第14話 それを言ってはおもしろくないわ
ミュティアがわずかに切っ先を上げ、その先は――見えるはずがない。
身をひねったピーシャの肩口から血がしぶく。ほんのわずかでも動きが遅ければ、腕が落ちていただろう。魔力で強化した身体能力があっても、一撃でやられないようにするのがやっとだ。
ミュティアの剣が返り、飛燕の速度で疾走。飛び退いたピーシャに入れ替わり、ソヘイラーが豪快にペンタチュークを振り下ろした。
そこからソヘイラーは斬り上げ、斬り下ろし、急停止させた切っ先を軸に踊るようなステップで回り込みながらの撫で斬りを披露するも、女剣士はそつなく受け流し、瞬速の反撃。これは、ソヘイラーの軽やかな動きがかわす。
ピーシャが到着するまでに、何度も打ち合っていたのだろう。すでに互いの技を把握し、膠着状態に陥っている感じだ。ならば、そこに格闘術が入ることでミュティアを崩せるはずだ。
ピーシャは身を小さくして飛び込み、超級の集中力でミュティアの手元を凝視。手首の腱が動いた瞬間、さらに身を屈めてスライディング気味に突っ込むと、すぐ頭上を旋風まとった刃が斬り裂いていった。
どれだけ速くても剣は線での攻撃。動きの始点と終点を読み切れるなら、十分勝機はある。
低い姿勢で溜まった身体のバネを活かし、伸び上がりながら剛拳一撃。目をむくミュティアは後ろへ飛びながら倒れ込んだ。
倒れたミュティアへ、ソヘイラーが躍りかかる。が、ミュティアは下草ごと土をえぐり掴むと大剣使いへ投げつけた。
一瞬だが視界を奪われたソヘイラーは驚き、ペンタチュークはむなしく地を刺す。歴戦の戦士である教団の秩序執行者と、生まれたばかりの少女の経験差が出た形だった。
ミュティアが飛び起きた時にはもうピーシャが拳の間合いに踏み込んでいる。腕を伸ばせば攻撃が届くところまで来て、唐突に頭の中で警報がなった――読まれている。
全力で飛び下がると、眼前を剣光が断ち割る。遅れた前髪が数本舞い、ブラウスのボタンがひとつ、両断されていた。
どっと噴き出した冷や汗が顎を伝って、あらわになった胸に落ちる。冷たい感触は、つぅっと谷間に吸い込まれていった。
「胸が小さいほうがよかったんじゃないかぁ? あぁん?」
「やっぱり八つ当たりで抹殺しようとしてませんか!?」
「ぺっ……けほ。おもしろいやり口もあったものね」
顔を洗うネコのような仕草で泥を落として、ソヘイラーが言う。
「ソヘイラーちゃん、いけそう?」
「平気よ。こうすればいいのでしょう」
ソヘイラーがおもむろにペンタチュークを薙ぐと、そばにある大木に線が入った。線に沿って倒れだした大木は、天空より落ちる巨大な棍棒だ。枝葉を豪快に引きちぎりながら、ミュティアを粉砕しようと迫る。不意は突けただろうが、この程度で倒せる相手ではない。
ソヘイラーは、ちらりとした目線をピーシャに投げかけた。「わかっているわね?」と聞こえてきそうな目だ。わかってしまって、おかしいような嬉しいような気持ちだけど、いまは拳を固める。
ピーシャは腰を回し背中をたわめてから、固めた拳をハンマーにする気持ちで大木に叩きつけた。強靭な繊維質は圧壊するも完全に折れることはなく、上から下へ落ちていた巨大棍棒は水平に薙ぎ払う動きに変化する。
これはミュティアも避けきれない。とっさの反応か左手を突き出しているが、それで巨大質量を止められるはずがない――と考えたところでピーシャは横に跳ねた。危機に気づいていないソヘイラーを引っ張り寄せた瞬間、
「応えろっ、サラマンダー!」
ミュティアの左手に一抱えはある火球が生成され、射出。火球は大木を焼き切り、ソヘイラーのそばを抜けて、後ろの樹木に激突、爆炎を撒き散らした。溶断された大木は、重々しい音を立てて落着し無傷のミュティアが小さく鼻を鳴らした。
「周辺への影響も考慮して魔法は最小限に留めてきたが」
ミュティアはマントに左手を差し入れ、戻ってきた手には赤い石が握られていた。
「あっ、ヤバい……」
ソヘイラーがきょとんとしているのは、まだ魔法の仕組みがよくわかっていないせいだ。
「魔法には呪文と触媒がいるんだよ。でもミュティアさんは、それを省略するぐらい火の魔法が上手い。そんな人があえて触媒を使うってことは……!」
「骨ぐらいは残るだろう」
「他は全部燃やす気じゃないですかー!」
「我が意に従い、焦土を成せ。スピットファイア!」
赤い石は光になって弾け、飛び散った無数の光はそのまま無数の炎の弾丸へと変化した。
ピーシャはソヘイラーの後ろへ滑り込み、ソヘイラーはペンタチュークを構える。もう声を掛け合う必要もない連携だ。
熱波が渦巻き猛獣の唸り声めいた音を轟かせながら、弾丸が飛来する。迎え撃つペンタチュークが一振りされるたびに炎が霧散。ソヘイラーは優雅に華麗に、かつ苛烈にペンタチュークを操り、一閃ことに飛び散る火の粉が鮮やかに舞う。
