第一章 王との対面3

 怒濤の一日を終え、自分の宿舎のあるほうへとわたしが歩いていたときだった。


「メイリン」


 その声に振り向くと、そこにフェイロンの姿があった。


「フェイロン。偶然ね。あなたも今帰りなの?」


「ああ。ちょうどさっき、馬房を閉めてきたとこさ」


 道を照らすかがり火のあかりのなか、フェイロンはにこりと笑ってみせた。人好きのする明るい少年である。栗色の髪に炎の色が移りこんで、朱く見えていた。

 彼は、同郷の出身で、わたしにとっては幼馴染みである。偶然にも、同時期に宮廷の勤め人として採用されていた。彼はこの宮廷内では、近衛兵たちの馬廻りの世話役として働いている。この宮廷内では、数少ないわたしの心許せる存在である。


「どう? 仕事には少しは慣れた?」


 わたしがそう問うと、フェイロンは少しはにかんだような笑顔を浮かべた。


「まあ、ぼちぼちだよ。まだ馬たちもぼくに慣れていないからね。まずそこからだからさ」


 そんな幼馴染みの言葉に、なんだかほっとしてわたしも笑った。


「そういうメイリンはどうなの? 宮廷料理人なんて、結構大変なんじゃないか?」


「うん。まあ、大変といえば大変ね。でも、とってもやりがいがあるし、ようやくなれた職だもの。やってて楽しいわ」


 しかし、わたしはそう言ったものの、今朝のことを思い出して気が沈み込んだ。


「メイリン?」


 急に黙り込んだわたしの様子に気づいたのか、フェイロンがわたしの顔をのぞきこむようにしてきた。


「これ、ここだけの話にしておいてほしいんだけど……」


 わたしはそう前置いてから顔を上げた。


「今朝、わたし王様と会ったの」


 それを聞いたフェイロンは、きょとんとした表情をしていた。


「王様に? メイリンが?」


「うん。ホントに偶然そうなったんだけど」


「へー。そりゃ、すごいじゃないか! 王様に拝謁できることなんて、よほどのことがなけりゃないことだぜ」


 フェイロンは笑顔になってそう言ったが、わたしは暗澹たる気持ちのままだった。


「ん? なんだよメイリン。暗い顔して」


「……実はわたし、王様の前でとんでもない失態をやらかしてしまったの」


「とんでもない失態?」


「うん。実は今朝、偶然給仕役の女官が一人足りなくてね。代わりに急遽、わたしが膳を運ぶことになってしまったの」


 フェイロンは、黙って聞いてくれていた。


「王様の前まで進んでいったとき、わたし、緊張のあまり、そこで足をもつれさせてしまって、膳をひっくり返してしまったのよ」


 フェイロンは一度瞬きをしたが、まだ黙っていた。


「わたし、もう終わったと思った。もう宮廷料理人としてはお払い箱になるって思ってたの。だけど、そうはならなかった」


 わたしは王様の顔を思い出していた。王様は、鋭い目つきをしていたが、その目には怒りの色は見られなかった。


「どうなったんだよ。それで」


 フェイロンの言葉に、わたしは、はっとして我に返った。


「あ、うん。なんか、王様がすごい笑ってた」


「は?」


「皇太后様や丞相様はすごいお怒りの様子だったんだけど、王様は全然怒ってないみたいで、兵士たちにわたしが連れられていきそうになってたところを、助けてくれたの」


 言いながら、なんだか自分でも信じられない気持ちだった。

 わたしは王様に助けられたのだ。なにかのきまぐれでそうなったのかもしれないが、その事実はなんだかすごいことのように思われた。


「そっか。なんか、大変だったんだな。でも、とりあえずメイリンがこうして無事でいてくれてよかったよ」


 フェイロンは、ほっとしたようにそう言った。


「うん。本当に、なんのお咎めもなくてよかったんだけど、結局あれから片付けは給仕役の女官の人たちがしてくれたみたいで、なんか申し訳なくて……。さっきその女官たちのいる宿舎に謝りに行ったんだけど、心苦しかったわ」


 沈んだ声を出すわたしを元気づけるように、フェイロンは明るく言った。


「もう、そんなこと気にするな! ひとつやふたつの失敗で、ぐだぐだ落ち込んでたって仕方がないだろう? それよりも今日は早く寝ろ。明日もまた早いんだろう? 気持ちを切り替えて、いつもの調子を取り戻すんだ」


 そんな彼の励ましに、わたしの胸を覆っていた暗い気持ちも、雲が晴れるようにどこかへと飛んでいってしまった。


「そうね。ありがとう! 確かにもう終わったことだしね。明日も怒濤の仕事が待ってるから、さっさと部屋へ戻ることにするわ」


「おう。それでこそ、メイリンだ。ゆっくりと休めよ」


「そういうフェイロンもね」


 お互いにおやすみの言葉を交わし、わたしたちはそれぞれの宿舎へと帰っていった。

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