第11話 決着をつけましょう

 巨大な体躯には鈍色のウロコがきらめき、巨木の如き四肢の先では鋭い爪が地を踏み砕いている。見るからに強靭な尾がしなり、背中から生える大きな翼は羽ばたきひとつで嵐を起こしそうな迫力だ。そして、太い首から繋がった頭部には獰猛な光を宿す眼が収まっていた。

「ドラゴンだああ!」

「な、なぜドラゴン……?」

「強いからだよ!」

「だからと言って架空の生物に進化しなくても……あぁ、こちらの世界では実在するのだったわね」 

「私も本物を見るのは初めてだよ。でっか~すっご~」

「あくまでドラゴンを模している警備システムよ。本物に限りなく近い偽物、ということは本物と同じ攻略方法が通じるはず」

「逆鱗だね」

「伝説の存在通りなら、ドラゴンのウロコは極めて強固。ペンタチュークはともかく、あなたの打撃は通用しないでしょう」

「じゃあ私いらない子?」

「まさか。あなたを脅威と判断したからこうなったのでしょう。優先して倒すべきだと思われているはずよ」

 ソヘイラーの可憐な唇が邪悪に上がり、企みを語らずに語る。

「囮!? 私を囮にする気だっ!」

「ふふふ。おいしそうな身体をしてるもの」

「食べ物じゃないよ~!」

 ソヘイラーの悪い目線から身を守るように、ピーシャが自分の身を抱きしめるが結果的に肉付きのよい身体つきを強調していた。


 おもむろにドラゴンの頭部が下がり、二人の少女を正面に捉えた。

「……ム」

「……?」

「ナゼ挑ム」

「しゃべったあああああああ!」

「言葉を操るだけの知能が……!」

 ずらりと並ぶ牙に反響するためか、やや不明瞭だが、ドラゴンは確かに人間の言葉を口にした。

 ソヘイラーが、神へ至る道を阻むドラゴンへ声を張り上げる。

「あなたの後ろにあるものに用がある! 世界のシステムを利用すれば私の身体を作れる!」

「神ニ触レルコトハ許サレナイ」

「何故」

「世ノ理ヲ犯シテハナラヌ」

「答えになってないわ。それはなんのためのルールなの」

「神ハ世界ヲ守護スル存在デアル。干渉ハ世界ヲ乱ス」

「……そう。どうあっても私を受け入れるつもりはないのね」

 一瞬、ソヘイラーの瞳は哀しみに曇るが、すぐに決意の色に塗り替わり、眼前の巨竜を睨みつける。

「理を覆してでも叶えたい望みがあるの」

「難しいことはわかんないけど、困ってる子を助けないなんてダメだよ」

 ピーシャも口を揃えるが、ドラゴンからは戦意が膨れ上がる。

「神ハ絶対デアル」

「門番風情が神を語るものではないわ」

「審理ヲ終エル。汝ラヲ排除スル」

 ドラゴンの頭部が上昇、地に張り付く愚か者たちを睥睨した。

「我が名はキィルキュース。理ノ守護者ナリ」


 キィルキュースと名乗ったドラゴンが顎を大きく開く。口腔の奥に灯った光は、昨日の警備虫が使ったのと同質のようだが出力が桁違いだ。

万理討裂剣ペンタチュークの名において、その理、打ち破って見せましょう」

 大剣ペンタチュークを掲げソヘイラーが飛び出すと同時、極大の光線が発射される。愚かな少女たちを滅ぼすはずの裁きの光は、ペンタチュークにより両断。世界そのものが悲鳴を上げるような轟音を鳴らして、ソヘイラーとピーシャの周囲を破壊し尽くした。

「あわわわ」

 身を小さくしていたピーシャは、頭に降りかかった大地の欠片を払い落とす。

「焼き肉は回避したわけだけど――」

「焼き肉!?」

「囮……じゃなくて生け贄の仕事はこれからよ」

「言い直す必要なかったよっ!」

 キィルキュースは、肌が震えるほどの大咆哮を上げ突進を開始。

「ふふふ。いただきます、かしら」

「行儀よくても食べちゃダメだよ~!」

 ピーシャはあえて前に出る。あれだけの巨体なら、足元が死角になると読んでの動きだが、キィルキュースも読み合いを行う高度な知能を備えていた。

 ピーシャの飛び込みを待ち構えていた大顎が開かれ、少女の柔肉を噛み砕こうと高速で降り来る。間近で見るドラゴンの口腔内には、ずらりと牙が生えそろっていた。太い牙の表面は触れるだけで傷つきそうにザラついており、その形状や大きさにピーシャは不釣り合いな場面と知りつつ、さっき料理した人参を思い出したが、そんなもので噛まれればズタズタになるのは容易に想像できた。

