第三章 inferno

第13話 私の戦いだし

 まぶたの上から光が撫でている。

 ――朝だ。

「ソヘイラーちゃんっ」

 ベッドから飛び起き、首を巡らせる。

 いない。目が覚めたら隣にいるはずの友達が、いない。飛び起きたせいで、ベッドが不満そうにぎいぎいと鳴いていた。

「あれ……?」 

 眠る前の幸せな気持ちからの落差が大きく、ピーシャはしばらくベッドの上で呆然としてしまう。昨日まではここで一人で寝ていたのだから、ベッドの空白が気になるなんておかしいのに、その空白に収まるはずの友達が、いない。手に入れてもいないものを喪失した感覚は、奇妙で恐ろしいものだった。

「しっかりしなくちゃ……」

 自分に言い聞かせるようにつぶやくと、口の中が乾きに気づく。ソヘイラーも、水を飲みに食堂へ行っただけかもしれない。昨日、頭の中にいた時に食堂にも行ったから道は知っているはずだ。


 そう考えるともうピーシャは部屋を飛び出していた。学園の廊下を走って行く。明るい朝日が差し込み、いつもは気持ちのいい学園もいまはどこか白々しい。

 初老の男性が片足を引きずるように、ゆっくり歩いて来るのが見えた。

「アルケイン先生!」

「おはよう、ユインフェルト君。廊下を走っては――」

「十歳くらいの女の子見ませんでしたか!? 黒くてきれいな長い髪の」

「いや? 見ていないが……?」

「ありがとうございます、さようなら!」

 面食らったままのアルケインを放っておいて、ピーシャはまた走り出す。

 食堂に着き名前を呼ぶが反応はない。無人だった。

 身体からの求めに従い水を続けて二杯飲んで、ピーシャは食堂に立ち尽くす。

「……ソヘイラーちゃん的に、論理的にいこう」

 まず、全部夢だったとは考えられない。ソヘイラーの助けがなければ、ソニアとアルトの救出は間に合わなかったはずだし、ゴブリンの群れにやられていただろう。

 最悪は、想定外の事態で身体の作成に失敗したか、向こうの世界に帰ってしまった場合だろうか。かなり特殊なことをしたし絶対確実とは言えないにしても、ソヘイラーは自信があったようだしこれも考えにくい。

 じゃあ……迷子? ソヘイラーはそんなに間抜けではないし、起きるまで待っていると言った。

「動くつもりはない……けど、いない。動くしかなかった?」

 口にした途端、胸の奥がざわついた。膨らむ焦りに押されるように窓の外を見る。


 裏山の森の緑がまぶしく、特に変わりのない朝の景色――赤光、爆炎。

 ピーシャは、窓を開け放って枠を飛び越える。瞬間に空中で魔力を練り上げ、着地と同時に全力で走り出した。もちろん学生や教師が魔法の練習をしているだけという可能性も十分にあるけど、遠くからでもはっきりと見えるほどの炎を操る魔法使いは限られている。おぞましい可能性に突き当たったピーシャは足を速める。

 立ち並ぶ木々を稲妻の動きでかわし進んでいくと、連続する甲高い音が耳に飛び込んで来た。硬いもの同士が高速で激突し競り合う音。剣戟の音だ。

 大きな木を回り込むと、そこには予感通りの悪夢めいた光景があった。

 ソヘイラーが低い姿勢で突撃しペンタチュークを薙ぎ払う。ついに受肉した少女の姿は夢世界のものと寸分違わず、紫がかった長い黒髪と透き通る白い肌が森の万緑に美しく映えていた。大剣ペンタチュークが細木を両断、空を唸らせ走る。

 剣光がまたたき、ペンタチュークが打ち返された。

 ペンタチュークに両断され宙を舞う細木を、翻った刃が四等分。瞬速の三連撃を受け止めたペンタチュークとの間に火花を散らせた。

 高位の火系魔法使いで超高速剣術の仕手。荒野の獣のように、研ぎ澄まされたがゆえの美を備えている女性が殺意のこもった目でソヘイラーを睨む。


「ミュティアさん……どういうことですか!」

「見ればわかるだろう。仕事だ」

 ピーシャの絶叫に、ミュティアは瞳を動かさずに答える。

 スタイルの良い身体にまとっている服装は簡素なものだが、その上から黒いマントを羽織っているのが異様だった。見るからに仕立ての良いマントの肩口には、銀糸で天秤が刺繍されている。銀の天秤教団の正式装備――昨日のゴブリン退治のようなピクニック気分ではなく本気の任務として来ているということを示していた。

