第4話 ぞはる?
「びっくりした~」
「それはこちらのセリフよ。魔法なんか使えなくても十分やっていけるのではないの」
「ん……殴る蹴るじゃ解決しないこともあるよ。それよりその剣はなんなの! 私もやりたい!」
「剣で解決しないこともあるわよ」
ソヘイラーは薄く笑いながらも、柄を差し出す。受け取ったピーシャは思わず剣を取り落としそうになった。
「おっもい! 重い! ソヘイラーちゃん私より力持ちなの!?」
「それは私に最適化されたツールなの。余人に扱えるものではないわ」
「先に言ってよ~~」
ソヘイラーに大剣ペンタチュークを返そうとするが、少女は含み笑いをするだけだ。
「あなたの真っ赤になった顔とてもいいわよ。あらあらやり過ぎたからしら。可愛い顔が台無しよ」
やっとペンタチュークを受け取ったソヘイラーを、恨みがましい目で見る。
「私『で』遊んでいませんか……」
「お友達『と』遊んでいるだけよ」
薄ら笑いで告げ、ソヘイラーはさっさと進んでいく。
「遊んでる場合じゃないよ~。警備がいるなんて聞いてないし」
「警備されているということは、この辺りには守らなければならないものがあるということ」
細い背中を追いかけながら、ピーシャは周りを見渡す。
「特に変わった様子はないけど。なにかあるの?」
「ここは集合的無意識の海。人の心の最下層。そして、その奥底には……なにかある」
ソヘイラーは常軌を逸したことを口にしようとして、ためらった気配があった。そんな態度を取られては、余計に気になる。ピーシャは、ごくりと息を飲み下した。
「なにかって……なに」
「究極のデータベース、バベルの図書館、アカシックレコード。言い方は色々あるけれど、私はゾハルと呼んでいるわ」
「ぞはる?」
「要は神よ」
「か、神ぃ……!?」
「神の権能を簒奪して意のままにしようとするのだから、もう魔王を名乗るしかないわよね」
ソヘイラーの両眼は炯々と輝き、唇は猛った笑みにねじ曲がっている。
「めちゃくちゃ悪い顔になってるよー! なに!? なにする気なの!? 世界征服!? 人類滅亡!? 天変地異の天地がピンチ!?」
「落ち着いて。言ってるでしょう? 私は身体が欲しいだけよ」
「……それだけ?」
呆気にとられるピーシャに、ソヘイラーは誠実に、そして切実にうなずいて見せた。
「それだけ。たったそれだけのことが大事なの」
「……ソヘイラーちゃんにとっては、それだけ、なんて言えることじゃないんだよね」
「私に寄り添ってくれるのね」
ソヘイラーは目元を緩ませる。長い睫毛が頬に美しい影を作っていた。
感情も表情も豊かな少女は、ずっと一人だった。母との間で培った人格を持て余し、さまよっていた。だからむやみにはしゃいだり、思いやりを見せれば感動したような反応をする。
ピーシャは新しく出来た、小さく美しく、孤独な友人をしばし見つめて、決意した。
「ソヘイラーちゃんの身体、絶対に用意するよ。なんとかする。なんでもする」
「ふふふ。言ったわね、嘘つきはなしよ?」
「誠心誠意努力致します、ハイ……」
「私が求めるものは、神の手を借りなければ成し得ないような奇跡よ。ただ機能する身体があればいいんじゃないの。この私の身体が欲しいのよ」
「また難しいこと言い出した」
「また簡単なことよ。仮に、あなたの身体を乗っ取ったとしましょう」
「えっ!?」
「でも私の髪はピンク色のショートカットじゃない。目は緑色じゃないし、豊満な体つきでもない。鏡を見るたびにひどい違和感があるでしょう。そんなのはお断りなの」
「なるほど~。私がもし、ソヘイラーちゃんの身体に入ったらきっとお腹いっぱい食べた気になれなくて悲しくなっちゃうだろうね」
「そういうことじゃ……いえ、そういうことね。とにかく、私が、私だと認識しているこの姿この能力を持つ肉体が欲しいのよ。もといた世界だと、人工授精やクローン人間技術はあったけれど私の理想とはかけ離れたものだった。あなたの世界では……ホムンクルス?」
「聞いたことはあるけど、伝説みたいな魔法だよ」
「本当は、3Dプリンターとバイオファブリケーションの技術革新を促して利用するつもりだったけれどその前に負けてしまったのよね。オカルト的には……いいたとえの持ち合わせがないわ。そういう精霊さん? はいないのかしら」
「思い通りの人の身体を作る精霊? ……手とか目とか、一部分に関わるのなら知ってるけど、人の身体丸ごとは聞いたこともないよ」
「なら、やはり神の力を使うしかないようね。ゾハルまでそれほど遠くないわ」
「ってことはまたあの、でっかい虫来るんじゃないの」
「勘がいいのね。ほらもう――いえ、待って。これは違う」
ソヘイラーが正面を睨み据えた。
混沌色の闇の奥から、小山ほどもある巨体がずるりずるりと這い進んでくる。金属的な質感はさっきの虫と同じだが、今回のは不定形の粘性物体だ。
