第一章 王との対面5

 王様との対面は、謁見の間で、午後から行われることになった。

 わたしはあれからロウシュンさんと、呼び出しを受けた官吏のもとに出向いていった。すぐに王様との対面が行われるかと思っていたが、それは午後の定例会議の前に行われるらしい。

 わたしはそのことに少し疑問を感じてはいたが、どこで行われるかということよりも、またあの王の前に出ることになるということのが重大事だった。

 王様がなぜ自分を呼び出したのか。その理由は、昨日の朝食時の事件によるものとしか考えられない。

 ということは、おのずと答えは悪いほうにしかいかなかった。

 王の言葉は絶対だ。

 処分をやめさせることもできるということは、その逆も王なら簡単にできてしまう。

 わたしの運命は、王の手のうちにあった。


 今日はこのあと仕事をしなくてよいと、ロウシュンさんが自分の部屋で休むように言ってくれたが、なにもせず部屋でそのときを待っていると、心の中には悪いことばかりが浮かんでくる。

 同室の子も不在のその部屋は、静けさに満ちていて、温かな陽光も差し込んできていたが、わたしには穏やかな気持ちが訪れることはなかった。

 代わりに刻々と過ぎていく時間だけを、胸に感じていた。


「メイリン」


 休憩時間となったのだろう。わたしの部屋を、レイメイさんが訪ねてきてくれた。


「きっとなにも喉を通らない心境だろうけれど、食事を持ってきたよ」


 わたしの正面にあった籐で編んだ円座の上に座りながら、レイメイさんは食事の載った膳をわたしの前に置いた。


「レイメイさん。ありがとうございます。でも、せっかく持ってきてもらったのに、おっしゃるとおり、今のところ食べる気はおきないですね……」


「そうかい。それは、そうだろうね……」


 元気のないわたしの様子に、レイメイさんは心配そうな表情を浮かべた。


「定刻になったら、ここに使いの者がくるそうだよ。その人が王様のところまで、あんたを案内するらしい」


 その定刻まで、もうあとわずかの時間しかない。覚悟を決めたとはいえ、やはり恐ろしさに足が震えた。 


「メイリン。もう一度言うが、もしものときは逃げてもいいんだよ。それか、もう今このときに逃げたっていい。王様の気まぐれで、大きな罪に問われてあんたが殺されるなんてことになったら、あたしは耐えられないよ。あんたはまだ若い。宮廷料理人なんかでなくても、外でなにかいい仕事が見つかるよ」


 その言葉はとてもありがたかったが、わたしは黙って首を振った。


「駄目ですよ。もしわたしが今ここから逃げ出したりしたら、きっとレイメイさんたちがわたしを逃がしたと疑われます。それに、まだどんな処罰が下されるか決まっていないんですから。それを聞いてから、そのあとのことは自分で考えます」


「……そうかい」


 レイメイさんは、悲しそうにその唇を噛み締めていた。

 そこに、もう一人の来客がやってきた。


「メイリン!」


 部屋の開き戸を勢いよく開けて入ってきたのは、幼馴染みのフェイロンだった。


「王様に呼び出されたって本当か?」


「フェイロン……!」


 フェイロンはレイメイさんがいることも気にせず、一直線にわたしのもとに歩み寄ると、ばっとわたしの腕を掴んできた。


「逃げよう! 今すぐ!」


 彼はそう言うと、わたしの腕を引いて、部屋から連れ出そうとした。


「え? フェイロン! ちょっと待って!」


「もう時間がないんだろう? もし昨日のことが重罪に問われたりしたら、それこそなにが起きてもおかしくない。そうなる前に、ここから逃げ出さないと!」


 激しい口調でそう言うフェイロンに、わたしは思い切りかぶりを振った。


「駄目! わたしは逃げ出したりなんかしない!」


 一瞬緩んだフェイロンの手から、わたしは思い切り自分の腕を振り払った。


「メイリン……?」


「もう覚悟を決めたの! 今わたしがここで逃げたりなんかしたら、周りの人たちにきっとたくさん迷惑がかかる。そんなのは嫌なの! 昨日のことは、結局わたしが招いたことだもの。王様がそれをどう処断されるかわからないけれど、それをきちんと受け入れるのが、今のわたしのやるべきことよ」


 それを聞いたフェイロンは、今度は静かにわたしに向き直った。


「それは、もし自分が死ぬことになったとしても、それを受け入れるってことか……?」


 目を向けたフェイロンの瞳は、悲しそうに揺らめいていた。

 わたしはそれを見て、一瞬心の奥が騒いだけれど、黙ってうなずいた。


「そんなこと……」


 フェイロンは、たまらなくなったように視線を下に向け、右の拳で壁を叩いた。

 そんな一部始終を見ていたレイメイさんが、そこでわたしたちの間に入ってきた。


「あんた、メイリンの友達かい?」


 声をかけられたフェイロンは、そのときようやく彼女の存在に気づいたようだった。顔を上げ、レイメイさんのほうを見つめている。


「……そうです」


「メイリンのこと、すごく心配してくれたんだね。そのことはわたしから礼を言うよ」


 フェイロンは、戸惑ったように瞬きをしていた。


「わたしもさっき、あんたと同じことをこの子に言ったんだよ。ここから逃げなさいって。でもこの子もなかなか頑固なところのある子でね。逃げることはしないっていうんだ」


 そのとき、わたしはレイメイさんの横顔を見てはっとした。

 その目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「どんな処分が下されるかはわからない。もしかしたら、軽い処分で済むのかもしれない。けど、その反対の可能性だってある。だから本当は、あたしもそんな恐ろしい処分が下される前に、ここからこの子を逃してやりたい。だけど、この子は逃げずに王様と対面すると自分で決めたんだ。あたしらはそれを、尊重してやらなければいけない」


 それを聞いたフェイロンは苦しげに眉を寄せ、わたしのほうに目を向けてきた。


「フェイロン。レイメイさんの言う通りよ。もうわたし、覚悟を決めたの」


「……っ!」


 フェイロンは言おうとした言葉を無理遣り飲み込むようにしたかと思うと、ばっと部屋から飛び出して行ってしまった。


「フェイロン……」


 心配してきてくれたフェイロンを追い返すようなことになり、わたしは胸が切なくなった。


「大丈夫。またあたしがあの子に会ったら、ちゃんと話を聞いておいてやるから」


 開け放たれた戸の向こうを見つめながら、レイメイさんが言った。


「メイリン。それじゃ、あたしももうそろそろ行くよ。呼び出しがかかるまでに、食事が食べられたら食べるんだよ」


 レイメイさんは、袖で涙をぬぐうと、わたしの肩を優しく叩いてくれた。そして、静かに部屋から出て行った。

 一人部屋に取り残されたわたしは、すとんと円座の上に座り込んだ。

 そして両手に顔をうずめると、我慢できなくなった嗚咽を漏らした。

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