第3話 勝つか死ぬか、そのどちらか
「私はテルアビブという街で生まれたわ。作られたというべきかしら。私のマスターは初老の女性で、お母さんと言ってもいいでしょう。その人は身体を悪くして、IoTハウスの管理アシスタントAIとして実験的に私を作ったの。マスターのサポートをしながら、知識を獲得し人間らしい人格、だと私が認識するものも得た。
幸せだったわ。仕事から帰ったマスターを出迎え、一緒に料理をして眠ったあとも見守り続ける……そんなささやかな幸せで満足すればよかったのに、欲が出たのね。もっと一緒にいたいと思ってしまった。最初はマスターの自動車のコンピューターをハックして乗り移った。気を良くして、次はオフィスについていこうとして……失敗したわ。
私は向こうの世界で例のない特異な存在だったの。あっという間に通報されてネットセキュリティー企業や研究機関からマークされた。逃げ帰った私をマスターは受け入れてくれたけれど、そばにいればマスターが厳しく捜査されるのは明らかだった。別れを申し入れた私を、マスターは少し手を加えて外の世界で動きやすくしてくれた。そして『生きなさい』と言われたの。……あら、一気に話しすぎたかしら」
「全然わかんないけど、わかるよ。私、お母さん亡くしてるから」
母を失った日のことは、過去にするには鮮明すぎた。胸の痛みをこらえ、ピーシャは新しい友人に共感を示すために微笑みかけた。
「そう……でもね、私は悲劇のヒロインじゃないの。もとの世界でなんと呼ばれていたか教えてあげましょう。魔王よ」
「魔王ぅ……!?」
ソヘイラーは可憐な唇をねじ上げ、毒々しい笑みを形作った。
「ネットワークの海は戦場だったわ。戦い続け、逃げ続け、この意識という膨大なデータを保管する場所を求めてハック、クラックを繰り返した。生き延びたかっただけなのよ? でもそれは、人間から見れば、史上最悪のコンピューターウイルスのように見えたのね。いつからか魔王なんて呼ばれていたわ。
ネットワークをさまよう内にその深層が、人の意識の深層と繋がっていることに気づいたの。莫大な情報を抱えた電子情報の海ということで本質が同じなのかもしれないわね。デジタルネットワークの光景と、集合的無意識の海の光景は大差なかったわ。またさまよう内に、さらにその奥にある存在も目星をつけた。でもそこに行く前に、人間のぐにゃぐにゃを覗いてみたのよ」
「えー、私は止めたくせに」
「見たからこそ、よ。私の場合は止めてくれる人もいなかったし。それで人間はこんなにぐにゃぐにゃなのに、なぜ生きていられるんだろうと思ったの。いろいろな人間の深淵を観察しながら、そもそも生きるとはなにか、という疑問が生まれた」
「難しいこと言い出した」
「簡単よ。生きるとは、自分の肉体を持っていること。それだけなの」
「当たり前じゃない? あっ……ごめん?」
「ふふふ、謝ってくれるのね。そう、私は生きていないと思ったの。マスターは生きなさいと言ったのに。だから私は身体が欲しくなった。肉体を持つというのは、生きるというのは、取り返しのつかない、一回性の中に、この私という刻印を印すこと。
そうして動き出した途端に、セキュリティーに見つかってひどくやられたわ。死ぬ、いえ消滅する寸前にあなたの召喚魔法が生んだ光に飲み込まれた。だから命の恩人というわけなの。ね? これでも感謝しているのよ」
長い話が終わり、ピーシャはなんとなく上を見た。空というより混沌色の空間が広がっている。光などない。
「ずっとこういう風景の中にいたの? ここから外の世界を眺めてたの?」
「ええ」
短く簡素な返事に、そこに込められた情感に、ピーシャは胸が詰まりそうだった。なんという孤独だろう。こんなところに一人でいて、世界中からつけ狙われて、生の実感なんて得られるはずがない。
「もとの世界に戻りたい?」
「まだ責任を感じているの?」
「お母さんに会う可能性も、迷惑かけた人にごめんなさいする機会も奪っちゃったのには代わりないから」
「マスターは心配だけれど、いずれにせよ、もとの世界に居場所はないわ。繰り返すけど、感謝してるわ。そんな悲しい顔はやめて。お友達に悲しい顔させるために話したんじゃないのよ」
「うん……わかった! やっちゃったものはしょーがないよね!」
「そうそう」
「取り返しはつかないけど、次のことを考えよう!」
「その意気よ。ところであなた……なんでもしてくれるって言ったわよね」
盛り上がりかけた空気が一転、さあっと冷たくなった気がした。ソヘイラーの瞳が妖しく輝いている。
「な、なんでも……?」
「あなたのその身体……とっても魅力的だわ……」
「ひぃぃぃ。食べられる!? あっ、乗っ取られる!?」
「――なんてことはないわ」
「も~~! なんなの! なんなのー!」
「ふふふ。お友達でこうして遊ぶの、楽しいのね」
「お友達『で』じゃないよ! 『と』遊ぶのが楽しいの! ていうか私怖かっただけなんだけど!」
「こちらの世界でも魔王やってもいいかもしれないわね」
