第15話 魔法使いになれたよ

「勝った……?」

「ピーシャ、お前……精霊を……しかも呪文も触媒もなしか」

 気絶させるぐらいの手応えはあったにもかかわらず、ミュティアは立ち上がる。ばさりと払った教団のマントから土ぼこりが落ちた。上質のマントがかなり衝撃を和らげたらしい。

「オクルリッジ……覚えがないな」

「ミュティアさんでも知らないんだ。かなり珍しい精霊なのかな」

「なんだお前、なんの精霊か知らんまま使っているのか」

「えへへ……」

「危険なのは変わりはない。これは本気どころか奥義の出番か」


 口に溜まった血を吐き捨てたミュティアは、マントから金属の欠片のようなものを取り出す。

「もうやめてください! その身体じゃ……!」

「舐めるな。秩序の守護者はこの程度では倒れん」

「やりましょう。決着をつけなければ意味がないわ」

 ペンタチュークを握り直すソヘイラーに並び、ピーシャも唇をぐっと噛んで拳を構えた。

「まだ勝てるつもりか。その思い違い、焼き尽くしてやろう」

「オクルリッジ!」

 もうこちらの手の内は全部見せている。その上で相手にまだ奥義があるのなら、使わせる前に終わらせるしかない。

 転移したピーシャが拳を振り抜くが、ミュティアの魔法発動のほうが速かった。触媒を握り潰し叫ぶ。

「サラマンダーゴースト!」

 爆風。

 直撃を受けたピーシャはもんどり打って転がる。ソヘイラーに助け起こされると、ミュティアの周辺の大地が爆風でめくれ上がっていているのが見えた。

 ミュティアの瞳は真紅へと変わり、内部から熱風にあおられているかのようにマントが波打っている。

「その魔法は……」

「一時的に火の精霊を宿し、自在に炎を操る」

 ミュティアが伸ばした左手から、触媒も呪文も、精霊への呼びかけすらなく無造作に炎が撃ち出された。ソヘイラーが斬り捨てるが、その美しい顔を険しい表情がかげらせていた。

「わかるな? 勝利も生存も諦めろ」

「私に諦めるという選択肢はないわ。なにがあろうと、死力を尽くし生き延びる」

「いいだろう。結果は変わらんがな」


 ミュティアが掲げた左手を、ぐっと握りしめた。

 ピーシャの脳裏を直観が打つ。いや――直観という解釈の余地ある言葉ではなく、これこそが魔法の感覚だと理解した。オクルリッジと繋がりを持つことで、ついに体得できた。

 だが、この感覚の告げた未来は最悪だった。ソヘイラーを突き飛ばし、ピーシャも横に跳ねて逃げる。直後、二人が直前までいた地点から爆炎が広がる。

 腕を交差させて急所は守るが、回り込んだ熱い風を吸ってしまい肺が焼ける。

「くっ……ソヘイラーちゃん! 止まったら死ぬ!」

 ピーシャは水気の飛んだ喉から警告を絞り出すと、自身も走り始める。走る二人の影を焼くように次々と火柱が噴き上がり、乾いた大地は熱い土塊となって弾け飛ぶ。

「一旦退きましょう。あれだけ強力なら長くは続かないはず。あなたの魔法で距離を稼いで」

「さんせーい!」

 寄ってきたソヘイラーが手を伸ばしたところで、二人揃って手を引っ込めた。熱波巻く中、寒々とした剣光が抜ける。あのまま手を繋いでいたら二人とも手が落ちていた。

「読めている」

 ミュティアは剣を翻しピーシャの脇腹を引き裂きつつ、ソヘイラーを爆炎で吹き飛ばす。よろめくピーシャへ、高速の追撃を重ね追い詰めていく。

 ピーシャは、ミュティアの手元を注視して予測回避し続けるが、それだけで精一杯だ。

「オクルリッジ! ……あれっ」

 とにかく逃げようと精霊の名を叫ぶが、なにも起こらない。首の薄皮を裂いていく刃の感触を味わったところで、立て直したソヘイラーが爆炎ごと断ち割る強引な一撃でミュティアを追い払った。

「た、助かった……」

「その魔法、まだ使いこなせてはいないのね」

「便利に移動する魔法じゃないみたい」


 ソヘイラーは首を振って黒髪から汗の滴を飛ばし、ピーシャもブラウスの裾を扇いで熱の溜まる胸の下へ空気を送る。連発される火の魔法のせいでとにかく暑かった。

「私が引きつけて、ソヘイラーちゃんが炎ごと斬るのいけそうじゃない」

「逃してくれない以上、分の悪い賭けに出るしかなさそうね」

「そうでもないよ。だいぶ剣筋見えてきたし」

 にゅふふと笑うピーシャに、ソヘイラーが目を丸くしている。だが口を開くより早く、火柱が作戦会議の余裕など与えないと炸裂する。

「道は作るわ」

 火柱を斬り捨てソヘイラーが突進。その後ろにピーシャも続く。灼熱地獄を駆け抜け、ミュティアの剣の間合いに入る直前でソヘイラーは右へと跳ねる。

 逆にピーシャは身体を左へ傾け、誘導された視線の反対側から攻め込むが、ミュティアは超反応で拳を回避。淀みなく反撃を繰り出してくる。

 ピーシャは極限まで高めた集中と、魔力で強化された視力と身体能力で、音すら置き去りにする速度の刃をさばいていく。

 ミュティアは、ピーシャの回避精度が上がってきたことに気づいたはずだ。おもむろに、左手を上げると火球を発射した。

 火球はたやすく避けられる威力しかない。だったらそれは避けさせるための攻撃だ。ここで動けば、致命的な一撃が飛んでくると確信する。

「るああああああ!」

 ピーシャは覚悟を固め、火球に向かって拳を打ち出す。拳風が炎を砕くが、飛び散った火に身体中を焼かれる。

 さすがにこれはミュティアも驚いたか一瞬動きが鈍る。機を逃さず回り込んだソヘイラーが大剣を振りかぶる。盾代わりの炎を破り、ミュティアを斬り裂く直前、

「舐めるなぁ!」

 生まれた爆風はミュティアの腹の前だった。秩序の守護者は教団のマントを大きく広げると、帆の要領で爆風を受けて急速後退。浮いた両脚を地にこすりつけ急制動をかけると、血反吐を吐きながら鋭く踏み込み、空振ったため無防備な姿を晒すソヘイラーに、殺意のこもった剣を振り下ろす。


「そこだっ!」

 ピーシャが飛び込み雷蛇のごとく腕をしならせると、空気の破裂する音が焦土に響いた。ソヘイラーの首を落とすはずの刃は、ピーシャの両手が止めていた。

「白刃取りとはな」

「見切りましたよ!」

「お前の運動能力や度胸は褒めてやってもいい。だが、魔法使いとしては未熟だ」

 ミュティアが残酷に告げると、受け止めた刀身が炎に包まれた。瞬時に焼けた手を抱えてピーシャが悶え転がる。

「よくもっ……!」

 ソヘイラーは、人形のように整った容貌を憤怒の形相に変えて斬りかかる。ペンタチュークに炎の剣は通じず数合打ち合って鎮火するが、怒りで乱れた剣筋ではミュティアの相手にならなかった。

 甲高い音に、うずくまっていたピーシャは顔を上げる。弾き飛ばされ高く舞うペンタチュークを、ソヘイラーが呆然と見ていた。大剣が地に落ちる時、ミュティアの引き絞った腕から放たれる刺突が、生を願った少女の喉を破るだろう。

