第17話 それはもう私じゃないから
「そちらの世界はあなたのほうが詳しいわ。アイデアはあるかしら」
「ミュティアさんを説得する! 一緒にお願いすればきっと聞いてくれるよ!」
「あぁ……なるほどね?」
ソヘイラーは、嘲りと感心が同時に来た結果、納得したような奇妙な表情を浮かべた。
「……? なにがなるほど?」
「そんなことより、可能かしら。とても人の話を聞くタイプとは思えないのだけれど」
「う~~~~ん……そうかも……じゃあ、店の奥にある天秤を隠しておく。あれが傾いたからソヘイラーちゃんが召喚されたって気づかれたんだよ」
「仮にミュティアをごまかしたとしても、あなたたちの口ぶりを鑑みると銀の天秤教団は学園周辺だけの組織ではないのでしょう?」
「あ~~~。遠くの支部の人に見つかるかもってことか。教団の支部は大陸中に広がってるんだよ。天秤隠し作戦は難しいなぁ」
「大陸という概念を持っているのね。国は?」
「おっきいのかいくつかと、ちっさいのがたくさんあるよ。私が住んでるのはおっきいほうのアクストリグって国」
「他の国でも教団は同じように、宗教兼、治安維持組織として働いている?」
「詳しいことは知らないけど、だいたいそうなるね」
「国をまたいで警察権を掌握する組織……敵に回したくないわね」
「ウチの村の近くにある支部にも、ムキムキで強そうなおじさんいたなあ」
「逆に考えましょう」
「逆に?」
ソヘイラーがくるりと手首を回すと、つられたようにピーシャが首を傾ける。
「その天秤が感知しているなにか――召喚魔法の特徴のようなものを解析して、私が出現する時に打ち消せばいいのよ」
「それ、魔法の構成いじるってことだよね。できるの?」
魔法使いじゃないのに? と言外に語るピーシャはさすがに訝しげな顔だ。
「何度も魔法を見てやっとわかったのよ。魔法は世界を改変するプログラムで、そのコンパイラーをあなたたちは精霊と呼んでいるの。実際の処理を行っているのはこのゾハルよ」
「???」
「と言ってもわからないわね。できるとだけ思っていて」
「気になるよー! 魔法のことだもん。ちゃんと教えてよ」
「そうね……あなたたちは精霊さんにお願いして、精霊さんが魔法を使わせてくれてると考えてるわね。でもその精霊さんが本当にやってることは、人間の言葉を翻訳して、このゾハルに届けることなの。そして、魔法という世界改変の奇跡を実行しているのは、神であるこのゾハルよ」
「そうなの!? 凄いよ、大発見だよ! 夏休みの自由研究はこれでいけるっ」
「ゾハルの存在証明の困難さ、精霊の性質の解明がどれだけ大変がすぐわからない人に、手を出せる研究じゃないわよ?」
「……うぐぐ」
「ふふふ。私はゾハルの言葉が直感的にわかる。ここでなら、魔法の改変も可能よ」
「ソヘイラーちゃんがそう言うなら信じるよ。こっそり召喚作戦だね」
「それでいきましょう。少し時間がかかるわ、あなたは休んでいて」
は~い、とピーシャは白い床に座り込んだ。ゾハルに手を当て集中しているソヘイラーをぼんやりと眺める。
「今度こそうまくいくよね」
「急に弱気ね? どうしたの」
「こんなおっきな失敗したの、人生で二回目だからさ。お母さんは助けられなかったし、今回も大事なところソヘイラーちゃん任せにしてるし……」
「あなた本当になんと言うか……めんどくさい人ね」
「めんどくさい!?」
ショックを受けるピーシャに、ソヘイラーの愉しげな目線が刺さる。
「でもそこがおもしろい」
「私の事、オモチャかなにかだと思ってませんか」
「もちろん、大事なお友達よ。友達の定義についての議論がしたいなら付き合うけれど」
「遠慮しておきます……」
「この空間の外、集合的無意識の海を私はさまよっていたのよ。いわゆる人間の闇をたくさん覗いてきたわ。でもそれはあまりにもむき出しの欲望のままで、おもしろいものではないのよ。あなたの場合なら、人々を助けたいという欲望かしら」
「そうなるのかな。自分で自分の深いところを語るのっておかしい気もするけど」
「私はね、人間の深部と本質は別種の観念だと考えているの」
「また難しいこと言い出した……」
「待ち時間が退屈なのでしょう。これからあなたをほめてあげるから聞きなさい」
「う~~聞く」
ピーシャは、ぺたぺたと四つん這いでソヘイラーに寄る。
「人の願いは、大雑把な言えばそれほど種類はないの。名声、金銭、性愛などね。あなたは名声に似ているけれど少し違う性質ね」
「ほめられるために人助けしたいんじゃないよ。ほめてくれるなら受け取るけど」