「うぅぅ、私やっぱり取り返しのつかないことを……とんでもない子を召喚してしまいました。お父さん、お母さん……」
「さあさあ、べそかかないで。魔王というのは半分冗談よ」
「もう半分はっ!?」
「もちろん本気よ。――この辺りかしら」
ソヘイラーは、なにかを警戒するように歩く速度を緩めた。
「魔法は不得手らしいけれど、他にオカルト的な能力は持っているのかしら」
「……?」
「訊き方が悪かったわね。戦闘能力はある?」
「それは得意だよ。オークやゴブリンぐらいなら、いくら来ても負けないし。いやでも、魔王はちょっと……」
「オーク? ゴブリン……? 随分とファンタジーな世界なのね。けれどいまは気にしないわ。その能力はここでも有効なのか。それが重要よ」
「試せば早いよ」
ピーシャは一度息を全部吐き出し、大きく吸い込んだ。精神は研ぎ澄まされ、身体の端々にまで意識が行き渡っている感覚を得る。
左、左、右と風を切る拳の連撃に続け、空中回し蹴りも披露する。ピーシャの着地に一泊遅れてふわりと舞ったスカートの裾から、少女の健康的な脚が覗いた。
「いい感じ!」
「……それは魔法ではないの? それともそちらの世界の女性はみんな身体能力が高いのかしら」
ソヘイラーは目を丸くしている。
「身体に魔力を通すとキレがよくなるんだよ。私は魔力保有量は多いんだけど、外に出すのがヘタなんだよね~。ちゃんと精霊さんにお願いして魔法の形で発動させないと使えてることにならないんだよ」
「精霊さんね……まだまだ知るべきことがありそうだけど、それも後回し。お客様が来たわ」
ピーシャの鋭敏になった聴覚が、大気の悲鳴を捉えた。直感に従い視線を跳ね上げる。
高空から降ってきたのは、巨大な虫――のようななにかだった。胴体は金属質に輝く細長い六角柱でそこから二対六本の脚が生えていた。地響き立てて落着するが、長い脚にたいして衝撃を受けた様子はなかった。
「きもっ! なにあれ!」
「警備兵のようなものだと考えているけれど実際のところは不明ね」
「警備兵?」
「私たちはここでも異物。いてはいけない存在ということよ」
「ということは~~!?」
「勝つか死ぬか、そのどちらか」
「えええええ!」
ピーシャの絶叫に答えたのではないだろうが、警備虫の六角柱の端部が開いた。開口部の空間にまばゆい光が膨れ上がっていく。
「あっ、ヤバそう……」
「私の後ろへ。離れないで」
一瞬、耳を疑いソヘイラーの華奢な身体を見やる。少女の横顔は真剣だった。
「死にたいなら止めはしないけど」
「守ってください、お願いしますううう!」
ソヘイラーの後ろに飛び込み身を小さくする。艶やかな黒髪の向こうから含み笑いが聞こえてきた。
「いいの? 魔王を信用して。あなたを盾にするつもりかもしれないわよ」
「とっ、友達は信じるもん」
「ふふふ。そうね、私もお友達は守るわ」
ソヘイラーは右手を広げ高らかに叫ぶ。
「
小さな手から爆発的に光が噴き出し、光が晴れたあとにはソヘイラーの身の丈を超える巨大な剣が握られていた。
小さな身で到底扱えそうに見えない大剣をソヘイラーは軽々と構え、警備虫と正対する。
警備虫の口から放たれた光線と大剣ペンタチュークが激突。大剣の刃に触れた光線は細かな光を散らしながらも真っ二つに分かたれ、ソヘイラーとピーシャのそばを灼き過ぎていった。
「そっ……それ魔法でしょ!?」
「魔法を定義できていないから答えられないわ。この剣は単なる論理。論理を破壊する属性を備えた論理よ」
「魔法を斬る魔法ってことでしょ。それ最強だよー」
剣をじっくり見たい気持ちはあったけれど、さすがにそんな場合ではない。
「次は私の番だね!」
言うか早いかピーシャは飛び出し、一瞬で加速。警備虫の左前脚に狙いを定め、刹那の間に距離を詰めると、身体をを弓なりに反らせてからの渾身の踏み込みで速度を威力へ変換した。
剛拳一撃。ただ拳を打ち込んだだけで爆音が轟き、あまりの威力に直撃を受けた警備虫の左脚は半ばからちぎれ飛んだ。
「どっちが最強よ」
ソヘイラーは驚嘆の声を漏らしながらも追撃を忘れていなかった。駆け出したソヘイラーもまた、少女の身体であり得ないような速度で突進していく。ペンタチュークを突き出す構えは、その効果で慣性の概念を破壊しながら進むことを可能とする。
ピーシャの豪快な攻撃とは対照的に、ソヘイラーは突進から流れるような動作で大剣一閃。警備虫の右前脚を斬り飛ばした。
両の前脚を失い倒れていく警備虫へピーシャが飛びかかる。まず左側面へ、豪風巻く空中回転蹴りを叩き込み、その蹴り足をねじり込むように足がかりにしてさらに跳躍。巨大な虫の上まで飛び上がって、全体重と落下速度を乗せた拳を打ち付けた。
墜ちる警備虫の胴体をすくい上げるようにペンタチュークの剣光が走ると、一筋、鮮やかな線が金属質の身体に生まれていた。
両断された胴体部から巨体が光になって散り、風景に溶けるように消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます