第二章 後宮での生活4
「あの、王様。ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ。なんだ?」
「なぜ、わたしだったのでしょう? 先程のお話は、なんとなく理解しました。けれど、その肝心の妃候補が、なぜわたしに選ばれたのでしょう?」
政略結婚という縛られた結婚を嫌ったとはいっても、他にそれなりの身分の姫君がいくらでもいるだろう。わたしのような一介の使用人を王家に嫁がせる必要など、まったくないはずだ。
それなのになぜわたしを王は選んだのか。それが訊きたかった。
「昨日の朝のことは、もちろん覚えているだろうな」
「……はい。忘れるはずもございません」
冷や汗がじわりと額に滲む。
「あのとき、お前はおれの目を見ていた。おれの目を見て、自分の名を名乗った」
そうだった。わたしは頭が真っ白だったとはいえ、一国の王を前に、立ったまま頭も下げずに王と言葉を交わした。今思い出しても、恐ろしく無礼な振る舞いだったはずだ。
「あのとき決めたんだ。この娘を妃にしようと」
その答えは理解の域を超えていた。
意味がわからない。
本来なら、それ相応の処罰が下されてもおかしくない状況だった。
それなのに、逆に妃に自分を迎えようなんて、本当に王は乱心してしまったとしか思えない。
「お、王様。それはきっと、なにかの気の迷いです! たまたまわたしがおかしなことで王の記憶に残ってしまったからといって、それを妃に迎えようだなんて、間違ってます! どうか今一度お考え直しになってください!」
「なんだ。メイリン。お前はおれの妃になりたくないのか?」
王は、意外そうにこちらを見た。
「ち、違います。そういう意味ではなく、一般的な意見として、その王様の判断はなにか間違っているかと」
「一般的? 一般的とはどういうことか?」
「ですから、身分が違いすぎるのです! わたしは農民の出のただの宮廷使用人にすぎません。王様のような高貴な方とわたしとでは、とてもつりあいが……」
わたしがそう言うと、王はぐっとわたしに顔を近づけてきた。
「こんなに近くにいるのに?」
わたしは突然のことに、心臓がドキドキとして破裂しそうだった。
「こんなに触れられるほどの距離にいても、おれとお前とでは住む世界が違うと?」
淡い炎の揺らめきに照らされたその顔は、恐ろしく真剣だった。王様の吐息がわたしの頬を撫でていく。
すっと、その手がわたしの目の前に下りてきたのを見た瞬間、わたしは思わずそこから飛び退いた。
そうした自分の行動が、王に対して失礼に当たるかもしれないということに、わたしは、はっと気がつき、即座に謝った。
「も、申し訳ございません! まだなにぶん心の準備が……」
言いながら顔を上げたとき、自信に充ち満ちていたはずの王の顔が、悲しみをたたえているように見え、わたしは胸がずきりと痛んだ。
「ふっ。ふふ。そうだな。まだ心に割り切れぬものが存在しているのは、致し方なかろう」
どこか自嘲気味な響きをその言葉は含んでいた。
なにかそこには、他人が踏み込んではいけない類のものがあることを、わたしは感じていた。
「しかし、メイリン。おれはお前だからこそ、選んだのだ。他のなにものでもないお前自身を、おれは選んだ。そのことは、気の迷いでも偽りでもない」
「王様……」
わたしはなにをどう答えていいものかわからず、それだけを言うと黙り込んだ。
「だが、やはりおれは傲慢だったようだな。王という立場に慢心していたのだろう。お前の意志というものを、考慮していなかった。それについては謝ろう」
王がわたしに謝罪を口にした。ありえないことだった。
「メイリン。お前は、先程おれとお前とではつりあわないと言ったな。なぜそのように思う?」
王のその突然の質問に、わたしはきょとんとした。
「それは、そうです。王様と使用人では、身分に差がありすぎます」
「身分か。では、その身分というのはなにで計る?」
「なにと申されますと……」
わたしは困ってしまった。禅問答のような王の言葉は、わたしには難しすぎる。
「服装や、生活の違いか? 食べるもので身分の差は生まれるのか? おれが庶民の格好をし、庶民の食べ物を口にすれば、それは変わるのか?」
「いいえ。それは違います。どのような格好をされたとしても、王様は王様です。ですから、やはり身分というものは、持って生まれた血が大きな意味を持つのではないでしょうか」
「……血、か。そうか」
ふふふと王様は笑った。その自嘲するような含み笑いに、わたしはなんだか恐ろしくなった。
「メイリン。お前はおれと結婚するのは嫌か?」
その質問に、わたしはどう答えるべきか迷った。
本当のことを言えば、こんな突然の結婚は嫌だった。けれど、そんなことを言ってしまったら、どんな処罰が下されるかわからない。
わたしはしばらく、言葉が出せなかった。
それを見て取った王様は、次にこう言った。
「遠慮はいらぬ。なにも咎めたりなどはしない。おれはお前の本心が知りたいのだ。おれを王だと思わず、本当の気持ちを口にしろ」
王様を王様だと思わずに、本当の気持ちを話す。
恐ろしくはあったが、わたしはその言葉に素直に従うことにした。
「わたしは、今回の結婚には反対です」
そう言ってから、さらにこう続けた。
「……結婚するのは、嫌です」
それを聞いたあとの王の反応は、わたしの想像を超えていた。
王様は、わたしの言葉を聞いた途端、大きく体を仰け反らせて笑い始めたのだ。
「あはははは! そうか! 結婚は嫌か! そうだな! おれの都合にお前は関係ない。いや、まったくその通りだ!」
王のその反応に、わたしは唖然とするしかなかった。
咎めはないとの言葉に、つい本当のことを言ってしまったが、この反応はどう解釈すればいいのだろう。
わたしはもしかすると、とんでもないことを口走ってしまったのではないだろうか。
「しかし、おもしろい。ますます気に入ったぞ!」
王様は笑いをおさめると、こちらに向き直って言った。
「メイリン。やはりおれはお前を妃にしたい! 是が非にでもな!」
その宣言を聞いたわたしは、絶望的な心境に陥った。
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