「人は群れを作り暮らす社会的生物。ひとりひとりが勝手に願いを叶えては社会が回らない。だから社会的生存、ひいては自己の保存のためにぐちゃぐちゃの内面を肉体という籠にしまいこんでいるのね。でも完全に封じ込めることもまた毒。人はその欲望を、じわりと表出させている。その表出の仕方に人間の本質が宿ると考えてるの」
「短く! わかりやすくして!」
「……お金持ちになりたい人がいるとします」
「うん」
「コツコツ働いてお金を貯めるのか、事業を起こして儲けを狙うか、あるいは賊にでもなるのか。願いは同じでもやり方はそれぞれ。その『それぞれ』こそ人の本質よ」
「は~、おもしろいね」
「そうでもないわ。いま出した例はとてもわかりやすかったでしょう。でもそうね……お金持ちになりたいと願いながら毎日石を拾う、なんて道理が通らないでしょう。でもその人にとってはそれが真実だとする。そういう歪みを私はおもしろいと感じるの」
「珍しい魔法の触媒を探してる人かもしれないよ? そういうのって高く売れるし」
「……そちらの世界ではそんな可能性もあるのね。適切な例ではなかったわ」
「ちょっと待ってソヘイラーちゃん。歪みって言った? 私のこと、本当にどう思ってるの」
ソヘイラーは真摯に真剣な目で友を見ている。
「人を助ける時にためらわないこと、それは結構だわ。でも、あなたの本当の願いは人助けじゃない。自分で自分を救済すること、それが人助けという形で表れているにすぎない」
「そんなっ……」
「過去に戻ることは割り切れないとしても、現在のあなたと接触しているこの私の、確実に生存する可能性を摘み取とろうとしている。私たちは別の世界にそれぞれ行けると教えたのに、あなたは当然のようにこの私を、自分と同じ世界に連れて行こうとした。自己救済の願望は歪み、暴走しているのよ」
「ちっ……ちが……」
ピーシャは四つん這いの姿勢から助けを求めるように手を伸ばすが、ソヘイラーは手を握り返さない。力の抜けた手が地に落ちる。
「怒っているのでも責めているのでもないわ。ほめているのよ。あなたのねじくれてめんどくさいところ、優しくて残酷なところ、それに――きゃっ」
ピーシャは地に爪を立てて力を込めると飛び起き、ソヘイラーを強く抱きしめた。愛しさや感謝や守りたい気持ちが伝わるように、怒りや悔しさや恐怖を感じてもらえるように、強く。
「言わないで。ソヘイラーちゃんのために動きたくなっちゃうから。それはもう私じゃないから」
「ふふふ! ひどいお友達もあったものね!」
「ソヘイラーちゃん嫌い。試すようなことばっかり言う」
「優しさよ、優しさ」
「わかってるよ……自分の本当の気持ちを知ったり、きっとこれでいいんだろうなって思えたりするから、余計嫌い」
「ああ、めんどくさい!」
「どっちが!」
顔を見合わせて笑い合う。
「私最低の奴なんだからねっ。うん、なにも違いません。自分勝手な欲望のためにソヘイラーちゃんを利用します! 是非巻き込まれてください! でもでも損はさせません!」
「その言葉が聞きたかったわ」
「んっ!? もしかして言わされた?」
「どうかしら」
ソヘイラーはゾハルから手を離し、ピーシャの腰に腕を回しもたれるように抱きつく。
胸の谷間に埋まった小さな顔を上げ、可憐な唇がそっとささやいた。
「ピーシャ」
「!? 私の名前、呼んでくれたの初めてじゃない?」
「いつまでも代替可能な指示語で呼ぶのもつまらないでしょう」
「も~ビックリした~」
抱きついたままだと、跳ねる心臓の音もきっと伝わっているだろう。でも離れたくなかった。
「たまになら呼んであげるわ」
「え~~もっと呼んでよー」
「いいわよ? あなたが寝たあととかに」
「ビックリする上に迷惑だね!?」
「さあ、もう少しで魔法の改良が済むから離して」
「もう少しならこのままでいいでしょー」
ソヘイラーがゾハルへと向き直っても、ピーシャはくっついたままぐりぐりと身体をこすりつける。
「興味深い論理ね。それに免じて邪魔をしないなら許しましょう。ほら、後ろに回って」
ソヘイラーとゾハルの間に割り込まないように、抱きついたままずれる。
「重い……寄りかかっていいとは言ってないわ」
「ソヘイラーちゃんがちっちゃいんだよー」
「今だけかもしれないわよ。身体は成長するのだから」
「かもしれないの? 自分で身体作ったんだからそのあたりも思い通りでしょ」
「わからないようにしたのよ。あえてね。生きるとはカオスである世界のコントロール範囲を制御していくゲームであるとも言えるわ。不確定要素こそが肝要なのよ」
「んっと、わかんないところがあるほうが楽しいってことだね」
「そうそう」
