第六章 決行8
作戦は、予定どおりに進んでいた。財務部では正しく調査が行われ、最初に見つかった偽貨幣以外には、新たな偽貨幣は見つからなかったようだった。しかし、まだ財務部の調査は続いているという。わたしはそれを噂話をしている女官たちから盗み聞き、ほっと胸を撫で下ろしていた。
その日は昨日に続いてまた会合を行うことになっていて、わたしはそのときにどんなことが話されるのかと、胸をドキドキと高鳴らせていた。
いつものようにわたしは夜中に部屋を抜け出し、暗闇の藪の陰で懐に入れた小刀に手を当てながら、リーシンを待っていた。昨日の事件があったことで、彼はわたしに自分の小刀を預けてくれていた。護身用に持っていろとのことだったが、まずそれを使うことはないだろう。しかし、なんとなくそれに手を当てていると、不思議と安心感があった。
しばらくしてリーシンが現れると、わたしは彼の前に姿を見せた。
「リーシン」
期待で胸が膨らんでいたわたしだったが、そこで見た彼の表情は、想像と違ってどこか厳しさを含んだものだった。
どうしたのか訊ねたい気持ちでいっぱいだったが、彼は沈黙したままだったので、それを訊ねることは控えた。
そして黙ったまま、わたしはリーシンと会合のある館へと向かっていった。
途中、昨夜の暴漢に襲われた付近までさしかかると、わたしは緊張に身を強張らせ、リーシンの着物を無意識に掴んでいた。
それに気づいたリーシンが、わたしを安心させるようにささやく。
「大丈夫だ。おれも充分警戒はしている」
その言葉を信じ切っていいものかわからなかったが、わたしは黙ってこくりとうなずいた。
やがて、無事に館へと到着した。中に入ってわたしが安堵のため息をつくのを、リーシンは苦笑しながら見つめていた。しかしすぐに、表情は厳しいものへと変わってしまった。
いったいどうしたというのだろう。なにかよくないことでもあったのだろうか。
すでに館にはいつもの面々が集まっていた。しかし、部屋に入った途端、その空気が重いものになっているのを感じた。みなの表情も、一様に暗い。
そのことに、わたしは不安を覚えていた。
「例の作戦のことについてだが」
みなが席についたのを見計らって、リーシンが口を開いた。
「みなももう聞いて知っているようだから、簡潔に話す」
眉根を寄せ、低い口調で彼は言った。
「作戦は失敗に終わった」
わたしはそれを聞き、がんとなにかに打ちのめされたような気がした。
聞き間違いではない。リーシンは、確かに言った。
作戦が失敗に終わったと。
どういうことなのかと、わたしは目顔で彼に問うた。それをちらりと見たリーシンは、再び口を開いた。
「財務部の調査で、帳簿と国庫の金額とを照合した結果、そこにはなにも相違がないということが証明された」
わたしは大きく目を見開いた。
「嘘……。そんなはずは……」
「そう。おれもそんなはずはないと、その報告を聞いて、国庫と財務部を調べた。しかし、確かにそこにはなんの差異も見つからなかった」
「で、でもこの間リューフォンさんが持ってきた竹簡には……」
「ああ。横領の事実があったことは間違いないはずなのに、その証拠はなにも見つからなかった。監察官もいたあの場で、財務部が帳簿を隠したりした事実もなかったようだ。しかし、帳簿と国庫に残っている金額に、間違いはなかった」
それは、どういうことなのだろう。横領の事実はなかったということなのだろうか。こちらの勘違いだったということなのだろうか。
しかし、リューフォンさんが持ってきていた竹簡に記載されていた修繕費は、額面どおりに使われてはいなかったはずだ。そのお金はどこかに確実に消えている。そしてそれは、丞相の屋敷へと運ばれているということも、すでに掴んでいたことだったのだ。
「私も財務部におもむき、調査に加わりましたが、やはりそこに横領の事実を見つけることは叶いませんでした」
リューフォンさんが静かに言った。その口調からは、苦渋の響きがしていた。
「そんな……。だって、今回の調査は事前に準備のできるようなものではなかったはずですよね? すべての帳簿を洗い出して都合の悪いものを隠滅し、新たに帳簿を作り替えるような時間などなかったはず。なのにどうして……」
わたしがそう言うと、リーシンが唇を噛み締めながら言った。
「事前に情報が漏れていた。そうとしか考えられない……」
彼はきつく握った拳を、円卓の上にどんと叩き付けた。静かなる怒りが、そこには込められていた。
「情報が? でも、その作戦についての話は、ここでしか話されていないことのはずですよね。そんな情報が漏れるようなことはなかったはずじゃ……」
わたしが狼狽えながら言うと、今度はタオシェン将軍が重々しく口を開いた。
「そう。そんなことはありえない。がしかし、事実はこの結果だ」
「どこかで密偵が潜んでいたのかもしれませんな」
とはユンバイさん。
部屋の空気は重く張りつめていた。
しかしわたしは、あることに気づいて再び口を開いた。
「でも、偽貨幣のことがあるじゃないですか。偽貨幣が丞相の屋敷から見つかれば……」
わたしの言葉に、リーシンが首を横に振った。
「それも手遅れだった。急いでこちらの手のものに丞相の屋敷を捜索させたが、そこからはなんのお金も見つからなかった。もう、すべてどこかへと運び出されたあとになっていた」
「そんな……」
わたしはそれを聞き、絶望に心を支配されたような気持ちになった。それでは、すべての作戦は失敗に終わったということではないか。そんな馬鹿なことがあるだろうか。
「だ、だけど、丞相は留守だったはずですよね。偽貨幣の入ったお金が運ばれたのが昨日なのに、そんな隠す暇なんかなかったはず。それが見つからないなんて、おかしいですよ」
「しかし、事実それは丞相の屋敷のどこからも見つからなかった。昨日から丞相の屋敷を手のものに終始監視させていたから、不審な点はなかったはずなのだが、偽貨幣や横領した多額の金が見つかることはなかったんだ」
そんなはずはない。この国で流通している貨幣は、円形の銅貨である。もちろんそれは多額になればなるほどかさばるもので、そうたやすく隠せるような類のものではない。幾度もそれが丞相の屋敷に運び込まれているのを密偵が見ているのだ。それがまったくないなどということは、考えられない。きっとどこかにあるはずなのだ。
「なにか、こちらの目をあざむくような手を使ってどこかに隠したのに違いないが、いったいどうやって隠しおおせたのか……」
「監視のものに、怪しいものが出入りしていなかったか問い糾しているところなのですが、そういうものはいなかったとしか。きっとどこか近い場所に隠しているのに違いないのですが、今日の段階ではそれを見つけることはできませんでした。そしてさらに悪いことには、もう明日には丞相が王都に帰ってきます。そうなると、こちらの独断で今日のように丞相の屋敷をあらためるようなことは難しくなるでしょう。今回の作戦は、完全に失敗です。今後丞相の不正を見つけることがさらに難しくなることは、火を見るより明らかです」
リューフォンさんはそう言って、天を仰いだ。
完全なる失敗。
丞相を追いつめる機会は、もう失われてしまった。
そのあまりに無惨な結果に、わたしは打ちのめされていた。
胸を膨らませていた期待や希望といったものは、霧散してどこかに消えてしまっていた。代わりに大きな虚しさだけが胸に残っている。
この国は変わる。
そう思っていたのに。
きっといい国になるのだと、そう思っていたのに。
どうして思うようにいかないのだろう。
どうして……。
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