第四章 それぞれの想い1

 深夜の秘密の集まりは、三日に一度の頻度で行われていた。

 わたしはこの間から、それに毎回顔を出すようになっていた。今日でそれは三度目となる。

 国の重鎮である他の面々とは違って、わたしにできることはほぼなかったが、それでも国を変えたいという願いは同じだった。

 この人たちがいれば、それは叶うのかもしれない。わたしの村やシェンインの村のように、役人が貧しい民を虐げることのない、よりよい国に変わっていくことができるかもしれない。

 わたしはそれを思うと、胸が熱いもので満たされていった。


 その夜も、わたしはこっそりと自分の部屋を抜け出し、中庭の藪に隠れて、リーシンがくるのをそこで待っていた。一緒に会合のある館に向かうためだ。

 そこで、わたしは誰かの足音が近づいてくるのを聞いた。

 一瞬リーシンの足音かと思ったが、聞こえてくる方向がいつもと違う。誰か別の人間だと思い、わたしはそのままそこに隠れていた。

 こんなところを他人に見つかるわけにはいかない。わたしは息を止めて、その人影が通り過ぎるのを待った。

 月明かりが差すところまでその人物が出てきたとき、わたしの心臓は驚きで跳ねあがった。


 ――フェイロン……!


 その姿を目にしたわたしは、鼓動が先程よりも速くなっていくのを感じていた。


「……フェイロン」


 わたしはそっと藪から体を現し、彼の背中にそう呼びかけた。

 振り向いたフェイロンは、わたしの姿を認めると、はっと驚いた表情を浮かべた。

 そしてその一瞬のあと、ばっとこちらに近づき、彼はわたしの腕を引いた。そしてわたしを、その腕の中に抱き締めてきた。


「メイリン……!」


 わたしは突然のことに、咄嗟に声が出せなかった。彼の腕の中で、わたしは自分の心臓の音の高鳴りを聴いていた。


「逃げよう。ぼくとこのまま遠くに」


 ぎゅっとフェイロンの腕に力が籠もった。思いがけないその力強さと、彼の胸の温もりに、わたしはただただ戸惑っていた。


「きみがこのまま王の妃になるところを、ぼくは見ていられないんだ……」


 フェイロンのその切実な声は、わたしの心を強く揺すぶった。彼の腕の中で、わたしは彼の熱い想いを感じていた。

 わたしはすっと息を吸うと、ようやく声を発した。


「フェイロン。……聞いて」


 わたしがそう言うと、フェイロンは腕の力を緩め、わたしを腕の中から解放した。そして、揺れるまなざしをこちらに向けてきた。


「メイリン……?」


 わたしはフェイロンの顔をじっと見つめながら、続く言葉を発した。


「わたしは今、この国を変える大事に立ち会っているの」


 フェイロンはわたしがなにを話し出したのか、わからないでいるようだった。しかし、わたしは構わずに話を続けた。


「今この国は、役人の賄賂や横領が横行し、民は貧しさに苦しんでいるわ。そして、その中枢でもそれは起きている」


 フェイロンの目つきが鋭くなった。


「わたしは王とともに、極秘に今その調査をしているところなの。その大元の悪を取り除かなければ、この国は変わらない。変えていけない」


 わたしは言葉に力を込めた。わたしが言っていることがどれほど重要なことなのか、彼にはわかるはずだ。


「だから、わたしは今ここから逃げるわけにはいかない。その元凶が取り除かれるのを見届けるまでは、わたしはここから動かない」


 フェイロンは、眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めた。なにかを思案するように、しばらくそのまま沈黙していた。