「まっ、待って。なにか勘違いがあるんですよ! 二人とも落ち着いて、武器をしまって、ね?」

「私はそうしたいのだけれど」

 ソヘイラーもまた、瞳を動かさずに答える。向かい合うソヘイラーとミュティアは、目をそらした瞬間に斬られると確信しているようだ。ソヘイラーの顔には、ただ混乱があった。

「なんでこんなことになってるんですか」

「答える必要を感じない」

「理由も言わずに一方的に斬りつけるなんて正義じゃないっ。教団の仕事だったら、ちゃんとやってください!」

「お前に『ちゃんと』を説かれるのは非常に腹立たしいが……まあいい」

 ミュティアは瞳に一層の殺気を込め、言い放つ。

「そいつは、異物だ」

「異物ぅ……?」

 疑問と抗議の声を上げたのはピーシャで、ソヘイラーのすべてを察した顔は蒼白になっていた。

「ピーシャお前、召喚魔法を使ったな?」

「なっ……、なんのことだかわかりませーん」

「とぼけて無駄な時間を使わせるな。銀の天秤教団が秩序の守護者を謳ってるのは、伊達や酔狂じゃないんだ。ウチの店の奥に銀の天秤があるのを知ってるだろう。あれは飾りじゃない、世界に異常が検知された時に傾く魔法の道具なんだ」

「じゃあその天秤が傾いて……?」

「どこでなにが起こったのか、おおよそ教えてくれる優れものだ。ゴブリンが暴れようが街が滅びようがびくともしないがな、召喚魔法は別だ。この世界に異物を紛れ込ませてはならない」

「……私は、この世界でも異物なのね」

 ただ事実を確認するように、ソヘイラーがぽつりと言う。悲嘆と絶望が過ぎると、感情が言葉に乗らなくなるらしい。だからその分、ピーシャの胸が痛んだ。

「ひどい! ソヘイラーちゃんはただ生きたいだけなのに! 向こうの世界で殺されかけてやっとこっちの世界で生まれることができたのに、あんまりですよっ」

「対象の境遇で対応を変えてたまるか。誤謬なき究極の裁定に従い、異物を排除する」

「そんなはずない! ソヘイラーちゃんを助けないなら、間違ってるのは世界のほうだっ!」

「吠えたなピーシャ……!」


 直感のまま飛び退くと、寸前までいた空間を刃が薙いでいった。

「お前は人間だからな。殺しまではしない。召喚魔法についても聞きたいことがある」

「どう見ても殺す気でしたけど!?」

「なるほど。私を人間とは認めず、殺すでもなく排除すると言いたいのね」

「わかったならもういいだろう。恨みはないが容赦もない。消えろ」

「是非もなし、ね」

「ソヘイラーちゃんはそれでいいの?」

「生きるために戦う。これまでと変わらないわ。だからこれは私が生きるための、私の戦い。あなたには関係ないわ」

「ソヘイラーちゃん……?」

 大剣を構える少女からは、どこかはねつけるような気配があった。

 確かに、ソヘイラーの身体を作る約束は果たしたし、これ以上の義理はないだろう。だが――

 ピーシャは腕をぐるぐると回し、拳を握った。

「私の戦いと言ったはずよ」

「こっちだって、友達を助けるための私の戦いだし」

「勝手な人ね」

 口ではなじりながら、ソヘイラーの目元は安堵の色に緩んでいた。

「ねぇ、ちょっと気持ち悪いこと言っていい?」

「駄目」

「ええっ!? ミュティアさんの実力知ったから、私を遠ざけるためにわざとキツイ態度取ったんじゃないの、って言おうとしたのに!」

「結局言った上に本当に気持ち悪いから、戦闘の混乱にまぎれて処刑するわ」

「助けに入ったのに敵しかいないよ!?」

「漫才に付き合っている暇はない。ピーシャ、やる気か」

 ミュティアの烈火の瞳は、これが最終確認だと告げていた。ピーシャは怯まずに見返し、ゆっくりと首を横に振った。

「落ち着いて、話を聞いてもらえるようにするだけです」

「間違いが三つある。話を聞くと思っていること。刃向かったこと。そして、アタシに勝てると思っていることだ」

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