第一章 王との対面4

 翌朝、いつものように慌ただしい厨房の戦争を終え、厨房の奥の一角でひと息ついていたときだった。

 外の回廊のほうからなにやらさわがしい声が聞こえてきた。


「なにかしら?」


 隣にいたレイメイさんが首を傾げていると、入り口のほうから男の声が聞こえてきた。


「ここに、メイリンという女官はいるか」


 どきりと心臓が脈打った。

 入り口近くにいたロウシュンさんが、こちらをちらりと見てからその男の相手を買って出た。


「ここは男子禁制の厨房。どうか立ち入りはご勘弁願います」


 ロウシュンさんはそう言うと、入り口で立ち塞がるようにし、官吏らしきその男を中に入ってこられないようにした。


「なんのご用でしょうか? まず、用件からうかがわせていただきます」


「料理長か。なら話は早い。今、王様の命により、人捜しをしておる。先程も申したが、ここにメイリンという名の女官はいるか」


 わたしはその言葉を聞いて、恐ろしさに震えた。

 王様がわたしを捜している。それは、昨日の処分はやはり間違いだったと思い直したということではないだろうか。わたしを罰することに、考えをあらためたのではないだろうか。

 レイメイさんが、慌ててわたしを調理台の下に隠すようにして座らせた。


「……そういう名のものはおりますが、あいにく、今はここにはおりません」


 ロウシュンさんがそう話す声が聞こえてきた。嘘をついていることがばれたら、彼女もただでは済まないはずなのに、わたしを気遣ってくれているのだろう。

 わたしは、胸がぐっと詰まった。


「しかしまた、王様がそのような下っ端の女官をなぜお召しに? 理由を訊ねてもよろしいでしょうか?」


 その問いに、男の声はこう答えていた。


「それはおれにもわかりかねる。とにかく、メイリンという名の女官を捜すように命ぜられたのだ」


「さようですか。では、戻りましたらお知らせいたしますので」


 ロウシュンさんがそう言うと、男は納得して去っていった。

 わたしはとりあえずほっとして息をついた。しかし、鼓動の音はドクドクと早鐘を打つのをやめなかった。


「メイリン。立てるかい?」


 レイメイさんがわたしの背に手を回しながら、立つのを手伝ってくれた。


「……レイメイさん。どうしよう。やっぱり昨日の処分は間違いだったってことになったのよ。きっと重い処分を下されるんだわ」


「まさかそんなことあるわけないよ。一度下した処分をやりなおすなんてこと……」


 そう言いながらも、レイメイさんの声もわたしと同様に震えていた。


「まさか、わたし殺されるんじゃ……」


 自分で言った言葉に、わたしは心臓が縮こまった。まだわたしは十七歳になったばかりだ。これから先、まだまだ長生きするつもりでいたのに。両親にたくさん給金を仕送りして、親孝行をしようと思っていた矢先だったのに。

 死んでしまうかもしれないなんて――。

 思わず込み上げてきた熱いものが、頬を濡らした。

 死にたくない。

 死にたくない。

 まだまだ生きて、宮廷料理人として腕を磨いていきたい――。

 くずおれるようにしゃがみこんだわたしの頭上から、ロウシュンさんの声が聞こえてきた。


「メイリン。もし本当にそうなるようだったら、そのときはなりふりかまわずお逃げなさい。わたしもできるだけ手助けするわ」


 いつもは厳しいはずのロウシュンさんの声が、そのときはとても優しく聞こえた。


「でも、そんなことをしたらロウシュンさんも罪に問われることに……」


「そのときはうまくやるわ。伊達に長年宮中で勤めているわけではないからね」


「ロウシュンさん……」


「あたしらもあんたにもし危機が迫ったら、どうにかしてあんたを逃がすことに協力するよ。まだあんたみたいな若い娘を死なせるわけにはいかない」


 レイメイさんが言うと、他の周りにいた料理人の仲間たちも口々に同意を示した。


「みなさん……」


 わたしはそんな仲間の言葉に励まされ、胸が熱くなった。恐ろしい気持ちが薄れ、嬉しい気持ちが体を満たしていった。


「でも、みなさんに迷惑はかけられません。これはわたしがやってしまったことに対する処罰なんですから。わたし自身が受けなければならないことです」


 そう言ったわたしに、ロウシュンさんとレイメイさんが首を横に振った。


「いいえ。それを言うなら、安易にあなたを給仕役として向かわせてしまったわたしの責任。もしあなたに重い処分が下るようなことになったとしたら、それは代わりにわたしが受けるべきものです」


「それなら、あたしだって同じようなものさ。あんたの直属の上司であるあたしが責任をとる。でなきゃ、あたしはあんたのご両親に申し訳が立たないよ」


 二人の言葉はとてもありがたかったが、もちろんそんなことはさせられない。

 わたしは覚悟を決めることにした。


「ありがとうございます。でも、わたし覚悟を決めました。もし最悪の処分が下されることになっても、逃げたりしません。わたしがわたしのしたことの責任を取ります」


 立ちあがり、震えながらもわたしは毅然とそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る