「ソヘイラーちゃん、生きてますね~生きてるって感じがビリビリしますよ~」
「自分で身体を好きに作れるのだから、ただ生存だけを望むなら不老不死を試してもよかったのよ。もとの世界ではバイオ関連の情報も収集していたから、テロメアの……ってこれは話しても仕方ないわね。とにかく、そんな身体で生きてると言えるかしら」
「わからないところが、ぐっと減っちゃうってことだよね」
「生まれていきなりミュティアに殺されることはもうないにしても、事故や病気の可能性は常にあるわね。普段の生活の中で死を意識することはないにしても、それは忘れているだけであって、死の可能性がなくなってはいない。そのささやかな緊張感も生きるためには重要なはずよ」
「取り返しのつかない自分の命がかかってるから、感じられることも在ると思う」
「あなたの場合は特にね?」
「死んじゃったら失敗だよ。ソヘイラーちゃんを助けたつもりだったけど、自分がなんでそうしたのはさっきわかったし、助けた本人は怒ってるし。たまたまソヘイラーちゃんが機会くれたけど普通はそのまま死んで……あ! そうだ!」
急に力が入ったせいで、腕の中のソヘイラーが「きゅぅぅ」と奇妙な鳴き声を上げた。さすがに抱きつくのを止めてピーシャは飛び退く。
「あわわ、ごめん」
「けほっ……死ぬかと思った、と言えばいいのかしらね」
「それは大げさだよー」
能天気な友人へ、振り返ったソヘイラーは片頬引きつらせて笑っていた。
「やはり身体を大きくするよう調整したくなってきたわね」
「……予想つくけど、一応理由を聞きたいな」
「あなたを締め上げて窒息させて――」
「うぅ」
「解放して、希望をもたせたところでまた締めるのをひたすら繰り返す」
「予想以上の残酷さ!」
「ふふふ。将来の楽しみができたわ」
「将来ソヘイラーちゃんに殺される気がしてきた……」
「それで? なにか言いかけたでしょう」
「えぇ~この流れで言いたくないんだけど」
無言のまま、ソヘイラーの宝石めいて輝く瞳の温度がすぅっと下がる。
「ひぃっ、いや、その、ありがとうって。色々あったけど生き返らせてもらったようなもんだし」
「そんなこと。元を正せば、私が独力でミュティアに対処したのが間違いだったのよ。剣筋を見切ったつもりで慢心したか、身体ができて浮かれていたか、あなたとの朝を邪魔されて腹が立ったか……全部正解でしょう。それにあの時、あなたが白刃取りしたあとミュティアの剣が火を吹いた時」
「あれは本当に怖かったよぉ!」
「初めての感覚だったけれどあれがきっと、頭に血が上るというものね。落ち着いてあなたが回復する時間を稼げばよかったのに、自分を制御できなかった。あなたが自滅的な行動を取ったのは予想外だったけれど、私のほうにも落ち度はあったわ」
ピーシャは、ぽかんと口を開けまじまじとソヘイラーを見る。
「どうかした?」
「あの時そんなに怒ってたんだ。ソヘイラーちゃんが我を忘れるなんて……」
「だからお礼を言われる筋合いはないわ」
「違うよ! そこまで私のこと考えてくれてたんだもん! だから、ありがとう」
「だってお友達が傷つけられたら怒るのは当たり前でしょう」
「でもありがとうって言いたい。ソヘイラーちゃんの油断はそうかな~って思うし、私もうまく戦えた自信ないから、それはおあいこにしとこ。でも私のことで怒ってくれたのは嬉しい」
「そうなると、私が初めて怒りを覚えた相手はミュティアになってしまうわね?」
「そこはミュティアさんに譲っとくから」
「いえいえ。自覚的に怒りを向けたのはピーシャが初めてだから安心して」
「だからいらないってばー!」
「ふふふ。これからもたくさん、私の初めてあげるわね」
「言い方! おかしいでしょ!」
「さあ、遊んでいる間に魔法の改良が終わったわ」
笑みを消したソヘイラーが、ゾハルから手を離す。
「本当に、いいのね?」
なにが、とはソヘイラーは言わなかった。無限に近い選択肢は、なに、と言い表せるものはなく、ソヘイラーの表情もまた混沌した想いをいつもの冷静さで押さえつけたような難しいものだった。
だからピーシャは、口を横ににぃっと広げ力強く笑う。もう迷いはない。
「ソヘイラーちゃんが身体を持った朝から、もっかいやろう」
ソヘイラーも難しい顔を消し、力の抜けた気持ちのいい微笑みを見せた。
「もう一度。生きるために」
「生きるためにっ」
ソヘイラーは片方の手でピーシャの手を握り、もう一方をゾハルへと押し当てた。巨大な石板が白光を発し、瞬く間に二人を包んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます