第3話 聖蛇使い

 彫りの深い顔で辺りをギロリと睨むと一気に周囲に漂っていた土煙が晴れる。



「むうううう。いささか勢いがつき過ぎたか」



 頭の羽根飾りが大きな挙動に合わせて空を撫でる。


 先ほどのシャロンのように、しかし隙のない動きで辺りを見渡す。


 目の前で立ち尽くしている唯斗はあたかもそこに存在していないかのように。


 しかし、目的のモノを発見したのか、急に唯斗の立つ方角を見定める。



「そこにいるな、聖蛇使いオフィウクス。我らが主人あるじの御達しを聞いたであろう」


「は?急に何言って……」



 唯斗は一瞬、眼前にいる自分に向けて巨漢が声を発したのかと思った。


 しかし、すぐにそれは間違いであることに気づく。


 巨漢が声をかけたのはその奥で未だ電柱の陰に隠れている人物。


 そう。シャロンだった。



「あ、あの……………………私に言っているんですか?」



 名指しされたもの同然であるシャロンが電柱からひょっこりと顔を出して恐る恐る尋ねる。



「何をとぼけたことを…………まあいい、これも主人ののめいだ。悪く思うなよ」



 短く言い残すと巨漢は重鈍な動きで唯斗の横を通り過ぎ、シャロンが潜んでいる電柱の方へと向かう。


 唯斗は咄嗟とっさにシャロンの元へと駆け戻り、彼女を背に巨漢と向き合う。


 その行動を以って初めて巨漢は唯斗という存在に意識を向ける。



「おいおっさん、『悪く思うな』ってシャロンをどうするつもりだ?」



 そんな問いを面倒と思ったのか巨漢は、はちきれそうになっているジーンズのポケットから日本では見慣れない金貨を取り出し



「私は生物狩りインダス。我が同胞が世話をかけたようだな。ありがとう。ここで引き取らせてもらおう」



 と、唯斗に向かってそれを差し出してくる。



「なに、ほんの謝礼金だ。遠慮なく受け取ってくれると助かるのだが」


「オレの質問への答えがまだだぞ。先にそれを聞いてからあとはこいつシャロンが決めることだ」


「私が答えなくとも君がかばっているその少女は知っているはずだ。自身に黒洞行きの判決が下されていることに」



「コクドウイキ」。日本の刑罰では聞いたことのない文言だった。


 唯斗はシャロンの意思を確認すべく、背後でいつのまにか自分にすがり付き顔を埋めている彼女のことを覗き見る。


粒子視認マイクロウォッチャー』。それが薬袋唯斗に与えられた、そしてこの世界では別段珍しくもない超能力だった。


 全ての粒子の構造、振動、流動方向を視認することができる。皮肉的に言うなれば『目がいい』だけの能力だ。


 唯斗が現在の彼女から見て取れたのは、不安定な早鐘を打つ心臓、ノイズが走ったように無茶苦茶に流動する思考、そして先ほどから低下し続けている体温。


 シャロンの先ほどの応対からこの巨漢のことを知らない……いや、憶えていないのは本当なのだろう。


 しかし、記憶の有無とは関係なく彼女の身体は本能的に覚えているようだ。


 この巨漢に対する恐怖の感情を。


 唯斗はゆっくりと目を閉じ、大きな深呼吸を一つ。


 そして不安要素をかき消すかのような不敵な笑みを浮かべて、見上げる巨漢が差し出す金貨を打ちはらい、決別の一言を告げる。



「悪いなおっさん。こいつはまだオレが預かることにするわ。少なくともおっさんに渡しちまうよりかは幾らかマシらしい」


「その決断は少女に確認を取ってからにしてもらいたいものだが」


「そこらへんは大丈夫だ。オレには見えたからな」



 夜の帳は天球を覆い尽くし、夜の闇は相対する二人に静寂をもたらす。


 先手を取ったのは生物狩り《インダス》の方だった。


 先ほどまで金貨を差し出していた丸太のように太い腕を戦鎚よろしく振り下ろす。



「しっ…………」



 唯斗はシャロンを瞬時に小脇に抱えると、まるで生物狩りインダスがどこを狙っているのか知り尽くしているかのように近くの狭い路地へと飛びすさり、シャロンをその中に投げ込む。


 背後でアスファルトをえぐる破壊音が聞こえる。


 まともにもらえば一発でノックアウトになるのは火を見るよりも明らかだ。


 そんな拳でシャロンに触れさせる訳にはいかない。唯斗はさらに決意を固め、挑発するように手招きをしながら



「賞品はお預けだ。ここに残った方があいつを連れて行く」


「異存なしだ」



 生物狩りインダスは地面にめり込んだ腕を軸にしてその鋼のような肉体を浮かせブレイクダンスの要領で息をつく間も無く蹴りを入れる。


 唯斗はそれを紙一重の距離でかわすか、衝撃が最小限になるように受け流すかして猛攻をしのぐ。


 なおも打ち出される超重量の演舞を避けて、受け流し、すり抜けるようにしてひたすらに受け手に回る唯斗。


 しかし、一見して均衡を保っているかのようなこの戦いはそう長くも続かなかった。


 途中から生物狩りが混ぜてきたもう一方の腕での薙ぎ払いに回避のペースを乱され重い一蹴をもろに腹に受けてしまったのだ。


 もともと超人的な体格をしている生物狩りと線の細い唯斗では体力、主に持久力に雲泥の差がある。


 完全に回避したとしても先に底をつくはずの唯斗の体力は受け流す度に蓄積するダメージで加速度的に減少していた。


 さらに先ほどまでの未来予知にも匹敵するような『先読み』。


 これも超能力によって生物狩りが生み出す、動作よりも一瞬早い気流の変化を見て動いていたからに過ぎない。


 使えば使うほど集中力と疲労が蓄積する超能力。


 それすらも自分の動きに組み込まねばならないほど唯斗の闘いは賭け…………逆を言えば敗北必死のものだったのだ。


 一本で自分の体重と同じくらいの重さのある蹴りをくらい、唯斗の身体は水切りの石のように地を跳ね、ガードレールをグニャリと曲げてなんとか止まる。


 決着は着いたとばかりに、生物狩りは軸にしていた片腕で地面を叩いた衝撃でブレイクダンスを強制終了させる。



「一般人にしては骨のある奴だった。しかし相手がこの私となれば話は違う。もう一度相見あいまみえることがないのが残念だ」



 そう言い残すと路地に投げ込まれて気絶しているシャロンに手を伸ばす…………が、木の幹ほどもある生物狩りの腕はしくもその筋肉が邪魔をしてあと一歩のところでつっかえた。



「小僧が。ここまで考えた時間稼ぎのようだったが……自分が投げたせいで奴を気絶させるとは目も当てられんな」



 生物狩りは腕を路地から抜くと改めてそれを引きしぼる。


 拳での一撃を以って路地を破壊しようとしているらしい。



「ぬんっ」



 野太い声と共に送り出された拳は大きな半円を描いて端正に積み上げられたブロック塀に直撃する。


 その瞬間、生物狩りは「ぐっ……」と苦悶の声を上げると路地の前から綺麗にフェードアウトしていた。



「おっさん、よかったな。もう一度相見あいまみえれるぜ」



 そこには口から血を垂れ流し、脇腹を血華に咲かせながらも拳を突き出しニヤリと笑う唯斗の姿があった。

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