「……それは本当なのか? この国は変わるのか? 王がそう、きみに言ったのか?」


 わたしはそれに、こくりとうなずいた。


「今度の王様は、これまでの王様とは違うわ。ちゃんとこの国の現状を知っている。そして、それを憂える心を持っている。あの王様なら、この国を変えていけるわ」


 わたしの言葉に、フェイロンは驚いた表情を浮かべた。


「きみは、随分今度の王様のことを買っているんだね」


「ええ。最初はすごく変わってるって思ってたんだけどね」


 そう言うと、フェイロンはふと視線を足元のほうに落とした。そして、もう一度わたしのほうに視線を戻した。


「まさかきみ……、王様のことを……?」


 フェイロンが、そうつぶやくように言ったそのときだった。

 横の暗がりから、ざりっと砂を踏む足音がした。

 そちらのほうを振り向くと、誰かのつま先が、月明かりに照らされているのが見えた。


「……貴様、そこでなにをしている……?」


 低く重々しい声が響いた。

 暗がりから姿を現したのは、リーシンだった。その姿と、月明かりできらりと光ったものを見て、わたしは危機を悟った。


「フェイロン! 逃げて……!」


 わたしは叫んで、彼の前に飛び出た。そして、両手を広げてリーシンの正面に立ち塞がった。


「メイリン! どけ! そいつは後宮に忍び込んだ曲者だ! 成敗する!」


 リーシンはわたしに近づき、わたしを前からどかそうと空いているほうの腕を振った。しかしわたしはそれをよけ、代わりに体を張って彼の動きを止めた。


「離せ! メイリン!」


 小刀を右手に持って怒鳴るリーシンを、わたしは必死の力で食い止めていた。そして、死力を尽くして叫んだ。


「フェイロン! いいから、早く逃げて!」


 わたしの後方で戸惑うようなそぶりを見せていたフェイロンだったが、わたしの願いが通じたのか、やがてその場から去っていった。

 もう、追うことはできないと見て取ったらしいリーシンは、ようやく小刀を下におろし、力を抜いた。

 わたしは恐ろしさに、どっと冷や汗をかいていた。しかし、とりあえず最悪の事態を免れたことで、深い安堵を覚えていた。


「メイリン」


 頭上から降ってきたその言葉は、温もりを一切消したかのような冷たい響きを持っていた。


「誰だ。あいつは。なぜ、お前はやつをかばった」


 わたしは彼の顔を見ることが恐ろしかったが、意を決して頭をあげた。


「彼は、わたしの友達なの。とっても大切な。わたしが急にこんなことになって、心配してきてくれたのよ」


「友達……?」


「後宮に忍び込んだことは重罪だけれど、リーシン。どうか許して。彼は悪気があってここに忍び込んだわけじゃない。すべてわたしのためを思ってやったことなの。もし罰を受けるのなら、それはわたしが受けるべきものよ。……そう。これは、わたしが彼に頼んだことなの」


 最後のひと言は、思いつきだったが、我ながらいい思いつきだと思った。ここに忍び込んだことは、わたしの頼んだことということにすれば、きっと彼の罪は軽くなる。わたしがその罪を受ければいいのだ。そうすれば、きっとフェイロンは助かる。

 しばらくリーシンは沈黙していた。その表情はとても冷たく、いつもの明るさはどこにも見当たらなかった。

 恐ろしいまでに張りつめた空気が、わたしと彼の間に存在していた。


「……メイリン。お前は逃げようとしていたのか? おれとの結婚から」


 その言葉には、冷たさとともに、悲しさが込められているように思った。


「お前はあいつと、逃げる気でいたのか……?」


 わたしは、ぐっと胸が詰まり、声が出せなくなった。


「あいつのことが、好きなのか……?」


 真剣なまなざしで見つめてくるリーシンを、わたしは震えながら見つめていた。

 わからない。

 その答えを、わたしはまだ見つけることができない。

 ただ、とてつもなく苦しくて、つらかった。こんな表情を彼にさせてしまう自分という存在が、憎かった。

 沈黙を続けるわたしに、やがてリーシンは言った。


「……わかった。だがまあ、賭けの期日まではまだある。それまでは、お前はここで過ごすんだ。約束だからな」


 そう言ったリーシンは、わたしから顔を逸らし、さっさと向こうのほうへと歩いていった。わたしはしばらく固まったように足が動かなかったが、やがてゆっくりと彼の向かったほうへ、自分も足を向けた。

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