよ。でも悪いことじゃ――」

「悪い!」

 ソヘイラーの、これまで聞いたことのない大声に身がすくむが、次の一言に視界が白むほどの衝撃を受けた。

「命を粗末にして! 母を助けそこねた自分を罰したいだけでしょう! そんなことに巻き込まれた私はなんなの!?」

「…………怒るよ」

「怒ってるのはこちらよ」


 二人の視線が烈火となり激突する。しばしの睨み合いのあと、視線をそらしたのはソヘイラーだった。果てしない高さへ続いている石板を見上げる。

「このゾハルには、あらゆる世界のあらゆる事象が記録されているの。昨晩、アクセスした時に作っておいたバックドアを利用して、私たちの主観からすれば時間を巻き戻したような動きをしたわ。もうバックドアは修正されたし、こんな奇跡は二度とない。でも一度だけ、いまなら選べるわ」

 ソヘイラーの美しい瞳が審判者の厳粛さで、戸惑うピーシャを捉えた。

「あなたの母が生きている世界へ行ける。過去に戻ってやり直せるわ」

「……本当に?」

「やり直せるだけで、救えるとは言い切れないわ。でも可能性なら与えてあげられる」

「じゃあ…‥え、待って。ソヘイラーちゃんはどうなるの? もしお母さんを助けたら、きっと魔法学園に行かないよ。看病もあるし、村から出ない……誰がソヘイラーちゃんを召喚するの?」

「ふふふ。そこは気にするのね」

「だって! これもしかして、どっちかしか助けられないの……?」

「そういう二択ではないわ。あえて言うなら、生き方」

「い、生き方ぁ? いやいやそんな大変で壮大な話なの」


「例えば、母の病気が治り、かつ、学園に入って私を召喚して、ミュティアとも敵対せず平和に日々を過ごす――そんな可能性を求めてゾハルの中を探ってもいいわ。ただあなたの主観としては、すべての問題が解決している状況に放り込まれた印象になるでしょうね。それを良しとするか、どうか」

 ピーシャは呆然と巨大な板を見上げる。少女二人の視線を受けても、世界の記録はただ沈黙している。大理石めいた表面に浮かんでは消える文字のような記号のようなものからは、なにも読み取れない。

「ソヘイラーちゃんはどうして戻らなかったの? もとの世界のお母さんのところに居た時は幸せだったって言ってたじゃない」

「マスターは私に『生きなさい』と言ったわ。過去の世界に行ったところで、私の記憶までは消えない。身体を望んだ私はもう、過去の私とは違う。あの幸せには戻れないのよ」

 ソヘイラーは胸の痛みを鎮めるように、そっと目を伏せた。

「ごめん、考えなしで……」

「マスターは多少不便はしていても、有能な人だったからきっと上手くやっているわ。私はこれでいいの。あなたはよく考えて」

「もし、私が戻るって言ったらソヘイラーちゃんはどうなるの?」

「私の肉体が存在する可能性はゾハルに刻まれているわ。そういう世界を探すわよ」

「その場合の私は」

「いなくなりはしないわ。そうね……今朝からやり直したとして、ミュティアの問題も解決したと仮定しましょう。私の主観からすれば昨晩、その続きのままのあなたがいる。起きた時に、今度こそ私はそばにいるわ。寝ぼけた顔でふにゃふにゃ笑うくらいは想像つくわね。その朝のあなたは、なんの疑問もなくこの私を受け入れる」

「私じゃない私が……」

「すべての事象というのはそういう意味よ。無限に限りなく近い可能性がここにはあるわ」

 小さな手が板をコンコンと叩く。虚ろな音は広大な空間に拡散し飲まれていった。

「なんで全部教えて、私に選ばせてくれるの。ソヘイラーちゃんの目的のためならこの私を、一番記憶を共有してる時間が長いこの私といっしょにいるほうがなにかと便利でしょ。別の私に、ミュティアさんが危険なんて言ったって信じないよ」

