第四章 それぞれの想い6

 行商人たちの次の目的地は、東の峠を越えた先の町だった。インホンもそれについていくらしかった。おれがついて回ることに、なにも言ってこないことをいいことに、おれはどこまでもインホンについていった。彼についていけば、たくさんの世界を見ることができる。自分の知らなかった世界のことがわかる。そう思っていた。

 そうして、一行は東の峠に差しかかっていた。


 ――最近よくこの辺りで、追いはぎに遭うという話を耳にする。


 インホンはそう言って、周囲に鋭い視線を走らせていた。


 ――とにかくここを早く抜けよう。


 一行は、先を急いだ。おれは、追いはぎというものがどういうものなのか、そのときはあまり理解できていなかったが、なんとなくその響きに不穏なものを感じていた。

 そのうち、鬱蒼とした茂みに囲まれた辺りに差しかかった。

 先頭を行くインホンは、少し馬足を速めた。商人たちも、少し緊張した面持ちをしていた。


 そして、悪い予感は的中した。

 先を進むインホンの騎馬の前に、正体不明の馬影が姿を現していた。そしてそれは、馬車の後方からも近づいてきていた。


 ――速度を落とすな! このまま押し通る!


 インホンが叫んで、剣を鞘から抜いた。

 そして、前方にいる騎馬に向かっていった。

 ガキン! と剣戟の音が辺りに響いた。


 ――先に行け! おれがやつらを止める!


 インホンの言葉に商人たちはうなずき、インホンの横を馬車が通り抜けていった。おれは叫んだ。


 ――インホン!


 その声に、一瞬インホンがこちらに目をやったのが見えたが、馬車はそのままそこから遠ざかり、すぐにその姿は見えなくなってしまった。

 おれはたまらなく不安だった。腕には自信があると言っていたインホンだったが、左腕が使えない状態で、自分よりも多くの敵を相手になど、できるのだろうか。相手は少なくとも三騎はいた。インホン一人で立ち向かうには、分が悪いように思えた。

 幸いというべきか、馬車は峠を抜け、広い街道まで逃げて来られていた。しかし、インホンはなかなか現れなかった。行商人たちはしばらく待っていたが、やがて待つことをやめて町のほうへと向かっていった。


 ――インホンを見捨てるのか!


 おれは行商人たちを非難した。けれど、おれのそれは、彼らにとってお門違いのものだったらしい。

 行商人の一人が言った。


 ――そういう契約なんだ。護衛に危険は付きもの。命を危険に晒すことを承知で、彼は一緒に旅をしてきた。戻らないということは、もう待っていても仕方がない。


 ――嘘だ! インホンは、まだ死んでない!


 嫌々をするように、おれは行商人たちに向かって喚いた。しかし、返ってきたのは駄々をこねる子供を諭すような、大人の言葉だった。


 ――その命を無駄にしないためにも、わたしらは次の町に向かわなければならない。わたしたちは、そういう生活をしているんだ。


 馬車はそうして、次の町へと向かっていった。おれは、揺れる馬車の隅にうずくまって泣いた。どうにもならない、やるせなさと悔しさと、大事な人を失ってしまったかもしれないという悲しみに、おれはただひたすらに泣いていた。

 行商人たちは次の町に着き、何事もなかったかのように商売を始めた。

 連れをなくしたおれを気遣って、行商人たちはおれの世話を焼いてくれたが、おれはなにもする気力が起きなかった。行商人たちの逗留する宿の片隅で、呆然として時を過ごした。


 そうして、とうとう夜になった。

 夜になっても、インホンは姿を現さなかった。行商人たちは、インホンはすでに死んでしまったと思っていたようだったが、それでもおれはまだ信じられなかった。

 インホンは生きている。死んでしまったはずがない。

 そう信じることだけしか、おれにできることはなかった。

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