第9話 明日また一緒に料理しようよ

「お前……本当に殺さずに済ませたのか」

 追いついたミュティアは驚き呆れたように首を振った。

「まあ……これぐらいは……よゆーですよ」

「どう見ても余裕じゃないが」

 肩で息をするピーシャは汗まみれで、いくつかかすり傷を負っていた。激戦を制した勇者ではあるが、頭の上に乗った葉がどうにもマヌケだった。

「それより、ソニアちゃんは無事ですか」

「治療の魔法をかけて病院を紹介した。まず問題ない」

「よかった……」

 途端、がくんと力が抜けた。尻餅をつくと、小さく震える膝が見えた。

「あいたた」

「無茶をするからだ。よくほぐしておかないとあとに響くぞ」

 気絶しているゴブリンをまたいでミュティアがすぐ前まで来る。粗忽だが、いたわりを伝えるような手つきでピーシャの頭に着いた葉を払う。


「もしかすると、ここでゴブリンたちにとどめを刺すべきなのかもしれない」

 ピーシャは鋭く息を呑み、すぐに反応できるよう重心を動かした。

「最後まで聞け。ゴブリンは兵力を整えて復讐に来るかもしれない。それで誰かが犠牲になるかもしれない。『かもしれない』ばかりだ。だから、お前の決断がこの先どう影響するかは考えるな。我々も警備を強化するし、冒険者たちにはトラブルを招かないよう徹底させる。とても多くのことが絡み合って未来を作るんだ、わかるな?」

「はい……ありがとうございます」

「先のことはわからん。とにかくお前は自分の思い通りにやり切った」

 その言葉を内に刻み込むように、ピーシャは自分の身体をきゅっと抱いた。

 足に力を込め、ちょっと無理でも立ち上がる。そうしたかった。

「さっきは大きな声出してごめんなさい。言うことも聞かなかったし」

「友人のことで気が動転してたんだろう、気にするな。それよりなあ……」

 さっきまでの温かみのある態度から一転、ミュティアから寒々とした気配が放たれる。

「アタシのこと、ちょっと恐い女の人だとか言ったらしいな?」

「アルトくぅぅぅん!?」

 とっさの説明でそう口走った記憶はあるけれども、それを本人に伝えるのはデリカシーがなさすぎる。

「こーんなにお前のことを大事にしてるのに、お姉さん泣いちゃいそうだなあ、あぁん?」

 泣くどころか、泣く子も黙る形相でミュティアが凄む。

「あああのですね! ミュティアさんには大変よくしてもらっているのですが、それはともかくやはり恐い! しかしそれは恐さと優しさの相乗効果と言いますか――」

 飛び退いたピーシャの鼻先を、切っ先がかすめていった。

 抜剣、斬撃、納剣を刹那に遂行したミュティアが、肩をすくめる。

「いまならゴブリンの仕業にして始末できるんだが……」

「完全犯罪の匂いがするぅ!」

「アタシの殺意はともかく」

「ともかくで流さないでくださいよぉ」

「一日分働いたことにして給料はつけておくから、今日はもう上がれ。いや、せっかくここまで来たし触媒を探しに行くか?」

「ソニアちゃんが気になるんで戻ります。病院の場所教えてください」

「そうか。お前はそういう奴だったな」

 ミュティアはここで教団のスタッフを待って、もろもろの処理をするらしい。ゴブリンたちが目を覚ましても、ミュティアがいれば安心だ。バックパックを返してミュティアと別れる。


 病院に着くと、ちょうど二人が出てくるところだった。ひとしきり謝り、無事を喜び合い、話題はピーシャの使った能力になる。

「あの時はいきなり目の前に出てきたとしか思えないんだが、本当にわかんねーのかよ」

「行かなきゃ助けなきゃ、って思ったらその時にはもう移動してたんだよー」

 アルトとピーシャは揃って首をひねる。

 並んで歩くソニアは、顎に手を当て真剣に考える顔になっていた。

「もう一度よく思い出してみて。魔法は、自分の想いやイメージを世界に投射する技術よ。そして自分と世界を繋ぐものが精霊。ピーシャは思ったその時には、って言ったけど、その時の『その前』があるはずなの。そこに精霊の媒介がある。なにか掴んだような感覚がなかった?」

「……!」

「心当たりがあるのね。名前は? 精霊の名前を呼ぶことが肝要よ」

「……ダメ。思い出せない」

「一度でうまくいかなくても、繰り返すことでハッキリしてくると思うわ」

「ということはアルト君は何回も死にかけることに?」

「うぉい! 俺はゴメンだぞ!?」

「いやいやいや。要は、向こうに行くイメージなんでしょ? 行きたいと強く思えばいいのよ。ピーシャなら、リンゴのためなら山一つくらい飛び越えるでしょ」

「俺の命はリンゴと同じかよ……」

 切なげなアルトは放っておいて、ピーシャはあの時の感覚を手繰り寄せる。

「行く……のとは違うと思う。なんだろう、う~~ん、その中間? みたいな?」

「迂闊だったわ、ごめんなさい。ヘタに言葉で定義しようとすると、本質を取り逃がしかねない」

「ううん! きっと移動の精霊じゃないんだよ。それがわかっただけでも一歩前進だよ~。でもソニアちゃん詳しいんだね。授業で習ってないことまで知ってる」

「実は基礎系統以外の精霊ひとつ、掴んだのよ」

「ほんとにっ」


「先週実家に帰った時にね。実家の近くに小さな滝があるのよ。小さい頃から見てる日常の景色なんだけど、学園で魔法の感覚を身につけたせいかしらね。滝に不思議と惹かれるものがあって、毎日通って瞑想したり魔法使ったりしてるうちに、ふっ……とね。掴んだような、精霊のほうが掴んでくれたような、そんな感覚だったわ」