 身を投げ出すようにして前転。すぐそばで死のノコギリが噛み合う音を聞きながらピーシャは跳ね起きる。がその瞬間には、ドラゴンは再び大顎を開かせていた。

 反射に任せて横に跳ぶ。顎が噛み合わされるだけで生まれる風圧に煽られながら、さらに二度、三度と、転がり逃げて命を拾う。

 その次に起き上がった時にはもうかわせるタイミングではなかった。一瞬後にはズタズタに違いない。だったら、かわさなければいい。

 ピーシャは起き上がりのエネルギーを、関節の滑らかな連動により集束、体内を疾走させ、右拳に凝結。迅雷の如き一撃を繰り出した。

 体格差と言うのもバカバカしいほどの差だが、体重とエネルギーを衝撃力に転換する術を体得しているピーシャと、作ったばかりの身体でがむしゃらに噛み付くだけのキィルキュースでは、この差も逆転する。

 ピーシャの拳が竜の牙を直撃。ウロコに打撃は通らなくても、口の中なら話は別だ。へし折れた牙が口から飛び出し、重い衝撃を受けたキィルキュースの頭部が大きくよろめいた。


 その隙にピーシャは巨体を回り込むように走る。少女の顔は、きゅっとしかめられていた。牙に触れたせいで右拳から血がしたたっている。魔力を集中させれば治る傷だが、そんな余裕はなさそうだ。

 あっ――と思った時には遅かった。傷の痛みに気が散っていたのだろうか。ドラゴンの長い尻尾がしなり、ピーシャを薙ぎ払おうとしていた。巨大な尻尾は、ほとんど壁のようで避けたり受け止めたりできるものではなかった。

 突如、尻尾がのたうち狙いのそれた尾撃が、ピーシャの頭上を通過していく。

 ピーシャとは反対側に回り込んでいたソヘイラーが、ペンタチュークで竜の太い前脚を切断していた。どれほどウロコが硬くとも、ペンタチュークはその硬い仕組みごと斬り裂く剣。やすやすと刃は通り、振り抜いた勢いでソヘイラーの長い黒髪が優雅に舞う。

 ピーシャは、巨体が崩れた隙を見逃さない。へし折った牙が落ちているのを見つけると、手が傷つくのもいとわず掴み、沈んだ竜の頭部へ跳躍。口に攻撃が通るなら、ここにも通る。こここそ弱点だと牙を眼窩へ突き刺した。

 聞くだけで魂が消し飛びそうな大絶叫を上げ、キィルキュースが暴れ回る。三本の脚と尻尾が振り下ろされるたび地震が起き、口からは目標もなく裁きの光線が放たれ混沌色の空を灼いていく。

 ピーシャは頭部に必死にしがみつき、ソヘイラーは踊るような動きで大破壊を回避しつつ反対側の前脚に到達すると、大剣一閃。両方の前足を失ったキィルキュースの胴体が地に沈む。


「これでとどめだねっ!」

 キィルキュースの頭部で腰を上げたピーシャは、突如、見えない手に殴られたように吹き飛び地に叩きつけられた。

 絞り出された空気をおぎなうため、必死で息を吸う。涙でにじむ視界には大きくたわめられた竜の翼が映った。見えない手のように感じたのは、翼から打ち出された巨大な風の塊だった。

 竜翼が再び羽ばたき暴風が発生。ピーシャは這いつくばり指を立てて耐えたが、何度も続けられるものではない。ソヘイラーはペンタチュークを大地に突き刺し、その陰に隠れることで暴風をしのいでいた。

 風が収まったタイミングで一気に駆け寄り、ピーシャも大剣ペンタチュークの陰に滑り込む。さすがに二人分の幅はないので、半分押しのけた上に密着状態でソヘイラーに迷惑そうな顔をされるが仕方ない。

「うぁ~、もうちょっとなのに!」

「勝たなければ意味がないわ」

「作戦は?」

 ソヘイラーは、キィルキュースの顎裏に目をやる。鈍く光るウロコが並んでいるが、一枚だけ飛び出ているものがあった。

「あれが逆鱗!」

「あの奥にドラゴンの神経中枢部があるはずよ。前足を崩したのは、動きを止めるため。いまなら正確に攻撃が当たるわ。次の風をやり過ごしてから――あっ」

 三度、吹き荒れた暴風に、ペンタチュークの陰から半身出ていたソヘイラーがさらわれる。ピーシャは素早く手を伸ばし、友達の細い腕を掴んで引き戻した。ピーシャ自身はペンタチュークに陰に収まり、ソヘイラーを足の上に乗せて抱きかかえ、暴風に耐える。

