第九章 悔いなき答え2

 夜がやってきた。

 しんとした冷気が部屋に満ちている。外に耳を澄ますと、虫の鳴き声が心地よく耳に響いた。

 廊下のほうで、誰かの足音が近づいてくるのが聞こえてきた。

 緊張が少しずつ、体の奥のほうから沸き上がってくる。

 足音はわたしの部屋の前までくると、ぴたりと止まった。そして、そこからよく通る低音の声が聞こえてきた。

「メイリン、入るぞ」

 す、と戸が開く音がして、リーシンが姿を現した。わたしはそれを見て、ぎゅっと拳を固く握りしめた。

「こんばんは」

 わたしがそう言うと、リーシンは「ああ」とだけ返し、どこか視線を辺りにさまよわせながらこちらへと近づいてきた。

 彼はわたしの立っている窓辺のところまでやってくると、そこでようやくわたしに視線を合わせた。その目には、いつになく緊張の色が見え隠れしているように見えた。

「とうとう今日が賭けの期日ね」

 わたしの言葉に、彼は軽く目を伏せ、こくりとうなずいた。

「……そうだな」

 こころなしか、彼の声は沈んでいるように聞こえた。

「たったひと月の間だったけれど、この後宮に入ってわたしはいろいろな経験をしたわ。その間にこの国も大きく動いた」

 わたしは視線を少し下に向け、彼の手の辺りを見つめていた。大きな手。その手は今は固く握られている。

「あなたのお陰で、この国のことをより知ることができた。そして今、この国は新しく生まれ変わろうとしている。それをこの目で見られるかと思うと、とても幸せだわ」

 視線を少し上げる。彼の広い肩がそこにあった。

「わたし、ここに来て、最初はすぐにでも逃げ出したい気持ちだった。ようやく就けた宮廷料理人という職から引き離されて、慣れない生活を強いられて、こんなことを平気でしてくる王様という人が信じられなかった」

 それを言うと、彼は一瞬の沈黙のあと、「すまない」と押し出すような声で言った。

「ううん。それはもういいの。でも、あなたという人を知っていくにつれ、そんな気持ちもいつの間にかどこかへと行ってしまった。そしてその代わりに、違う感情がわたしの中で芽生えていった」

 わたしは視線を上げて、そこにある彼の双眸を見つめた。黒曜石のような美しいその瞳の中に、わたしが映って見えていた。

「あなたが好き」

 彼は、はっとしたように息を呑んだ。

「わたし、あなたのことが好きになってしまったの」

 リーシンの瞳が揺れる。信じられないとでも言うように。

「嘘、だろう? だって、お前はあのフェイロンという幼馴染みの男のことが……」

 わたしは首を横に振った。

「彼のことはとても大切な存在よ。だけど、それとこの気持ちは違う。わたしはあなたのことが好き。……愛してるんだと思う」

 それを聞いたリーシンは、目を皿のように大きくして、口を固く結んでいたかと思うと、突然天を仰いだ。

 そして両方の拳を天井に向かって突き上げると、大きな声で叫んだ。

「やったーーーっ!」

 それから彼はわたしに向き直り、両手を広げてわたしをぎゅっと思い切り抱き締めてきた。

 突然の抱擁に、わたしは動揺して心臓が飛び出そうになった。

「リ、リーシン……?」

「嬉しいぞ! メイリン! こんなに嬉しいことはない!」

 彼はわたしの体を抱き締めたまま持ちあげ、ぐるぐるとその場で三回くらい回った。

 それこそ目が回ってしまう心境のわたしを、彼はようやく解放してくれた。

 ドキドキと心臓が早鐘を打っている。

 本当に、心臓に悪いったら。

 リーシンはなおも嬉しそうにしながら、わたしの両手を握り締めていた。骨張った大きな手は、思っていたよりも温かだった。

 しかし、わたしにはまだひとつだけ疑問が残っていた。

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