 ――いま、いま使えなきゃ意味がない。

 ピーシャは、大切な友達へ痛む手を伸ばし叫ぶ。

「オクルリッジィ!」

 転移。ソヘイラーを突き飛ばした。そして胸から。熱さと冷たさが同時に広がっていく。

 ピーシャの口から血塊がこぼれ、胸を貫通した剣に降りかかった。

「……バカなことを」

 ミュティアの口から悲哀にすり潰されたようなつぶやきが漏れる。

「私は……間違って、ない」

 血の気を失った顔でなおピーシャは力強く言い切った。

 ミュティアが嘆息し剣を引き抜くと、どさりとピーシャの身体が倒れた。仰向けになった身体から溢れる赤い血が、乾いた大地に染みていく。


 表情の抜け落ちたソヘイラーが、よろよろと倒れた友達に寄り身体を抱える。

「ソヘイラーちゃん……よかった……」

「よくないわよ」

「上手くやれた……私、魔法使いになれたよ……」

「……」

「大事な、人を、助ける魔法……」

「そうね。あなたのおかげで生きてるわ」

 ピーシャは微笑みながら息を吐き、吸い込むことはなかった。 

 もう動くことのない身体を横たえ、ソヘイラーは立ち上がる。ワンピースの裾から落ちる血の滴が、大地を濡らした。

「蘇生魔法はあるのかしら」

「ないな」

「そう……ひとつ、いいかしら」

「命乞い以外なら聞こう」

「なら真剣に答えなさい。あなたにとって、生きるとはなに?」

「なんだと?」

 ミュティアは胡乱げな顔になるが、友の亡骸を横にした少女の目は、怒りも悲しみも超越した奇妙に凪いだ目をしていた。深遠なる星空を封じ込めたような目は、一切のごまかしを許さないと語っている。

「生きるとは、信義に殉じることだ。いまだから言うが、ピーシャは不器用な分、可愛く思っていた。だからこんなことに巻き込んだお前が憎い。殺したいほどにな……だが私情とは切り離して信義と責務のもと、世界の異物を排除する。そしてアタシはこれからも秩序の守護者として戦い続ける」

「それは、大事なことなの」

「世界は放っておくとすぐぐちゃぐちゃになる。一本筋を通さなければならないが、誰にでもできることではない。なにを置いても、アタシがやるべきなんだ」

 鍛えた鋼のような声でミュティアは静かに答えた。

「ただ生きること……心臓を止めないことに価値があると思ってたわ。でもあなたは命よりも大事なことがあるように見える。この可哀想な私の友達は、死ぬとわかっていて私を助けた。自分の命よりも私を優先した……! なぜ!」


 ミュティアは少しだけ迷ってから、口を開いた。

「冥土の土産に聞け。ピーシャは、母親が死んだのは自分のせいだと思っている」

「なんの話……?」

「聞け。こいつの母親は病気がちだったが薬があれば抑えられるものだった。だがある日発作が起きて、薬が足りなくなった。ピーシャは医者のもとへ走ったが、折り悪くその日は嵐だったそうだ。洪水で橋が流されてなにもできずに引き返したらしい。家に帰ると、母親は息を引き取っていた」

「そんなの、この子のせいじゃないわ」

「理屈ではそうだ。運が悪かったとしか言えない。だが、その場に置かれた人間にとってはそう考えられない……ものらしい。アタシにもわからん。言えるのは、こいつの一人前になりたいという思いは、まぁ執念のようなものがあった。ヘラヘラしながらしゃべっていたがな、絶望を知ってなおあがく人間の顔だった」

 血色を失ったピーシャの顔は微笑み、満足気なようにも見えた。

「ふざけないで……! 私は! 私は……!」

「しゃべりすぎたか。お前のことは憎いが、埋葬はしてやろう。こいつが命を懸けたいと思ったほどの友人なんだろう」

「私にも命より大事なものができたわ……!」

 崇高な心を語るソヘイラーはしかし、とてもその言葉に似つかわしくない激発した表情をしている。

 ソヘイラーは天を掴むように高く手を掲げた。

「アクセス、ゾハル!」

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