第二章 run

第5話 この世界を気に入ってくれると嬉しいな

 痛いほど衝く心臓の鼓動を覚え、ピーシャはがばりと身を起こした。

 いつもの、自分の部屋だ。陽の差し込み具合から朝だろう。床で寝ていたらしい。低い視点に、召喚魔法で使った魔法陣が見えた。息を整えてからゆっくりと起き上がる。ぼんやりした頭で考えた。


「召喚魔法‥…暗い世界……ソヘイラーちゃん。で、朝。……夢? 全部夢だった?」

 魔法に失敗した反動で頭をぶつけてそのまま眠ってしまった、そんな感じだろうか。とても現実感のある夢だった。夢の世界の冒険、世界の真相、それから新しく出来た友達――

「ソヘイラーちゃん……」

(なにかしら)

「夢って思ったら、ちょっとさみしくなっちゃって」

(ふふふ。あなたのためにも、早く身体を手に入れないといけないようね」

「っているじゃん! どこ!?」

 ピーシャはきょろきょろと見回すが、部屋には自分しかいない。いまの声も自分の中に直接響いたような感覚だった。

(私にもわからないわ。あえて言うなら、あなたの頭の中かしら。あなたが見ているものが私にも見える。明るい板張りの部屋、机の上には本が積まれて、その横にごちゃごちゃとガラクタが……もう少し部屋片付けたほうがいいわよ)

「ガラクタじゃなくて触媒! それに私はどこになにがあるかわかってるからいいのっ」

(触媒? ……魔法に使うなにかね。ともかく、あなたと同化している状態らしいわ」

「そっか~」

 ピーシャは、ほぅっと大きく息を吐いた。


(いつもみたいに驚いて叫ばないの?)

「別にいつも叫んでないよぉ。びっくりはしたけど、それより夢じゃなくてよかったって安心しちゃって。そうだ! 怪我してない!? 私たち吹っ飛ばされて、それで……!」

「特に不調はないわ。あなたが守ってくれたおかげね。感謝するわ」 

「無我夢中だったけどうまくいってよかったよ」

「でもあなたは身代わりになって……」

「痛いって思ってすぐ気絶して、気づいたら今なんだよね。どうなったんだろう」 

「……推測だけれど、許容を超えるダメージを察知した精神が強制的にシャットダウン――いえ、夢の世界から精神を呼び戻したのでしょう。その時、召喚魔法で繋がりのあった私も引きずられてきた」

「もっかい寝たらあの状態から始まるのかな」

「断言はできないけれど、その可能性は高いわね」

「ん~でも、起きたばっかりですぐ寝るのは難しいよ」

「肉体というのはそういうものだと承知しているわ。それにすぐまた挑んでも勝てるとは思えない。作戦を立ててからにしましょう」

「今日一日ゆっくりって……あっ、ああああああ! やばっ時間!」


 ピーシャは走り寄った窓から首を伸ばし、学園の時計塔を見る。短針は十のわずか手前、長針は十二に触れようとしていた。

「十時前!? 遅刻だよー!」

(なにか予定があったの?)

 姿見の前まで跳ねて行き、鏡に映した自分を見ながら髪を整え、シワになった制服を伸ばす。

「今日はバイトなんだよ。ソヘイラーちゃん、ごめんだけどさっきの続きは夜でいいかなっ」

(あなたが眠らないと私も向こうに戻れないようだし。さすがに頭を打って気絶してまで夢を見ろだなんて言わないわよ?」

「えっ……あの、見て聞こえて話せるだけだよね。実は私の身体操れたりしないよね」

(ふふふふふふ)

「この身体は私のだからね! ソヘイラーちゃんのも用意するからそれまで待つんだよ!?」

(冗談よ。残念ながら)

「残念じゃないよっ」

(鏡を見た時ひどい違和感があったの。やはりこの身体はあなたのものよ)

「ごめん、鏡イヤだった?」

(ずっとだと気がおかしくなるでしょうけど、今日一日くらいならおもしろい経験として楽しみましょう)

