第三章 国に巣くう悪意4

 深夜の王宮は、月の青白い光に照らされていた。中庭では、虫たちが秋の訪れを歌っている。

 そんななか、わたしは寝所をこっそりと抜け出し、リーシンに連れられて、ある場所へと向かっていた。

 目立たないように、リーシンから黒い羽織を借り、それを着て彼の陰に隠れるようにして外の暗がりを歩いている。リーシンも同様に、黒い羽織を羽織って闇にまぎれるようにしていた。

 リーシンがどこへ行くつもりなのかは、くわしくはわからない。とにかく昨日の話のあと、彼がわたしに会わせたい人たちがいると言って、翌日の今日、ついてくるように言われたのだ。


 寝静まったように静かな王宮は、昼間とはまったく違う雰囲気を持っていた。国の中枢である王宮は黒く空にそびえ、どこか不気味な印象さえあった。

 昼間は忙しく誰かが行き来している回廊も、今は虚空だけしかそこには存在していない。そんな様子は、わたしの目に寂しく映った。


 それにしても、リーシンの言う会わせたい人たちとはいったい誰なのだろう。

 そして、わたしをその人たちに会わせる目的とはいったいなんなのだろう。

 目の前の人物にそれを問い糾したい気持ちでいっぱいだったが、こんな夜中に王と次期王妃が連れ立って歩いているというだけでも目立つことであり、今は静かにしているほうが身のためだということをなんとなく肌で感じていた。


「もう少し行った先だ」


 リーシンは小声でそう言って、さらに先へと進んでいった。わたしはそれに、とにかく付き従う。

 後宮を出て、しばらく王宮の敷地内を歩いていくと、とある館の前までやってきた。その館はかなり奥まったところに建っていた。広い宮廷の敷地内で、わたしがそこの存在を知ったのは、そのときが初めてのことだった。


「ここだ」


 リーシンがようやくわたしを振り返って言った。わたしは彼の足についていくので精一杯で、少々息を切らしていた。

 リーシンは少しだけわたしの息が整うのを待つと、その館の入り口に立った。

 コンコンと扉を叩き、静かな声で「おれだ」と彼が言う。

 しばらくすると、館の扉の向こう側から閂をはずすような音が聞こえ、扉がゆっくりと開け放たれた。

 中にいたその人は、リーシンの姿を認めると、拱手して礼をした。それから頭をあげてから、わたしの存在に気がついた。


「王様。そのかたは……」


「構わない。同席させてくれ」


 リーシンのその言葉に、その男は一瞬言葉を失ったが、すぐにうなずいてわたしを館に招き入れた。

 その男は、わたしたちが中に入ったのを見届けるとすぐに扉を閉め、内側から閂をかけた。


「みな集まっているか?」


「はい。奥のほうに」


 リーシンと対話しているその人は、理知的な雰囲気を持った、どことなく品格のある人物だった。見た目の年齢は二十代後半くらいで、深いまなざしが印象的な整った顔立ちをしていた。

 様子からして、それなりの地位にある人物なのかもしれない。

 その人に案内され、わたしたちは奥の部屋へと通された。窓のない部屋で、その真ん中には大きな円卓があった。その端のほうに、また見知らぬ人物が二人座っていた。


「これは王様。お待ちしておりました」


 その二人はリーシンの姿を認めると、拱手して頭を下げた。そして、彼の後ろにわたしの存在を見つけると、先程の人物と同様に、少し訝しげな様子を見せた。


「ではみな、席についてくれ」


 リーシンが奥に座ってそう言うと、わたし以外の男たちはそれぞれ円卓の自分の席についていった。入り口付近でわたしが戸惑っていると、リーシンが言った。


「メイリン。お前はおれの隣に来い。これからみなにも紹介する」


 とりあえず勝手がわからないながらも、その指示に従い、わたしは彼の隣に腰を落ち着けた。


「さて、もうみな周知のことだとは思うが、彼女はおれの婚約者のメイリン。次期王妃になる予定の人物だ。よろしく頼む」


 リーシンの言葉に、他の男たちは不穏な顔つきで彼とわたしの顔を交互に見やった。


「王様。それはわかりました。しかし、今この場に女人を連れてこられるのは、いささかふさわしくない行動のように思われますが」


 理知的な雰囲気の男が言った。


「おれがここに彼女を連れてきたのには、わけがある。それは、おれたちのしようとしていることに、彼女にも参加してもらいたいと思ったからだ」


 わたしは、隣で話をするリーシンの横顔を見つめた。彼はなにをしようとしているのか。それにわたしをどう関わらせようというのか。まるで掴めなかったが、他の男たちの反応を見ていると、あまり歓迎されてはいないように見える。

