第八章 発覚3

「リーシン!」


 みなの目があることも忘れ、わたしはそう叫んでいた。タオシェン将軍、リューフォンさんも、一斉に腰の物に手をやっていた。


「ユンバイ、貴様……」


 リーシンは自分の喉元に突きつけられた切っ先を前に、喘ぐように言った。


「ユンバイ殿! 王に刃を向けるとは、許されぬ行為です! わかっているのですか!」


「そうだ! 貴様、このおれの目の前で、そのような真似をして、ただではすまんぞ!」


 リューフォンさん、タオシェン将軍がそう叫び刀を抜こうとするのを、しかし当のユンバイさんは、不敵な笑みを浮かべながらこう言い返した。


「おや、いいのですか? 今それを抜いても。その前に、私のこの短刀の切っ先は王の喉を切り裂きますよ。王家の血が途絶えることになってもよろしいのですか?」


 そう話すユンバイさんは、いつもの謹直な人物とはまるで別人のようだった。そこにいたのは、まるで蛇のようにしたたかで、毒のある人物の姿だった。

 王の命を盾にとられた形となったリューフォンさんとタオシェン将軍は、腰の物を抜くこともできず、ぎりりと歯噛みをした。


「そうか……。丞相の屋敷を監視させていた報告のものは、金庫がよそへ持っていかれたというようなことはひと言も言っていなかったが、あの監視のものは、もともとユンバイ殿の親類筋のもの。そのものも裏切り者だったということか……」


 リューフォンさんがそう言うと、ユンバイさんはくつくつと笑った。


「ようやくお気づきになられましたか。切れ者と名高いリューフォン殿の裏をかくのは、なかなか楽しかったですぞ」


 その言葉に、リューフォンさんは奇妙に顔を歪めた。


「帳簿も事前に書き換えていたんですか?」


「ええ。実際の帳簿は焼き捨て、すべて新たなものを用意しておきました。性急に事を運ばねばならず、かなり大変でしたがね」


「……つまり、すべてのことはあなたを通して丞相にも筒抜けだったというわけですか」


「そういうことです。すべてはこちらの思惑どおりに進んでいた。そのはずだったのに……」


 ユンバイさんはそう言うと、視線をリーシンのほうへ戻した。


「この王都内にある建物すべてを抜き打ちで調査するなど、まさに青天の霹靂。変わり者の王となめておりましたが、なかなかどうして、やってくれましたな!」


 きらりと彼の手の中の短刀が光を放ち、わたしは恐怖に身を凍らせた。


「ユンバイ! 貴様、王からあれほど重用されておりながら、そのようなことを……! 断じて許せぬ! このおれが生きては返さぬぞ!」


 タオシェン将軍が恫喝するように言ったが、ユンバイさんは動じなかった。


「もうこうなってしまっては、そうなるのも致し方ありませんな。しかしそれよりも、もっと建設的な話があるのですが」


 ユンバイさんはそう前置くと、こんなことを提案してきた。


「ここで私を見逃せば、王の命は助けます。それを保証してくだされば、私はすぐにこの短刀を納めましょう。でなければ、このまま王の喉を切り裂くよりありません。どうでしょう。悪くない取引だと思いますが」


 毒蛇はしたたかに牙をちらつかせてくる。

 わたしたちに、選択肢はなかった。


「まず、武器をはずし、手の届かない場所に置いていただきましょう。そして、陛下は私とともに、外まで来ていただきます。とその前に、陛下の腰の物もはずさせていただきますよ」


 ユンバイさんはそう言うと、リーシンの佩刀していた刀を抜いて、後ろへと放った。

 リューフォンさんとタオシェン将軍も、是非もないといった様子でそれぞれ武器を部屋の隅に置いていった。

 そうして、ユンバイさんはリーシンを連れて、館の出口まで向かった。


「……ユンバイ。訊いてもいいか? なぜこんな真似を……? おれはお前のことを、忠義心の厚い、真面目な男だと思っていた。おれのよき理解者だと……」


 首元に短刀を突きつけられながらも、リーシンはそんなことをしゃべっていた。それに対し、ユンバイさんはこう答えた。


「陛下。それはまだまだ人を見る目が甘いということです。まだお若い陛下には、理解できないでしょうな。この世は残酷で厳しい。したたかでなければ生きられぬ場所です。弱いものは強いものに食いものにされ、愚者は巧者に出し抜かれる。私はそうしてこの世の中を渡り歩いてきたのです。陛下に取り入り、丞相と結託したのも、自分が生き抜くためにしたこと。それだけのことなのです」


 ユンバイさんは扉を開け、リーシンを連れたまま、しばらく歩いていった。わたしたちは、それに少し離れてついていった。


「逃げるのに安全な場所まで行ったら陛下を解放しましょう」


 夜の暗闇の中で、ユンバイさんの冷徹な声が響いていた。辺りはとても静かで、そんな中でこんな物騒なことが繰り広げられていることが、なんだか信じられなかった。

 わたしは、恐怖で心が支配されたまま、しかしどうすることもできずに、ただ言われたとおりに動くしかなかった。

 心で思うことはただひとつ。


 リーシンに死なないで欲しい。

 どうか、彼を傷つけないで欲しい。

 わたしは祈るように、それだけを思い続けていた。


「この辺りまで来れば、大丈夫でしょう」


 ユンバイさんはそう言うと、道の真ん中で立ち止まった。道の少し先にはかがり火が燃えている。


「あなたたちも下がっていてください。私がこれから合図します。その合図が終わったら、私は陛下を解放して去っていきます。いいですね」


 ユンバイさんのその言葉に、わたしたちは従った。


「では、いきますよ。三、二」


 一と言った瞬間に、リーシンの体は突き飛ばされ、ユンバイさんは向こうへと走り去っていった。

 それを見たリューフォンさんとタオシェン将軍は、すぐさま追いかけようとしたが、リーシンがそれを止めた。


「行くな! 二人とも!」


「しかし、陛下!」


「あいつは謀反人だ。しかし、それでもおれは、あいつを殺すのが忍びない……」


「陛下……」


 リーシンの言葉に、わたしたちが戸惑っていたときだった。

 ユンバイさんが駆けていった先から、人の叫び声がした。

 それを聞いたわたしたちは、驚き顔を見合わせると、すぐさまそちらの方向へと走っていった。

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