第五章 月との距離3

 自分の部屋で、わたしはそわそわとしていた。そんな姿を訝しく思ったらしいシェンインが、声をかけてきた。


「どうされたんですか? なにか、気になることでも?」


 部屋の掃除に来ていたシェンインは、床を拭いていた雑巾を手元で折りたたんだ。


「ああ、ごめんね。なんでもないの。わたし、掃除の邪魔だったかしら?」


「いえ、とんでもございません。メイリン様はどうかおくつろぎを。なんでしたら、わたしのほうがのちほどおうかがいしますが」


「いいのいいの。気にせず仕事を続けて。ちょっと、わたし考え事をしているだけだから」


 こちらのほうを訝しげに見ていたシェンインだったが、わたしがそう言うと、再び雑巾で床拭きを始めた。

 朝食後の朝の時間、女官たちは忙しく立ち働いている。部屋の外の廊下でも、先程から女官たちが、雑巾がけをしながら行き来していた。

 新鮮な朝陽の中、仕事に励む彼女たちの姿は眩しく輝いて見える。

 宮廷料理人だったころの自分と重なり、彼女たちを少し羨ましく思う部分もあったが、今はそれよりも、昨夜の会合の話し合いのことで頭がいっぱいだった。

 そのせいで、わたしは今朝からそわそわとしていたのだった。


 リューフォンさんの提案した作戦は、うまくいくのだろうか。

 丞相の悪事は、本当に明るみに出るのだろうか。

 もし本当にそれがなされれば、国にはびこっていた病である役人たちの賄賂などの悪事は、粛正されていくはず。

 国の中枢が変われば、それはきっと国中に広がっていくはずだ。

 わたしは作戦がうまくいくことを、心から願った。

 新鮮な朝の空気のように、清らかな国がやってくることを、わたしは願った。


 やがて掃除が終わると、今度はこの国の歴史の講義の時間がやってきた。


「この国が統一を果たす前は……」


 宦官である先生は、壮年の真面目そうな人だ。実際、話し方も真面目だった。しかし、どうもこの講義を聴いていると、毎回眠気が襲ってくる。


「……こうして、我がエン国は長い戦乱の世を終わらせたのである。それから……」


 この単調な話し方のせいだろうか。長々と続く講義は、どうにもわたしの肌には合わなかった。


 あ。蝶々。

 窓の外を、白い蝶が舞っていた。

 ひらひらと、蝶は花の上を舞う。

 とそこに、もう一匹の蝶がやってきた。

 二匹は互いにぱたぱたと羽根をはばたかせ、なにかを会話しているかのように踊っていた。

 そんな様子に、わたしは少し心が癒され、顔をほころばせた。


「……というわけです。……メイリン様?」


 名を呼ばれて、はっと振り返ると、渋い顔をした先生の姿があった。

 しまった。つい、窓の外の庭の景色に気を取られ、講義から意識が完全にそれてしまっていた。


「今の説明、おわかりになられたのでしょうな?」


 先生のその指摘に、わたしはうなだれるしかなかった。


「すみません。もう一度、お願いします……」


 そうして、またしても長く退屈な講義を聴く羽目になったわたしだった。

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