第39話 天使の本性

「七海様……どうやってここに……?」


「黒竜からここまで転移させてもらったの。それにここが襲われているって黒竜からも聞いた」


 私がそう答えると、隣にいたスイレンも頷く。

 先程イブリスを助けるために放った魔術はスイレンが放ったものである。


「そう、だったんですね……。なら……黒竜の試練はどうなって……願いは……?」


「――大丈夫。望みは叶えてもらった。多分もうすぐパパは目覚める」


 私がそう答えるとイブリスはその目に希望を灯すが、しかしすぐさま不安な表情を浮かべる。


「……では、代償は……?」


「…………」


 私がここにいる以上、黒竜の望み成就による代償が私の命でないことはイブリスも気づいていた。

 ならば、一体何を代償としたのか。

 だが、今はそれを知る必要はない。

 今、重要なのは目の前に対峙している相手にどう対処するかである。


「あらあら~、驚きましたね~、七海さん~。しばらく見ないうちに貴方、随分怖い顔になりましたわね~」


 私とスイレンが現れるや否や、ラブリアは僅かにその顔に不快の感情を浮かべるものの、すぐさまいつもの微笑みを浮かべのんびりとした口調をする。

 だが、彼女のその口調も、優しそうな笑顔も全ては偽りであると私は十分承知していた。


「――あなたに聞きたことがあるの、ラブリア」


「はい~? なんでしょうか~?」


「……なんで、魔族を殺すの?」


「はい~?」


 私からのその質問に対し、ラブリアは心底わからないと言った顔を向けた。


「どうしてここまで魔王であるパパや、魔族の皆を殺そうとするの? スイレンの故郷にしてもそう。彼女達が何かをしたの? あのアゼルの話によれば魔族との戦いも元々は人間側が始めたと聞いたわ。だからと言って魔族を全てみなごろしにするような事が許されていいの? 彼女達だって同じ世界に生きる種族じゃないの? どうしてここまでするのか教えてよ」


 問いかける私に対し、しかしラブリアは相変わらず不可解な顔をしたまま、やがて一言を返した。


「だって~、気持ち悪いじゃないですか~?」


「え?」


 その一言に今度は私が意味がわからないと言った顔を向ける。

 そんな私の反応を見ながら、ラブリアは愉快そうに続ける。


「七海さんは~、ゴキブリって好きですか~?」


「え、何を……」


「好きなわけないですよね~。仮にあんなものを家で見かけたら殺す以外の選択肢なんてないでしょう~? では、なぜ殺すの~? と問われても気持ち悪いから以外に答えなんてありませんよね~?」


 ラブリアのその答えに私は困惑するしかなかった。

 つまり、ラブリアにとって魔族や魔王とは即ち――


「理由なんてありませんよ~。ただそこにいるのが気持ち悪いから殺す。皆殺しにする。私達に取って魔族とはそういう見るのも耐えられない、おぞましい存在なんですよ~」


 そう宣言したラブリアの眼を見て私はゾッとした。

 なぜなら、そこに映ったのは人を人とも見ない眼。

 文字通り地を這う汚らわしい害虫を見下ろす眼。理由なき殺意。見るのも汚らわしい。存在自体が許せないと、人が害虫に向けるような感覚、感情そのものであった。


「まあ~、そういうわけですの~、この世界にいる魔族は最後の一匹まで根絶やしにする予定です~。そのためなら我々天界の天使はこの世界の人間に力を貸すことは惜しみません~」