 ソニアは辺りを見回す。すでに街を出て、学園へ戻る途中の橋の上だった。下の川では、透明な流れの中で川魚がゆったり泳いでいた。

「ちょうどいいわ。今日はお世話になったし、おもしろいものを見せましょう」

 ソニアは、腰のベルトポーチから小さな石を取り出した。

「滝の精霊カァルソウよ、我が意に従い慈悲を示せ。マーシーフォール」

 ソニアの手元の石が光になって弾けると、宙空から封を切ったように大量の水が溢れ出し、轟く水音を伴い足下の川へ注がれていく。突然の滝に打たれた川魚たちは驚いたのか喜んだのか、元気に泳ぎ回っている。

 冷たい水しぶきがピーシャのみずみずしい肌にも跳ねた。

「すっご~!」

 水の放出が収まり、大量の水を飲んだ川もすぐに均されもとの流れを取り戻す。

「ふぅ……お粗末さまでした」

「呪文で慈悲って言ってたけど、どっぱーん! って感じだったよね?」

「たぶん、たくさんの水で洗い流して清めることを、滝の精霊は慈悲だと考えてると思う。まだまだ使いこなせてないし、現時点の解釈でしかないけどね。滝の本質ってなんだと思う?」

「たくさんの水が落ちることじゃないの?」

「私は、大量のエネルギーが上から下へ遷移することだと解釈してるの」

「……水じゃなくてもいいってこと?」

「そう。いまは無理だけど、練習すればなんでも大量に落とせると思う」

 興奮のためか、ソニアの頬が上気していた。

「ピーシャも、その本質を掴むのよ。きっと、なにか、なにかがあるはず」

「へっ、がんばれよな。魔法バトルは歓迎だけど殴り飛ばされるのは勘弁な」

「も~~アルト君は一言多いよぉ!」


 学園に戻る頃には夕方になっていた。

 友達と別れて、汗を流し、自室から取ってきた食材を持って食堂へ向かった。休暇期間中の食堂は解放されていて、調理器具も適切に管理する限りは自由に使っていいことになっている。

(今日の夕食はなにかしら)

「野菜とソーセージが残ってるからスープにして、あとはパンかな」

 ソヘイラーに答えながらピーシャは、材料を切っていく。素早く手を動かしてはいるが、それは手際がいいというよりただ雑なだけだった。

(待って。火の通りを均一にするために大きさを揃えて切るのよ。キャベツの芯は丁寧に取りなさい。芯を食べるならもっと薄く切るか、真っ先に茹でること)

 頭の中に響く声は、これまでにないくらい厳しい。

「ソヘイラーちゃん? ちょっと恐いんだけど……」

(本来、私はホームアシスタントAI、家庭内の色々を手伝うために生まれたのよ。マスターとは毎日のように料理をしたし、多くのレシピも記憶している。でもあなた、そもそも基本がなってないわ)

「食べるのは好きだけど作る時にあんまりこだわりないんだよねー。なんでもだいたいおいしいよ」

「食べるだけなら獣と同じ。おいしいものをさらにおいしくできるから、人なのよ。マスターの受け売りだけれど)

「うぅ、そりゃおいしいほうが嬉しいけど難しいんだよー」

(人は死ぬまで食べ続けるのよ。少しくらい料理の技術を身につけても損にはならないわ)

「そこまで言うなら……とりあえずどうしたらいいの?」

(とりあえずナイフの持ち方からね)

「そこからっ!?」

(それとあなたは胸が大きいのだから姿勢も工夫しましょう。いつか指を切るわよ)

「切り傷くらいなら魔力通してすぐ治るから平気だし」

(……本当に別の世界に来てしまったのだと驚くばかりね。そうすると、この目の前の人参も、私の知っている人参と同じなのか疑わしくなってくるわ)

「人参は人参だよ。ポリポリしててちょっと甘くて、馬の好物のやつ」

(変わりなくて安心したわ。では私が指導しましょう)

「あっ、余計なこと言ったかなぁ……」

 ソヘイラーの指示通りに具材を切ろうとして失敗したり、茹で時間を計っていないことを怒られたり、調味料を入れる順番を間違えて怒られたりしながら、料理は完成した。

「いただきま~、あっつ!」

(ふーふーして)

「ふー、ふーっ。じゃ改めて」

 スプーンに琥珀色の液体を乗せ、ゆっくり口に含む。

「ん~~! おいしっ」

(そう……? かなり間違えていただけれど)

「自分で作った中で一番おいしいよ~」

(これまでどれだけ適当だったのかしら……)

 呆れるソヘイラーをよそに、ピーシャはせっせとスプーンを動かしパンをむさぼる。


(ふふふ。鏡があればよかったのだけれど)

「……鏡? 私の顔が映るだけだから苦手じゃなかった?」

(マスターと一緒に料理をして、マスターが幸せそうに食事する顔を眺めるのが好きだったわ。私は食事するための身体を持っていなかったけれど、同じ幸せを分かち合っていると感じられたの)

「そっかぁ。鏡は――ごめん。ないや」

(あなたが食事を楽しんでいることは伝わっているわ)

「じゃあさ! 明日また一緒に料理しようよ。ソヘイラーちゃんは今晩これから身体を手に入れるの。だから明日は、向かい合って一緒にご飯食べて、おいしいねーって言い合えるんだよ」

(素敵な考えね。本当に、とっても素敵……)

 薄桃色の小さな花がほころぶような、うっとりした声でソヘイラーはささやいた。その甘やかさの分、次の一言は重く響いた。

(今晩こそは、スライムの門番を倒してゾハルにたどり着くわ)

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