「妙なところは鋭いのね」

 ソヘイラーは嬉しいような、あるいは憎たらしいような、奇妙で曖昧な笑みを見せた。


「ひとつは私が怒っているから。自分の命を粗末に扱うあなたに選択肢を与えて、悩むところを見たかった」

「あのねぇ……!」

「もうひとつは、お友達として、救済の機会をあげたかった。いまの心情や行動がどうであれ、あなたが苦しんでいるのは事実。その苦しみを取り除ける可能性があるのだから」

「そんなに私のこと考えてくれて……」

「ええ。大嫌いな友達よ」

「ヘンなのっ!」

 小さく笑いあったあと、ピーシャはぐっと拳を握った。

「決めたよ。ソヘイラーちゃんを助ける」

「それは答えではないわ」

「ええぇぇ。いまいいところだったよね!? 感動して抱きついてもいいんだよ!?」

「まさか」

「……そのわりには口がにやけてるけど」

 ソヘイラーはあくまで落ち着き払った所作で口元を隠すと、軽く咳払いした。

「私は生き方を問うたのよ。これまでの続きを許容するつもりはないわ」

「もう! どうすればいいの!」

「母のことはいいの?」

「ソヘイラーちゃんの言う通りだって思ってね。過去に戻ってうまく助けたとしても、私はたぶん幸せになれない。あの嵐の日からいままでの経験全部なかったことに、なんて割り切れないよ」

「消極的な答えね。聞きたかったものではないわ」

「私普通の人だよ? ミュティアさんみたいにぶっ飛んでないんだってば」

「生きるとはなにか、とミュティアに尋ねたら信義に殉じることだと即答したわ」

「さすがミュティアさん。私は……」

 答えを探していると、ソヘイラーが手助けするようにそっと言う。

「私は、ただ生命活動を続けられればいいと思っていたけれど、ミュティアの答えやあなたの行動を見て考えが変わったの」

「へえ! どうなったの」

「あなたが答えたら、教えてあげるわ」

「もったいぶらないでよー!」

「そういうのじゃないわ。私の意見を聞かないで考えた、あなたの答えに興味があるの」

「む~~」

 ピーシャがほっぺたを膨らませても、ソヘイラーは思わせぶりに笑うだけでそれ以上口を開こうとしなかった。


 軽く息を吐き、ピーシャも顔をほころばせる。弱いところを知られて、遠慮ない言葉をぶつけ合って、ソヘイラーとまた近くなれた気がした。緊張もかっこつけもなく、自然な思いを言葉に乗せる。

「生きるとは、魔法使いになって人を助けることじゃなくて、人を助ける時にためらわないこと、かな。これじゃなきゃ、私じゃない」

「ためらわないこと?」

「洪水で橋がなくなってるの見た時、あ、無理だっ……て思っちゃったの」

「当たり前でしょう。魔法使いでもないただの女の子に氾濫した川を渡れるはずがない」

「そういう判断の前に、踏み出す勇気を持とうともしなかった。心に残ってるのはお母さんを助けられなかった後悔じゃないの。自分が最低の奴だって気づいた絶望。お母さんの命を救っても、私は救われないんだ」

「そういう心境だからゴブリンの群れとも戦うし、衝動的に私をかばった」

「そう……なるね。自分でも本当に命がけて動けたのはちょっとビックリだけど」

「栓のない後悔ではなく、あなたの生き方に巻き込まれたのなら悪い気はしないわね。ふふふ」

「ねえ、私ちゃんと答えたよ。ソヘイラーちゃんの考えてることも教えて」

「実はもう言ってるわ」

「ええっ、なにそれ!」

「生きるとは本来的に、取り返しのつかない、一回性の中に自身を印すこと。時間移動は奇跡であると同時に、とんでもないズルなのよ。主観的には死者蘇生めいた行いをすることになる。命の価値を貶めかねない、私の倫理に反するものだわ。けれど、信義を曲げてまであなたに選択肢を与えてるのよ。自明でしょう」

 ピーシャはしばらく考え、どんどん熱くなる顔をうつむけ、上目遣いにソヘイラーを見る。

「それって……」

「もっとあなたで遊びたい」

「ちょおおおおお!? 『で』って言った? せめて『と』にしてくれないかなあ!」

「あらあら、やり取りが昨日と同じね? つまらないことしか言えないならやっぱりあなたは――」

「ごめんなさいごめんなさいソヘイラーちゃん様に尽くしますから!」

 ソヘイラーの美しい顔が、邪悪な薄笑いに歪む。

「言ったわね? ふふふ。あなたとってもおもしろいんだもの、一生使って遊び尽くしてあげるわ」

「ひぃぃぃ!」

「だから、まずは私がまともに生きられるよう手伝いなさい」

 ソヘイラーの傲然と輝く目に、ピーシャは笑顔で答える。

「うん! そうこなくっちゃ!」

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