 そう言って翼を広げ光輝を身にまとうラブリアであったが、その姿はもはや天使というよりもただの破壊者であった。

 なぜイブリスが天界を裏切り、堕天使となって魔王であるパパに付いたのか、その理由がようやく分かった気がした。


「そう、よくわかったわ。あなた達とは話し合いは無理だって……」


「ええ、それは勿論~。畑を荒らす害虫とお話をする人間なんていないでしょう~?」


 天使にとって魔族とは文字通り、世界という畑に沸いた害虫。その程度の存在なのだろう。

 それを理解した時、私は目の前のラブリアに対し、遠慮ない殺意を抱いた。


「なら、こっちも遠慮なくアンタをぶん殴れるってものよ―――ッ!!」


 私がそう叫ぶや否や、地を蹴ると同時に瞬時にラブリアの眼前へと移動していた。

 彼女との距離は十メートル以上も離れていたにも関わらず秒をまたぐことなく瞬時に移動した私の脚力に、ラブリアは初めてその顔色を変えた。

 咄嗟に羽を動かし、そのまま後ろへ下がろうとするが、しかし遅い。


 私が振り上げた拳はそのまま風を切り、音を切り、かつてない速さと重さを持ってラブリアの顔面へとヒットし、そのまま彼女の体を遥か後方へと吹き飛ばした。

 それはこの世界に来てから初めてパパを殴った時以上の渾身の一撃。

 これで私は魔王と天使を殴った勇者として、不名誉な称号を授かりそうだ。


「すごい……七海様、その力は一体……?」


 一方で、背後ではそんな私の力の変化に驚くイブリスがいたが、それに対し答えたのは彼女を支えていたスイレンであった。


「七海は……魔王様の心臓を受け取って、その影響で魔王様の力が宿り始めている」


「え……?」


 スイレンのその説明にすぐさまイブリスはハッとして顔を向けた。

 そう、私自身気づいてはいなかったけれど、私の体はすでに以前とは違う力を宿しつつあった。

 それもパパからもらった心臓のおかげ。

 パパは自らの命を半分にすることで私を救った。

 それは文字通り、私の体にはパパの力の半分が宿っているということ。


 それを自覚し始めたのは黒竜の山でワイバーンの群れを追い払った時。

 そして、今、怒りに震えるままラブリアを殴ったことで確信した。

 今の私には戦える力があると。


「そうですか~、魔王の力が宿り始めているのですか~」


 しかし、その時、吹き飛ばしたはずのラブリアが翼をはためかせ、こちらへと舞い戻ってきた。

 その顔には確かにダメージが届いていたが、未だ笑みを浮かべたままのラブリアは不気味さを醸し出していた。


「なら~、あなたも一緒に処分しないといけませんわね~。七海様~」


 そう告げた次の瞬間、ラブリアの閉じていた瞳が開かれる。

 同時に彼女の頭上に輝ける光輝が溢れ、そこから無数の光の剣が構成され、それらが瞬く間に私めがけて降り注ぐ。

 咄嗟のことで、私はそのまま両手をクロスさせ、防御の姿勢をとるものの、剣は私の体の表面を幾度も切り裂き、剣の雨が終わった頃には私は血まみれの姿で片膝を着いていた。


「く……ッ!」


「七海様ッ!」


「七海!」


 背後にて私を呼ぶイブリスとスイレンの声が聞こえる。

 振り向きたいのは山々であったが、目の前のラブリアから視線を外すことが出来なかった。


「残念でしたね~。もう少しその力を制御出来るようになれば私を倒せたかもしれませんが~、生憎とそんな時間をあなたに与えるわけにはいきません~」


 そう言って私の眼前まで近づいたラブリアがその手にこれまでにない光を集約させ、それを私の顔へと近づける。


「では~、さようなら~、七海さん~」


「……ッ!」


 自らの勝ちを宣言し、その光を解き放とうとした瞬間、ラブリアの体が遥か後方へと吹き飛ぶ。


「な……がぁッ!!」


 それはまるで巨大な衝撃波に吹き飛ばされるように彼女は遥か後方に存在した岩壁に体をぶつけると、そこに巨大なクレーターを作る。

 そして、私達の背後より聞き慣れたある男性の声が響いた。


「ゴキブリ、か。なかなか面白い例えだな」


 振り向いた先、そこにいたのは一人の男性。

 漆黒の髪に、英国貴族が身にまとうような衣装を着て、悠然とあるその姿はまるで王や貴族のような雰囲気をまとわせていた。


「だが、その例えで言うなら、貴様はさしずめ我が領土を荒らす羽の生えた害虫、即ちハエといったところか」


 その人物の姿を見た瞬間、イブリスもスイレンも嬉しさのあまり涙を流し、そしてまた私もその顔に笑みを浮かべた。


「ならば、ハエは即刻駆除しなければな」


 その男――黒きオーラを身にまとう闇の眷属達の王。この世界の魔王にして、私のパパがそこに立っていた。

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