第六章 決行1

 リューフォンさんの作戦は、水面下で動いていた。

 それがうまくいくかどうかは、相手の動き次第ではあるが、リューフォンさんの密偵からの報告によると、今のところ予定どおりに事は進んでいるらしい。

 このまま作戦が成功すれば、丞相の悪事は明るみに晒される。

 そして、その地位から引きずり下ろすことができるだろう。

 その日、わたしはシェンインや他の女官たちに、部屋でずっと拘束される羽目になっていた。


「メイリン様。腕を伸ばしていただけますか?」


「こう?」


「はい。そのままじっとしていてください」


 ものさしを当てられ、腕の長さを計測される。

 それは、身長から始まり、頭囲、胸囲、胴や尻周りなど、体中の至るところの寸法を測られた。


 まるで晒し者のようである。

 しかし、それは、この先の婚姻の儀の衣装などの準備に必要なことであるらしい。

 実際にその婚姻の儀に出ることになるかどうかは、本当のところはわからないのだが、ここにいる女官たちにはあずかり知らぬこと。彼女たちの仕事に協力するため、わたしは言われるまま、思う存分彼女たちに自分の体の情報を与えていた。


 しかし、こんなに多くの人間に、自分の胸囲や胴囲を知られることになるとは思いもしなかった。こんなことなら、もう少し自分の体つきのことを考えていればよかった。

 まあ、考えたところで胸が大きく育つとも思えないが。


 ようやく解放されたころには、わたしはどっと疲れ果てていた。

 王家の婚姻というのは、わたしが思っている以上に大がかりなもののようだ。


「メイリン様。お疲れ様でした。どうぞ、白湯をお飲みください」


 シェンインが差し出した白湯をわたしは素直に受け取ると、一気に飲み干した。喉もかなり渇いていたらしい。


「婚姻の儀の準備は、結構進んでいるのかしら……?」


 わたしがそう訊ねると、シェンインは嬉しそうに言った。


「はい。急でしたからバタバタとして申し訳ありません。衣装の布地もようやく王宮に届きまして、今日からみなで取りかかるところです。どうにか日にちまでには間に合わせようと、みな総出で頑張っておりますよ」


 それを聞いて、わたしはとてつもなく申し訳ない気持ちになった。

 わたしがリーシンとの賭けに買って、王妃になることを拒めば、彼女たちの努力はまったくの水の泡となる。

 きっと彼女たちは、寝る間も惜しんでわたしのために衣装をこしらえてくれるのだろう。それを思うと罪悪感で胸がいっぱいになってしまった。

 わたしが俯いているのに気づいて、シェンインが心配そうに声をかけてきた。


「メイリン様?」


「ああ、ごめんなさい。なんでもないの。ただ、シェンインからもみんなに言っておいて欲しいんだけど、あんまり無理はしないで。もちろんあなたもよ」


 わたしがそう言うと、シェンインはにこりと微笑んだ。


「はい。お気遣いありがとうございます。けれど、女官たちはみな、婚姻の儀のための衣装作りに携われることを誇りに思っているんですよ。こんな栄誉ある仕事を任されて、大変さよりも嬉しさでいっぱいだと思います。だから、ご心配は無用です」


 シェンインの言葉に、わたしの罪悪感はさらに膨らんだ。


「けれど、婚姻の儀に、皇太后様はきっと来られないわよね。あんなにお怒りだったのだもの。それなのに、本当にこんなふうに推し進めてしまって大丈夫なのかしら」


「……それは、わたくしにもわかりません。けれど、メイリン様がお気に病むことはありません。どうか、そのことは頭から忘れ去ってください」


 シェンインはそう言ったが、さすがにそういうわけにもいかなかった。

 あれ以来、わたしは皇太后に会っていなかった。きっと彼女は、わたしの顔を見るのも嫌だろう。もし本当にわたしが王妃になったとしたら、彼女の怒りがどれほどのものになるのか、想像するだに恐ろしい。

 やはり、この結婚はもとから無理があるのだ。

 しかし、わたしはいまだに悩みを断ち切ることができないでいた。


 リーシンの、あの言葉。

 もうなにも望まないと言った彼の気持ち。

 それが、酷く悲しくて、つらかった。

 彼は、わたしのことをあきらめたのだ。

 わたしを妃にすることを、彼はもうあきらめてしまった。

 それは本来なら、歓迎するべきことのはずだ。

 わたしは解放される。

 もう、王妃などという、身の丈に合わない地位につかされなくて済むのだ。


 なのに、どうしようもなく胸のうちが寂しかった。なにか、ぽっかりと穴が開いてしまったようで、悄然とした風が体の中を渦巻いていた。


 悲しい。

 とても悲しい。

 なぜ?

 なぜわたしはこれほどまでに悲しいのか。


 その答えはわたしの中にあるのに、どうしてだかその答えのある扉を開けることができなかった。


 その扉を開けてしまったら、駄目だ。

 もう、戻れなくなる。

 戻れなくなる?

 どこに?


 わたしはわたし自身理解できない感情に、戸惑っていた。

 本当の恋というものを知らないわたしは、この自分の感情がなんなのか、わからなかった。

 悲しい恋をしたシェンイン。

 わたしを好きだと言ったフェイロン。

 きっと、その想いはまっすぐで、熱い。

 それとわたしのこの感情は、どこか違う。ここにあるのは、どうしようもなく悲しい想いばかりだ。思い惑って、苦しいばかりのこの感情が恋だと、どうして言えるだろう。


「メイリン様?」


 黙り込んでしまったわたしを訝しく思ったのだろう。シェンインが再び心配そうに声をかけてきた。

 わたしはそれに、笑って首を振った。


「ううん。少し、疲れてしまっただけ。気にしないで」


 シェンインは、なおも心配そうにわたしを見つめていた。

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