 一抹の不安が胸をよぎったが、とりあえずこの場はリーシンに任せるよりなかった。


「王様。これは、国家の大事なのですぞ。遊びとは違います。それをわかったうえのことでしょうな」


 白髪の小柄な男が言った。体格的には見劣りするが、その髭は綺麗に整えられていて、それだけでも人格の立派さがうかがえる。右の頬に少し大きめのほくろがあるのが特徴的だ。


「ユンバイ。わかったうえでおれは言っている」


「しかし……」


 なおも納得のいかない顔のユンバイと言われた男に、理知的な雰囲気の男が言った。


「ユンバイ殿。これには王様もなにか考えがあってのことでしょう。まずその辺りのことを聞いてみてから意見を言ったほうがいいと思います」


 それに、リーシンもうなずいた。


「そうだな。確かにおれも勝手な行動を取った。説明が必要だというなら、そうしよう」


 そして、リーシンはわたしに目を向けた。


「メイリン。まず、自己紹介できるか?」


 そう言われ、わたしはためらいつつも、うなずいた。そして他の面々に向き直ると、口を開いた。


「わたしはメイリンと言います。今は時期王妃という立場にありますが、その以前はこの王宮で宮廷料理人として働いておりました」


 それを聞き終わると、理知的な雰囲気の男が言った。


「では、申し遅れましたが、私のほうからも自己紹介をさせていただきます」


 男はすっと、深淵そうな瞳をこちらに向けた。


「私はリューフォンと申します。僭越ながら、この国の御史大夫を勤めております。以後お見知りおきを」


 御史大夫といえば、丞相の次に偉いとされる官職である。王の側近の筆頭で、政務を司っている。使用人として働いていたころには、王や丞相とともに、こんなふうに近くで話すことさえまずないだろう人物だった。

 若く見えるが、意外にそれなりの年齢なのかもしれない。

 次に、先程ユンバイと言われた人物が口を開いた。


「わたしはユンバイと申します。宦官として、王様の近くで政務を行わせていただいております」


 宦官ということは、きっと王の私生活についてもかなりくわしい人物なのだろう。今回のわたしのことをこの人はどう思っているのか、少し気になった。

 最後に、それまで部屋の隅で黙り込んで座っていた男が顔を上げた。

 その男は見るからに武人といった体格をしており、ユンバイさんと比べると、それは大人と子供くらいに違いがあった。顔つきも、やはりどことなくいかめしい。


「おれはタオシェンと申す。この国の軍における将軍である」


 その発する声も、周りを恫喝するかのような迫力があり、わたしは驚きで、胃がきゅっと縮こまった。

 そうだった。わたしはそのときにようやく、この人のことを思い出していた。

 いつだったか遠目に、とても立派な体格の武人が歩いているのを目にし、その人のことを聞いたことがあったのだ。

 その人こそ、この目の前の人物、将軍タオシェンだった。

 わたしは、国の中枢を担うすごい人物たちと同席することになり、目を白黒とさせていた。

 今は時期王妃という身分らしいが、ほんの少し前まで、一介の宮廷料理人にすぎなかったのだ。なんだかとんでもないところに迷い込んでしまったみたいだった。

 そんなわたしをよそに、リーシンはさっさと次に話を進めた。


「実は昨夜、このメイリンが、おれにあることを訴えてきたのだ。そしてそれは、この集まりの趣旨と同じものだった。だからおれは、今日の集まりに彼女も連れてきたのだ」


 リーシンの言葉を、半ば夢見心地のように聞いていたわたしだったが、その内容を順に理解すると、はっと胸を突かれた。

 昨日の自分のした話。

 それは、この国の窮状を訴えたこと以外にはない。

 そして、今彼はそれとこの集まりが趣旨を同じとすると話した。


「まさか……」


 思わずわたしがそうつぶやくと、リーシンがにやりと笑ってこちらを見た。


「そうだ。お前が危機に感じていることを、おれたちはここで話し合っているのだ。おれが王に即位した今、この国に新しい風を吹かせねばならない」


 そして、こう言った。


「おれは、この国の民にとっての、豊かな国造りをしていきたいと思っている」


 そのひと言は、わたしの胸に新鮮な風を吹き起こした。

 まさか、これは本当だろうか。

 この国に、新しい風が吹こうとしている。

 この王が、リーシンがそれをしようとしている。

 わたしは感動に、胸が打ち震えていた。

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