一方で、広範囲高火力の魔法にさらされた周囲の木々は穴だらけになり、次々と倒れていく。焦げた匂いが漂い、ピーシャは思わず顔をしかめた。
炎の最後の一発を叩き落とし、ソヘイラーが唇を皮肉げに吊り上げる。
「自然は大事に、ね?」
「異物を排除する経費だと思えば安い」
ひとかけらの笑みも浮かべずミュティアは吐き捨て、マントからさらなる触媒を取り出した。
「それっ……! 火吹き虎の牙!」
ミュティアは指の間に挟んだ、灰色がかった細長いもの軽く振って見せる。
「よく覚えていたな、いい学生だ。だったらこの触媒の専用魔法も言ってみろ」
「……フレイムロア」
ピーシャはわななく口でなんとか答える。自分自身に死刑宣告したような気分だった。
「どんな魔法なの?」
「辺り一帯爆発で吹っ飛ぶよ。たぶん、この森ぐらいなら燃えてなくなる……でもソヘイラーちゃんの剣なら!」
「いいや。その剣、要は魔法を斬る魔法だろう。でなければ、あんなに必死にスピットファイアに対処しないはずだ。斬るということは刃に触れること。どれほど剣を振り回しても、全方位から焼けば防げない」
「あなたの推理は完全に正しいわ。その上で私は生き残ると宣言しましょう」
ソヘイラーは落ち着いた態度を崩すことなく、傲然と言い放った。
「ほぉう。どうやって?」
「それを言ってはおもしろくないわ」
「みっともなく取り乱さなかったことだけは認めてやるが、消えろ。我は世界の理に乞い願う――」
「わあああ! 本気の詠唱だよ!? ソヘイラーちゃんどうするのっ」
「どうもこうも。最期があなたと一緒というのも悪くないけれど」
「えっ……」
ソヘイラーは、とことこ歩きピーシャの手をきゅっと握った。
「あなたならどうにかできるでしょう?」
「――其の息吹は火焔、我らが前のすべてを灰と化し燼を成す――」
一瞬後にはミュティアの詠唱は完成する。もはや言葉を費やす時間もないが、言葉を使わなくても伝わるだろうと、ソヘイラーは宝石のような目で見上げてくる。星空を封じ込めたような瞳には完全な信頼が宿っていた。ただ詠唱を止めるだけなら接近戦を挑む策もあったが、何度も一緒に死線をくぐった友達にここは預けると決めたようだ。
繋いだソヘイラーの手は小さく柔らかく、そして温かかった。血の通っている手だ。ソヘイラーも同じようにピーシャの手の感触を知ったことだろう。だから、『繋ぐ』ことの意味を信じて――
「応えて、オクルリッジ!」
ピーシャは空いた手を振り上げ叫んだ。同時に、
「吼え猛れ、フレイムロア!」
ミュティアの伸ばした手に光が弾け、赫々たる紅蓮の爆炎がほとばしる。瞬時に広がった炎は一切を滅却し、塵すら焼き尽くす超高熱の暴虐となって荒れ狂った。
ピーシャとソヘイラーは、炎獄の光景をはるかな眼下に見ていた。十分離れていても吹き上がる気流が、髪とスカートをはためかせる。
「 」
「え~なに? 全然聞こえないよー!」
「 !」
ソヘイラーがなにか叫んでいるが、噴き上がる熱波のせいで風の唸る音しか聞こえない。ソヘイラーはピーシャの腕をぐっと引き寄せ、唇を耳元に触れそうなほど近づけた。
耳に、熱波とは違う、温かくて少し湿った息が吹きかけられる。
「なっな~~!?」
見ればソヘイラーは含み笑いをしていた。真っ赤になった顔を自覚しつつ、ピーシャは抗議の声を上げる。
「こんな時まで冗談やめてよー!」
そんなピーシャの顔がおかしかったのか、またソヘイラーは笑う。その笑顔が嬉しくて、まぶしくて、大変な状況なのにピーシャもつい笑ってしまっていた。
もう地表まで間もない。炎は収まり、森はわずかな燃え残りがちろめく焦土と化していた。ミュティアは前を見ているだけで、上空からの刺客には気づいていない。
ソヘイラーは、ピーシャにうなずきかけると握っていた手を離し、両手でペンタチュークを構え直した。すると、ソヘイラーの落下速度が急激に上昇。自由落下中の加速などあり得ないため、ペンタチュークの効果だろう。上空から、隕石のごときエネルギーを備えてソヘイラーは落ちていく。
ミュティアが気づけたのは戦士の直感だろうか。愕然とした顔で振り仰いだ時にはもう回避できるタイミングではなかった。防御に掲げた剣に、ペンタチュークが激突。突き抜けた衝撃がミュティアの足を大地にめり込ませ、すり鉢状の穴を広げた。さらに、ソヘイラーの上には、拳を振りかぶったピーシャがいる。
「オクルリッジ!」
ピーシャは、ミュティアの懐に潜り込んでいた。上から下への瞬時の転移すらミュティアの目は反応していた。だが、剣ごと身体をペンタチュークが押さえ、地に縫い付けている。
「これでぇぇっ!」
ピーシャが気合を吐き、渾身の拳を叩き込んだ。
まともに受けたミュティアは水平に吹っ飛んでいき、何度も跳ね転がっていく。
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