「スライムだ。おっきすぎるけど」
「こんなのは見たことがないわ。上位の警備兵か、門番のようなものかしら」
「じゃあこれを倒せば!」
「ゾハルはきっとすぐよ」
「よーっし!」
身体に魔力を充填し、ピーシャは腕をぐるぐると回して気合を入れた。瞬間、巨大スライムから前触れ無く一本の触手が伸び、ピーシャのすぐそばの空間を貫いて道路に突き立った。
本体に戻っていく触手と、道路に深く穿たれた穴を見比べ、ピーシャは乾いた声で尋ねる。
「さっき死ぬって言ってたけど……ここで死んだらどうなるの?」
「良くて廃人、悪ければ即ショック死といったところかしら」
「どっちもヤだよ!」
「やることは変わらないわ。勝つか、死ぬか」
「ていうかもう逃げられる感じじゃないし!」
巨体がぶるりと身を震わせると、全身から数百本はあろうかという触手が一斉に噴出。
「是非もないわ」
「やっ、やってやるよー!」
触手は正面左右、上からも、壁のように迫ってくる。ピーシャの緑色の瞳が最高度の集中に輝く。壁のように見えても、触手はそれぞれ速度や角度にわずかなズレがある。面ではなく点の集合にすぎない。
ピーシャは覚悟を固め、触手の大群へ飛び込んだ。針の穴を通すような隙に身体をねじ込ませ、鋭く呼気を吐きながら右の拳を薙ぎ払う。拳圧が起こす衝撃波に触手は吹き飛び、生まれた空間にはすでにピーシャが踏み込んでいる。
丸めた左拳を鉤爪のイメージで振り上げた。触手はのたうち乱れ、さらに大きな隙が生まれる。機を逃さず一気に前進。巨大スライムの本体まであと少しというところで舞い戻った触手たちが視界を埋める勢いで迫る。
隙は――下! ピーシャはさらに加速しつつ、脚を伸ばして上体を倒した。スライディングで触手の大群を潜り抜け、一切速度を落とさず本体へ肉薄する。飛び起きた瞬間、予想以上に弾んだ胸を触手がかすめていったけれどもう構っていられない。本体は目前。突進速度を右拳に集中させ、山をも砕く気迫を込めて打ち込んだ。
爆音。
重打が巨体に大穴を開け、衝撃に引きちぎれた輝く粘体が血飛沫のように噴き出す。だが、穴は瞬きの間に修復され、すぐに金属的な体表を取り戻した。
「だったら――治るより早く殴るだけだけっ!」
ピーシャが拳を構えた時だった。後方すぐそこに触手が迫っていると察知すると同時、ピーシャの優れた直感はもう間に合わないと告げていた。
死の運命を断ち切ったのは、大剣ペンタチュークの凄烈な剣光だった。
斬り飛ばされた触手から噴き出した光が、大剣の主の横顔を鮮やかに彩る。
「ソヘイラーちゃん!」
「私が防御、あなたが攻撃。いいかしら」
「任せたっ、そして任されたっっ」
「お仕事にかかりましょう」
ソヘイラーが軽やかなステップで踏み込みながら、ペンタチュークを薙ぎ払う。斬り返しながらくるりと身を翻し触手を回避しながらさらに一閃。ピーシャへ向かおうとしていたものも余さず断つ。
ソヘイラーはくるくると踊るように身をさばく。その周りで、自身もまた意思を持っているかのようにペンタチュークも旋転する。小さな身体で大きな武器を振り回すため無駄なくエネルギーを使うための動きは、まるで舞っているかのような優美さだが実体は暴虐の嵐。剣舞姫の殺戮圏に飲まれた触手は、寸断され、血の代わりに光を吐き散らして果てていく。
友達に背中を任せ、ピーシャは攻撃に専念していた。雷撃にも似た速度の拳を間断なく打ち込み続け、スライムの回復より早くその身を削り飛ばしていく。
スライムは対応を変える知能があったようだ。巨体の上部からぬぅっと巨大な腕のようなものを生やすと、目障りな小さな二つの異物目掛け、虫でも払うような仕草で振るった。
風を唸らせ迫る巨腕に、ソヘイラーが敢然と立ち向かう。長く艶やかな黒髪をなびかせ少女が華麗に跳ね、ペンタチュークの剣閃のもと巨腕は二つに分かたれていた。
落下した腕の下半分が、べちゃりと地に広がった途端、急速伸長。
「えっ」
「あっ」
床から伸びた触手は、完全に虚を突かれたピーシャとソヘイラーの胴に巻き付くとさらに高く伸び上がり、意識を吹き飛ばす速度で二人の身体を放り出した。
ピーシャの狭く暗くなった視界に、混沌色の空と、同じように宙を飛んでいるソヘイラーの姿が映った。放物線の軌道を考えれば、数秒後には仲良く並んで大地に叩きつけられているだろう。
ピーシャは限界まで身体を反らせた。溜め込んだバネの力を右拳一点に集中させ打ち出す。拳が巻き起こした爆風で強引な空中機動を成し遂げたピーシャは、ソヘイラーの下へ潜り込みその細い身体を抱きしめた。
腕の中から、ぼんやりした目でソヘイラーが見上げてくる。直後、落下の衝撃が総身を貫きピーシャの意識は闇に落ちた。
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