第七章 裏切り3

 夕方になり、外の空気がひんやりとしてきたころ、わたしは再び庭園の池のほとりに立っていた。

 西の空は茜色に染まり、沈みゆく太陽が赤く燃えていた。遠くにある山々の稜線が黒い影となって、夕暮れ色をその形に切り取っていた。


 わたしは太陽に向かって手を合わせ、今日も無事に過ごせたことを感謝した。村で両親が野良仕事のあと、いつもそうしていたことを思い出す。当たり前のようにそれは子へと受け継がれ、こうして太陽に手を合わせることは、わたしにとっても自然なこととなっていた。


 庭園の池には影が落ち、水の底はもう暗くて見通せない。その水底の世界はきっととても冷たくて寂しいだろうと、なんとなくそんなことを思った。

 シェンインが少し離れたところでわたしを見守っていてくれていた。先程わたしが、一人になりたいと頼んだからだ。

 一人で外の空気を吸っていないと、なんだかどうにかなってしまいそうだった。

 いろいろなことがわたしを惑わせて、どうしようもなく胸を塞いでくる。


 失敗に終わった作戦。

 皇太后の言葉。

 フェイロンのこと。

 そして、結婚をあきらめると言ったリーシンのこと――。


 それらのすべてのことが、わたしの中でぐちゃぐちゃと絡まり、わたしの心をがんじがらめにする。そして、身動きを取れなくする。


 なにもかもがうまくいかない。

 なにもかもが、わたしの思いとは裏腹に、勝手に違う方向へと進んでいく。

 どうしたらいいというのだろう。

 わたしはこれからどうしたら――。


 呆然と池のほとりで立ち尽くしていると、東のほうから誰かが砂利を踏んで歩いてくる足音が聞こえた。

 わたしがはっとして顔を上げると、その足音の聞こえてきた方向から声がした。


「池のほとりで夕陽に佇む乙女の姿。なかなか絵になっているぞ」


 リーシンだった。

 こんなときに出くわすとは夢にも思わず、わたしは驚愕のあまり、しばらく声が発せなかった。

 夕陽に照らされた彼の顔は、少しやつれているように見えた。

 彼の後ろには従者として付き従っている様子の、ユンバイさんの姿があった。


「あ、ご、ごきげんよう。王様」


 わたしは外ということもあり、シェンインの目なども考慮して、拱手して頭を下げた。


「まあ、堅苦しい挨拶はよせ。楽にしていろ」     


 彼がそう言ったので、わたしも少しだけ肩の力を抜いた。

 わたしが黙ったまま立ち尽くしていると、リーシンがわたしに近づき、隣に立った。驚いて彼の顔を見つめると、彼はなにも言わずに笑みを見せた。

 彼にはいろいろ訊きたいこと、話したいことがあった。

 けれど、他人の目もある今は、込み入った話はできない。そのことがもどかしかった。

 失敗に終わった作戦のことを、彼はどう思っているのだろう。

 そして、もう本当にわたしとの結婚はあきらめてしまったのだろうか。


「陽が沈んでいくな」


 彼は夕陽に目を細めていた。

 わたしもそれに釣られて、夕陽に視線を戻す。

 茜色に染まった景色の中、太陽は少しずつ山の稜線にその身を沈めていっていた。


 静かに時は過ぎていった。

 なにを語るでもなく、なにをするでもなく、ただ夕陽が山に沈むのを、わたしたちは眺めていた。


「さて、涼しくなってきたし、そろそろ部屋に戻れよ」


 なにか不思議な時を過ごし、ぼんやりとしていたわたしに、リーシンはそう呼びかけた。


「あ、……はい」


 わたしは素直にそう返事をした。それを見届けると、リーシンは颯爽とその場から去っていった。


「メイリン様。戻りましょうか。お部屋のほうへ」


 シェンインがそばに寄ってきて言った。


「ああ、うん。そうね」


 わたしはそう言うと、陽の沈んだその場所から離れていった。

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