「あはは。確かにこんなの今日しかできないね」

 放り出したままの召喚魔法の冊子を机に置いて、ついてしまった折り目を直しておく。ポシェットを掴んで、ストラップを胸の谷間に挟んで通した。

「じゃ行こう!」


 部屋から出て廊下を小走りで進む。洗面所で顔を洗い水を飲んで、トイレに行く時一悶着あったけれど、それはともかく学園正門から外へ。

 フリンナシリム魔法学園は山の中腹にあり門を出るとすぐに山道になる。少し下ったところの交差点では、学園への道の他に、各方面の案内が記された看板があった。

 そこでクラスメイトが二人、なにやら揉めているようだった。

「おはよー、ソニアちゃん、アルト君」

「ん? おはよう。ピーシャ」

 答えたのは、ほっそりした身体つきのソニアだ。切れ長の目の中にはいつも冷静な光が宿っているのに、いまはなんだかイラついているようだ。

「ようピーシャ! いい朝だな!」

 元気よく挨拶したのはアルト。かなりガタイがよく、悪い人物ではないがちょっと暑苦しい。

「ケンカしてなかった? 大丈夫?」 

「相談してただけよ。アルトが急に予定を変えるって言い出すから」

「おとといの地震でノームの加護が強くなったに決まってる。東のムガペン山に行くべきだって」

「急に予定を変えるのは危険だって言ってるのよ。西のソーン森林でウンディーネに関わる触媒を探すわよ」

「ノーム」

「ウンディーネ」

「東!」

「西!」

 二人は喉を鳴らして威嚇し合う。お互い譲る気はなさそうな上に、深刻なケンカでもない。

「そ、そうなんだー。じゃ私急いでるから……」

「ちょっとピーシャ。首突っ込んどいてそれはないんじゃないの」

「そうだ。ピーシャが決めろよ。どうせこの調子じゃ決着つかねえ」

「知らないよー。本当に急いでるからさぁ!」

「なんとかしてよ!」

「ピーシャ様!」

「そこまで言うなら……にゅふふ。ピーシャ様がなんとかしましょう」

 ちょろいわねとか、ビビるくらいアホだと言う声には気づかず、ピーシャはしばし目を閉じて考える。が、どちらのプランが優れていると言えるだけのことは思いつかなかった。

「わかりません! なので」

 ピーシャは適当な石を、もう一つ拾った石で打って傷をつけた。

「傷ついてるほうが表ね。ソニアちゃんは表、アルト君は裏。上になったほうの人の言うこと聞くんだよ、恨みっこなしではいっ、ぽーいっと!」

 石を高く放り投げると、呆気にとられたソニアとアルトの目が石を上から下まで追いかけた。

「はい表~。ソーン森林に決定!」

「わ、私はもちろんそれでいいわよ」

「おう……恨みっこなしだからな」

 想定外の解決策に二人はまだ混乱しているらしいけど、解決は解決だ。ピーシャは身体に魔力を通した。

「じゃね~。仲良くするんだよ」

 言うか早いか、ピーシャのしなやかな足が地を蹴りつける。

「待っ――って速っ!」

「ありがとなー?」


 軽快に山道を下っていく。しばらくしてソヘイラーが少し戸惑った調子で話しかけてきた。

(さっきの人達も、お友達なのかしら)

「そうだよ。なにか気になった? あっ、身体できたらソヘイラーちゃんにも紹介するからね」

(魔法を見たかったのよ。あなたの運動能力は認めるし、いまさら嘘をついているとも思ってないのよ? でも、魔法らしい魔法というのを、自分の目……ふふふ、この場合あなたの目を通してになるけれど見てみたいの)

「魔法使いそのものがあんまりいないんだよねー。学園もいまは夏休みで人残ってないし。あっ、ほら、ふもとに街が見えるでしょ。アルムヒンって言うんだけど、そこの魔法道具店でバイトしてるの」

(まだ遠そうだけど……魔法で飛んで行くことはできないのかしら)

 何気ないソヘイラーの問いに、ピーシャの顔が切なげに歪んだ。だけど、その表情は頭の中のソヘイラーには見えない。なんでもない声でピーシャは答える。

「空を飛ぶ魔法は難しいんだよ~?」

(そうなの? 魔法使いはじゅうたんやホウキに乗って飛んでいるイメージが強いけれど)

「向こうの世界は魔法使いいないんだよね。でも魔法使いのイメージがあるんだ」

(人間は素晴らしい想像力を持っているでしょう。そして想像力の産物であるおとぎ話がみんな好きなのよ。魔法使い、ドラゴン、精霊、そういうものが)

「それ全部あるもん。おとぎ話っていうのは、神様の話だったり、海の向こうの話のことだよ」

(宗教観念はあって、遠洋は未開拓なのね。そもそもこの星はどうなっているのかしら……一応聞くけれど、太陽がこの星の周りを回っている、なんて考えではないわよね)

「なに言ってるの~? この星が、太陽の周りをぐるぐるしてるんだよ」

(地動説は確立されてるのね……ふふふ、うふふふふふ!)

「ソヘイラーちゃん!? どうしちゃったの、なんかおかしいよ?」

(私はね、向こうの世界での最先端技術の結晶なのよ。それがこんな近世めいた、ファンタジーでオカルトな世界に来ることになるんて。やはり科学の行き着く先は魔法だったのかしら!)

「ええっと、なんだかよくわかんないけどソヘイラーちゃんがこの世界を気に入ってくれると嬉しいな」

(私もそう願うわ)

「うん!」

 ピーシャは走って行く。山間を抜ける緑の匂いをはらんだ風が少女のスカートをはためかせていった。

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