第四章 それぞれの想い4
夜が近づくにつれ、わたしは胸が落ち着きなくドキドキとしてきた。
いつも夜更け近くになると、リーシンはわたしの部屋を訪ねてきた。しかし、昨日のことがあったばかりで、今日彼がここに来るとも思えなかった。
来なければ来ないほうがいいはずなのに、なぜだかわたしは不安で落ち着かなかった。
廊下のほうから、足音が聞こえてきた。
わたしは、はっとしてそちらのほうを振り返った。入り口の戸の透かしに、月明かりで照らされた人影が映りこんでいた。
その姿は、もうこの数日間の間で脳裏に焼き付けられてしまった人の姿と同じだった。
それを見たわたしは、ほっと息をついた。
そして、そう安堵した自分に驚いていた。
「メイリン。入るぞ」
そう言って部屋に入ってきたリーシンは、いつものようにわたしの座っている寝台のところまで進んできて、わたしの隣に座った。
毎回のことであるにも関わらず、毎回緊張する。
とりあえず、まだ結婚前ということからか、リーシンが体を求めてくることはないが、この状況は、よく考えるまでもなく、そういうことになってもおかしくない状況だ。
わたしは、激しく拍動する心臓の音を落ち着けようと必死だった。
「……毎回思うが」
そんな台詞が横から聞こえてきた。
「そんなに緊張しなくていいぞ。まだ、手は出すつもりはないから」
リーシンは呆れたように言った。
わたしはそっとそちらに顔を向けた。するとそこに、柔らかい表情をした彼の姿があった。
昨日の剣呑とした顔つきから一変した彼の表情に、わたしは安堵すると同時に、訝しく思った。
「あの……リーシン?」
「なんだ?」
わたしは少しの間躊躇して、それから話し始めた。
「昨日のことなんだけど……」
わたしがそう言うと、彼はふっと顔を曇らせた。
「いろいろ、話しておかなければいけないんじゃないかと思って……」
一瞬、しんとした静けさに部屋が包まれた。
結局、あれから後宮に忍び込んだ曲者を捕らえたなどという話は聞いていない。昨日のことを、彼は不問に処すことにしたのだろうか。それとも、なにか考えがあるのだろうか。
わたしがそんなことを考えていると、おもむろにリーシンが口を開いた。
「心配するな。昨日のことは罪に問うことはしない」
「え?」
わたしはリーシンのその言葉に、目を大きくした。
「昨日のことは、今回に限り、罪を免じる」
「それは……わたしや彼のことを、不問に処すということ……?」
リーシンは、首を縦に振った。
「あいつは、お前にとって大切な存在なんだろう?」
わたしはそれに、こくりとうなずく。
「友達として、とても大切に思っているわ」
そうわたしが言ったあと、少しの間を置いて、リーシンがつぶやいた。
「ただの友達というふうには、見えなかったけどな……」
リーシンは、すっと視線をわたしから正面に移し、行燈のほうに顔を向けた。その灯りに照らされた顔は、陶磁器のように白かった。
「やはり、おれは短慮に過ぎた」
突然リーシンは、吐き出すようにして言葉を並べ立てていった。
「お前の気持ちも、周囲のものの気持ちも、なにも考えていなかった。おれは王であることをいいことに、傲岸不遜なふるまいをしていた。すべて思い通りにいくと、勝手に考えていた。馬鹿だ。本当におれは……」
リーシンはそう言って、自分の両手に顔をうずめた。
わたしは、そんな彼の様子に驚きを隠せないでいた。
いつもは自信満々で、弱さなど見せたことのない彼が、今はとても頼りなく見える。一国の王であるはずの彼が、そのときはただの一人の人間でしかなかった。
「お前はきっと、あいつのことが好きなんだろうな。もちろんあいつも。それを、おれは突然奪いさるように、お前を後宮に連れ込んだ。すべての意志を無視して、おれはそれをした。王という絶対的な地位を利用して」
炎の揺らめきが、ゆっくりと室内を照らす。静かなそこで、いつになく気弱なリーシンの声が響いていた。
「馬鹿だった。狭い世界に生きてきたおれは、どこかで世界は自分の思い通りになると思いこんでいた。そんな世界を壊したくてお前を妃にしようとしたのに、結局、おれは狭い世界の上で哀れに踊っていただけだった」
どうしたというのだろう。
こんな王様は初めてで、わたしもどう対処したらいいのかよくわからなかった。けれど、悩んだ末、わたしはこんなことを口にしていた。
「リーシン。もうそんなに自分を責めるのはやめて。わたし、もうそのことはあまり気にしていないから」
そう言うと、リーシンは驚いたようにこちらを見つめてきた。
「まあ、いろいろとまだ整理はつかないでいるけれどね」
不思議と、心は穏やかに静まりかえっていった。
「確かに今回のことは、あまりいいやり方じゃなかったと思う。だけどたぶん、それにはあなたなりに考えがあってしたことでしょう? 因習に縛られた結婚をしたくなかった。確かそう言っていたわよね」
「ああ。……そうだ」
リーシンは、ゆっくりと伏せていた顔を上げ、姿勢を正した。
「そう思うようになったのには、なにか理由があるんじゃない? なにかあなたの中で、そうすることになるきっかけがあったのじゃないかしら?」
わたしの問いに、リーシンはうなずいた。
「ああ。そうだ。おれはたぶん、この王家そのものを変えてしまいたかったんだ」
その意外な言葉に、わたしは驚きを隠しきれなかった。わたしは次に彼がなにを言うのか、予想がつかないでいた。
そして、彼は静かに語り始めた。
「おれは、王の一人息子として、それは大事に育てられた。過保護すぎるくらいに絶えず誰かがおれの世話を焼き、そのせいでおれはかなりわがままな子供に育った。物心つくようになり、知恵もついてくると、おれは様々ないたずらをするようになった。勉強も礼儀作法の講義も、まるで受けようとせず、世話をする乳母たちを困らせてばかりいた」
かなりやんちゃな子供時代だったのだろう。その面影は、現在もなお残っている。
「あるときおれは、王宮の外に出てみたくなった。そこで、侍従のものや母にそれを頼んでみた。けれど、いたずらばかりして言うことを聞かないおれを外に出すことを、みなは嫌がった。絶対に外には出せないと、そう言われた」
リーシンは、そのころのことに思いを馳せるように目を細めていた。
「おれは、だけどどうしても外の世界を見てみたかった。王宮の中に閉じこめられているのは、もう嫌だったんだ」
籠の中の鳥。それは、彼自身のことでもあったのだ。
王宮に閉じこめられた鳥は、窮屈なその檻を飛び出して、大空を駆け巡ることを望んだ。
世界に飛び出し、その目でいろいろなものを見たいと思ったのだ。
リーシンはそうして、長い昔話を語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます