第一章 王との対面2
「それは大変な目に遭ったわね」
そう言うレイメイさんは、先程から必死に笑いを堪えている。頬をぷるぷると震わせ、少々恰幅のいいお腹を押さえて、今にも吹き出さんばかりといった様子である。
「もとはといえば、レイメイさんがわたしに給仕役を無理遣りやらせるからこんなことになったんですよ!」
午後の休憩時間。宮廷で働くものたちが集う食堂で、わたしやレイメイさんを始めとした宮廷料理人たちは、自分たちの調理したまかないで食事をとっていた。他にも様々な役職のものたちが、そこに午後の休憩をとりに来ていた。
そのなかには宮廷を警護している兵士たちの姿もあり、朝の一件以来、わたしは彼らの存在に戦々恐々としていた。
わたしとレイメイさんのいる卓と、兵士たちのいる卓とが離れたところにあるのが救いといえば救いだったが、それでも同じ空間にいるというだけで、あの捕らわれそうになった恐怖感がよみがえってきていた。冷や汗が背中を伝わる感覚がする。
そんなわたしの気持ちも知らないで、笑いを堪えきれなくなったレイメイさんは、とうとうそこで吹き出してしまった。
「ぷふーっっ」
「もう! レイメイさん!」
「あっはっはっは! ごめんごめん。あー。久しぶりに笑ったわ」
レイメイさんは、そう言いながら、笑い涙で濡れた目尻を人差し指でぬぐった。
「笑い事じゃないですよ。一歩間違ってたら、今わたしはここにいなかったかもしれないんですからね」
「そうだね。そのことはわたしもちょっと責任を感じてるよ。けど、まさかそんなことになるなんて思いもしなかったからね。給仕役が足りなくなることは、たまにあることなんだよ。今まではそんな失態を演じた娘はいなかったからね」
それは暗に、わたしがとんでもないまぬけであると言っているようなものである。
「それにしても、王様がそんな寛大な措置をとってくださったとは。意外に今度の王様は大物かもしれないね」
レイメイさんは、今度は小声になってそんなことを言った。
確かにそれは、わたしも思ったことだった。
現在の王、リーシンの父である先代の王は、大きな声では言えないが、あまりいい評判を聞かなかった。風流人であったという先代の王は、歌や音楽が趣味で、芸能ごとを国に広めた人ではあったが、政治は臣に任せきりで、あまり市井のことに目を向けない王だった。宮廷の奥で楽人や歌い手を呼び寄せては、遊行にふけっていたと言われている。
暗君とまでは言わないにしろ、そのせいで多くの役人たちが悪事を行い、私服を肥やして一般の民たちを苦しめていた。
宮廷に仕える以前は、わたしも貧しい暮らしを強いられていた。
六代も続いたエン王朝のなかでは、良くない部類に入る王であることは間違いないだろう。
とはいえ、エン王朝が始まる以前の戦乱の世の中の時代のことを思えば、今は戦がないだけいい時代だとも言える。そのうえで、名君を求めるのは贅沢なことなのかもしれない。
だけどやはり、少しでも豊かなよりよい暮らしを求めるのは人の常だ。わたしも、できれば新しい王が名君であって欲しいと願う民の一人でもある。
「で、どうだったの? 今度の王様は? どんな印象だった?」
レイメイさんは、卓から乗り出すようにしてこちらに訊ねてきた。三十歳も超えた宮廷料理人ではベテランの人だというのに、こういうところはまるで子供のようでもある。
「うーん。なんか、想像していた人とは全然違ってました。なんか、ちっとも王様らしくないというか」
「へえ。そりゃ、どういう意味だい?」
「若いけど見た目はなかなか風格があって、すごい感じはしてたんですけど、なんか言動が少し変わっているというか……」
「変わっている?」
「はい。膳から落ちた饅頭を平気で拾って食べたり、大声で笑って見せたり」
「へえ。確かにそれは変わっているかもしれないね」
レイメイさんは、おもしろそうにわたしの話を聞いていた。
「それに、大失態を演じたわたしを叱責するどころか、おもしろがって笑ってたんです。そういうことには厳しいはずの宮廷で! 絶対、あの王様はなにか変わってます!」
力説するわたしだったが、レイメイさんは、なにか真剣なまなざしになって、ふうむと考え込んだ。
「ど、どうしたんですか? なにか、わたしおかしいこと言ってます?」
「いや。これは、本当にひょっとしたら、ひょっとするかもしれないと思ってね」
「え?」
「今度の王様は、もしかしたら、すごい名君になるかもしれないよ」
その言葉に、わたしは驚愕した。
「名君に? あの王様が?」
「それか、すごい暗君になるかのどちらかだろうね」
「ええ?」
意味深なレイメイさんの言葉に、わたしは混乱した。
レイメイさんは、長年宮中に勤めてきたこともあり、王家のことにもくわしい。そんな彼女がこう言っているのだ。まるきりあてずっぽうで言っているわけでもないのかもしれない。
「今度の王は、名君にも暗君にもなる要素を持っていると思う」
なにやらわたしは、それを心のどこかで納得しながら聞いていた。
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