 ソヘイラーは、背中に当たる豊かな膨らみに身体を押し付け、押し返される感触を何度か試して、なにかを得心したようにうなずいた。

「ちょうどいい椅子だわ」

「あはは。私は足がしびれそう」

 風が弱まり、ソヘイラーが足の上からぴょんと降りる。壁代わりにしていた大剣ペンタチュークを引き抜き、突撃姿勢を取った。


「決着をつけましょう」

 走り出したソヘイラーは一条の流星のようだ。ペンタチュークが抗力を斬り裂き、少女をありえない速度で進ませる。細い脚が地を蹴り、跳躍。

 大剣の切っ先が逆鱗を貫き肉に食い込んだ、時だった。キィルキュースが首を振り回し始め、急激なベクトル転換にペンタチュークの柄からソヘイラーの手が抜ける。凄まじい勢いで吹き飛んだソヘイラーが地に叩きつけられ、跳ね転がっていく。

「ソヘイラーちゃん!」

 立ち上がる力もないのか、ソヘイラーが顔だけをこちらに向けた。

 ソヘイラーの頭上で、キィルキュースが大顎を開く。さらに、もたげさせた太い首の角度が変わっていく。前足が再生され巨体が持ち上がっていく。

「とどめを……!」

 大きな瞳に輝く、凄烈な意思が訴えかけてくる。もう次のチャンスはない。逆鱗にペンタチュークが刺さっているいましかない。

 救出より討滅を優先しろと、少女の瞳が叫んでいた。

 ソヘイラーが一言発し、ピーシャが一瞬迷った間にも前足の再生は進み、逆鱗は高みへ遷移してしまっていた。すでにピーシャが全力で飛んでも届かない位置だ。

 やるしかないなら、やる。届かないなら、届かせる。

「まだだああああああ!」

 全力疾走。向かうはキィルキュースの前足。

 雷速で前足に到達するとそのまま飛びかかり、巨木のような竜の足を垂直に駆け上っていく。膝関節のわずかな窪みにたどり着くと足をかけ、強固なウロコを踏み台にエネルギーを凝縮。自らを砲弾として撃ち出すイメージでエネルギーを解放した。

「るあああああああ!」

 正面にペンタチュークを捉え、一個の砲弾になってピーシャは空中を飛翔する。

 突き出した右手でペンタチュークの柄を押し込んで、神への道をさえぎる門番を滅ぼす――それで、ソヘイラーは身体が得られて、夏休みの自由研究も成功で、新しくできた友達と遊んだり料理したり――そうしたいだけなのに。

 なのに。

 飛翔速度が落ち、ついにピーシャは落下を始める。あと少し、もう少し、すぐそこまで来た勝利が離れていく。届かない――ものを、届かせるっ!

 『ここ』と『向こう』を繋ぐ力。呼んでいる呼ばれている。呼びかけに応じてくれている。その、この、イメージを掴み、掴むっ。我が意に従え――

「オクルリッジ!」

 精霊の名を呼んだピーシャが転移。制御が上手くいかずペンタチュークにややかぶさってしまい、拳を使う姿勢ではなかった。

 腕をしならせ腰を回し身体中の筋、腱、骨、管、余すところなく駆動させかき集めた運動量を右足に宿し、天を衝く回し蹴りをペンタチュークの柄に撃ち込んだ。

 ペンタチュークを走った超衝撃は、逆鱗の周囲のウロコを破壊し、むき出しになった筋肉を爆散させた。それだけで極大の運動量を使い尽くすはずがなく、ピーシャは蹴り上げの姿勢のまま、ペンタチュークを押し込み竜の太い首へ侵攻する。内側から爆裂させ進み、ついに貫通。竜を模したものの中に血は流れていなかったらしく、代わりに金属質の光の粒が盛大に吹き上がり守護竜の断末魔となった。


 空中でペンタチュークを掴みピーシャが着地すると、一拍遅れて、引きちぎれたキィルキュースの首が重々しい音を立てて落着した。

「……名ヲ聞コウ」

 焦点の合っていない瞳で虚空を見たまま、キィルキュースがくぐもった声で尋ねる。

「私はピーシャ」

 ペンタチュークを持ち主へ返しながら答える。持ち主はひとまず無事なようで安心した。

「私はソヘイラー。キィルキュースの名、心に刻んでおくわ」

「……無念ナリ」

「無念ですって? 門番がそんな感情を――」

 ソヘイラーの疑念に答える前に、ドラゴンの巨体の内側から光が溢れて爆裂。きらめく粒子となって散っていった。

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