第四章 それぞれの想い3
宮中にある庭園は、手入れが行き届いていて、とても美しかった。
そこを散歩することは、近頃のわたしの楽しみとなっていた。午後の空いた時間、わたしはシェンインと連れだって、後宮をいろどる庭園内を歩いていた。
庭園の池には朱い橋が架かり、周りには計算された場所に形のいい木が植えられている。池の中央には小さな島のようなものが作られていて、それを見る度に、わたしはなんとなく神秘的なものを感じていた。
わたしは橋の上にのぼり、そこから見える景色を見つめた。綺麗に剪定された立派な松の木が、向こうの湖面に映っている。
「ねえ。シェンイン。あそこの島って、なにか意味があるのかしら?」
そう訊ねると、シェンインがこう言った。
「わたしもくわしくは知りませんが、あれは蓬莱(ほうらい)を表しているものだそうです」
「蓬莱?」
わたしはその響きに、目を瞬かせた。
「はい。蓬莱とは不老不死の仙人が住む仙境と言われ、遙か昔より、理想郷として伝えられているところでございます。遠い海の向こうにあるとされるその山は、人々の信仰を集めて、今も多くの人にあがめられています。それをもとに、高名な庭師があの島を蓬莱に見立て、このような庭園を造ったのだと聞いております」
わたしはそれを聞き、なにか神妙な心持ちになった。
蓬莱。
仙人が住むというその理想郷。
そこにはきっと、争いも苦しみもないのだろう。
ただ、美しい世界が連綿と続いているのだろう。
「この庭園は、いつからあるの?」
「さあ……はっきりとは存じませんが、三代前の王様の時分よりあったかとは聞いております」
「そう」
わたしは、再び池の中央にある蓬莱島を眺めた。
歴代の王は、蓬莱を理想郷としてあがめていた。それを見立てた庭園を造るほどに。
なのに、この国の姿は、理想郷とはほど遠いものだ。
遙か遠く見えないからこそ、それは理想郷としてあがめられるのだろう。けれど、それよりも身近にある国の姿に、過去の王は思いを馳せなかったのだろうか。
わたしはそんなことを思いつつ、橋を渡りきった。
そうして庭を眺めつつ歩いていると、向こうのほうから、知らぬ顔の女性が近づいてくるのが見えた。
はっとしてわたしがそこで立ち止まっていると、向こうの女性がわたしに気づいて、会釈をしてきた。
わたしはそのことに驚いたが、慌てて自分も同様に頭を軽く下げた。
「ごきげんよう」
少し鼻にかかったような、甘えたような声でその人は言った。
美しい上等な桃色の着物には、豪華な刺繍が惜しみなく施されており、頭には金や銀の髪飾りがまばゆいばかりに光っていた。
歳はわたしとさして変わらないくらいに見える。可愛らしい可憐な花のような人だった。
「ご、ごきげんよう」
わたしは戸惑いながらもそう挨拶を返した。
しかしそんなわたしの焦りが伝わってしまったのか、その女性はくすくすと笑いを漏らした。
「うふふ。まだ、言葉遣いも慣れてらっしゃらないのね」
わたしはその言葉に、反応が返せなかった。そのとおりだったからだ。
「挨拶が遅れました。わたくしは、ダーヤン丞相の三女、ミンファと申します。今はあなたと同様に、後宮に住まわせていただいてますわ」
わたしはそのことに驚いた。もしかしなくても、この人が皇太后と丞相が決めたという王の妃候補の女性なのだ。リーシン本人は認めていないようだが、後宮に住んでいるということは、立場的にはわたしと同じようなものなのかもしれない。
ただし、リーシン本人が婚約を公に発表したという点では、わたしのが王妃に近い立場ではあるのだろうが。
「あの、わたしはメイリンといいます。まだこの後宮という場所に慣れなくて、いろいろとご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
わたしがそう言って彼女に頭を下げると、ミンファはころころと楽しげに笑い声を上げた。
「ふふふ。おかしなかた。でも、自分が迷惑なのはわかっていらっしゃるようね」
なんとなく棘のある言い方だった。
「この後宮は、代々由緒正しき姫君が王に仕えてきた場所。家柄はもちろんのこと、品格や教養も兼ね備えた選ばれた女性が入るところ。当然そこに、あなたのような人が入ることは似つかわしくない」
可愛い顔に浮かんだ笑顔は、その言葉と合わせると、とても恐ろしい顔に見えた。
「今度の王様は、少し変わったおかただということは聞いてましたけど、それは本当だったようね。まさか、あなたみたいな田舎臭い貧乏そうな娘を妃に迎えようとするなんて。とても信じられないわ」
確かにそれはそのとおりだったが、そこまで言われると、さすがのわたしも少しばかり腹に据えた。
「王様はあなたを王妃にすると公言されたらしいけれど、そんなのは、王様以外の誰も認めていないこと。当然よ。王家の血筋にあなたのような汚らわしい血が紛れ込むなんて、この高潔なエン王朝を貶めることと同じですもの。そんなことは、王様が許しても、この王家が許さないわ」
汚らわしい血。
言っていることは、ほぼ皇太后が話していたことと同じだった。
王家の血筋を庶民の血で汚すことは、あってはならない。
格式高い家柄の娘でなければ、王家にはふさわしくない。
それは、そうなのだろう。
しかし……。
「血に、そんな違いがあるのかしら?」
わたしの口から、そんな言葉が突いて出た。
「わたしたちは、同じ人間で、血の色も同じ。家柄が違うといったって、ずっと遠い先祖は同じだったかもしれない。そんなものは、人をはかる手段として間違っている」
そう言ったところで、わたしは自分自身の言葉に驚いた。
少し前まで、その血というものにこだわっていたのは、他でもない自分自身だったのだ。自分のようなものは、王の妃になどふさわしくない。持って生まれた血が違うのだから。生まれた家柄が違うのだから。
それなのに、今わたしはそれと正反対のことを口にしている。
「まああ! なんて図々しい人なんでしょう! 自分も王家の人間も、先祖は同じだったかもしれないだなんて! とんでもないこじつけだわ!」
ミンファは、おおげさなほどに目を見開いて声を上げた。
「わたくし、気分を害しましたわ。さっさと部屋に戻りましょう」
ミンファは後ろについていた侍女らしき女官にそう声をかけると、本当にさっさとそこから離れていった。
わたしはその後ろ姿を見届け、それが見えなくなると、ほっと息をついた。
「随分と怒らせちゃったみたいね」
わたしがそうつぶやくと、脇に控えていたシェンインが、近づいてきて言った。
「いいえ。メイリン様は間違ったことをおっしゃってはおりませんでした。確かに、メイリン様の言うことにも一理はあります」
「そうかしら?」
わたしは驚いてシェンインの顔を見つめた。
「ええ。あなた様は王妃になられるのです。このことが本当になされれば、このエン王朝の、血で人をはかる古き因習も、薄れていくに違いありません」
にこりと微笑むシェンインに、わたしは複雑な表情を浮かべた。
さっきは勢いであんなことを言ってしまったが、わたしが王に嫁ぐようなことには結局なりはしないのだ。だから、シェンインの言うようなことにもなることはない。
わたしは顔を上げ、抜けるような蒼穹に目をやった。
雲ひとつない青空は、迷い惑うわたしの心を見透かしてくるようだった。
それにしても、と思う。
自分でも知らぬうちに、わたしはリーシンという人物に、随分感化されてしまっていたらしい。
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