溜息の原因

 週が明け。すっかり体調も良くなり、私は元気に会社へと出勤した。

 きっと、櫂君の手厚い介護(看護)と、神崎さんがくれたみかんのおかげだと思う。

 ビタミンCは、大事よね。うん。

「おっはよー」

 既に出社していた櫂君へ元気に挨拶をすると、安心したようににこりと笑顔をみせる。

「良くなったみたいですね」

「うん。もう、櫂君様様ですよ。ありがとね」

 元気にお礼を言って、自席にストンと腰掛けると、櫂君の視線が私を追って同じようにストンと下がる。

「どういたしまして」

 さっきよりも穏やかな表情の櫂君を見て、気持ちが和らいでいった。

 櫂君てば、最近癒し度が増した気がするなぁ。レベル80くらいいってない? 100まであと少しだね。

 100になったら、どんだけすごい癒しっぷりになるんだろう。ちょっと楽しみじゃないの。

「櫂君が色々とお世話してくれたおかげで、私は孤独死せずに済んだよ」

「そんな、大袈裟な」

 私の冗談に櫂君はケタケタと笑いながら、「コーヒー飲みますか?」なんて、相変わらず気の利いたことを言って席を立つ。少しすると、設置されたドリップサーバーからコーヒーを淹れて持ってきてくれた。

「どうぞ」

「ありがと。櫂君て、男にしておくには本当にもったいないよね。やっぱさ、お嫁にいった方がいいよ。うん」

「じゃあ、菜穂子さんが貰ってくださいよ」

「えー、私? そうね。考えておくよ」

 笑いながらふざけた話をしていると、部長からまた議事録を頼まれた。

「午後一の会議だから、忘れるなよ」

 午後一ね、午後一。はいはい。

 念押しされて、「はーい」なんて間延びした返事をしてから、熱々のコーヒーを口に含んだ。

 そうだ。櫂君に聞いて欲しいことがあったんだ。

 PC画面にお仕事ファイルを呼び出しつつ、私は昨日のことを櫂君に報告した。

「聞いてよ、櫂君。昨日ね、神崎さんもお見舞いに来てくれたんだよ」

「えっ?!」

 嬉々として報告してから隣の櫂君を見ると、とっても目を大きくしている。

 そんなに目を見開いたら、零れ落ちちゃうよ。朝からホラーだね。部長に暗幕頼もうか。

「ラーメンのお誘いに来てくれたみたいなんだけど、私が風邪だってわかったら、みかんくれたの。風邪にはビタミンCだよねぇ。そういえば、今朝は駅で逢わなかったなぁ。残念」

 私が浮かれながら早口で話していると、目の前の櫂君が沈んだ声を出した。

「また……神崎さんですか……」

 視線をPC画面に戻していた私は、櫂君の暗い声が予想外で再び隣を見た。

 あれ? どうしたんだろう?

 何か気に障ること言ったかな?

 僅かにそう思っても、昨日のことが嬉しいものだから、浮かれポンチな私は話の続きを聞いて欲しくてたまらない。

「あっ。そうそう。大事なこと忘れてた。それで、その時に、何かあったらいつでも連絡してって。LINEの交換しちゃった」

 嬉しさにウキウキしながら、私は櫂君へと報告する。

「そしたらさ、早速LINEが来て」

 私はスマホを取り出し、LINEの友達リストにある神崎さんの名前を櫂君へと見せた。

 アイコンは、桜になっている。

「でね。これって、どういう意味かな? 櫂君解る?」

 昨夜届いたメッセージの一文を見せて首を捻ると、櫂君がぼそりと呟いた。

「どうでもいいですよ……」

「え?」

 さっきと同じように、櫂君が暗い声をだす。

「話題……変えてください」

「櫂君?」

 画面を櫂君に差し出すように見せたまま、私は更に首を捻った。

 どういうこと? LINEの話はつまらないからしないでってこと?

 それとも、神崎さんとの話がつまらないってこと?

「ねぇ、櫂君――――」

 私が櫂君に疑問を訊ねようと口にしたところへ、女性社員が現れた。

「藤本君」

 弾むようにかけられた声に首をめぐらせると、クリスマスパーティーの時に甘い声で櫂君のそばに擦り寄っていた、ピンクのフレアフレアスカートひらひらちゃんが立って居た。

 今日は、ベージュのスーツでしっとり大人に決めている。

「あ、佐々木さん」

 へぇ、この子佐々木さんていうのね。

 佐々木さんは、櫂君だけに視線を注いでにこやかな笑みを向けている。いや、媚びるような笑顔といった方がいいかな。

 要するに、私の事は眼中になし、とでもいったところでしょうか。

 なんなら、邪魔だからあっちに行ってて、てなくらいの雰囲気を醸し出しているのです。

 わかりやすくって、苦笑いが漏れてしまう。

「ねぇ、藤本君。私のPC、調子が悪くって~。藤本君、コンピューター関係に強かったよね。ちょっとみてもらえる?」

 会社だという事もあってか、パーティーの時よりは甘え声は控えているものの、あきらかに甘えた雰囲気の佐々木さんは、櫂君に欲しい物でもおねだりでもするみたいにお願いをしに来た。

「システムの人に頼んだほうが、はやいんじゃないかな?」

 佐々木さんの、あからさまな櫂君へのラブラブ光線に気づいているのかいないのか。櫂君は、素っ気無くそう切り替す。けれど、佐々木さんは引き下がらない。

「それがねぇ。システムの人たち、今忙しくて手が空かないから、無理って言われちゃってぇ~」

 ありゃりゃ。段々と語尾を延ばし始めちゃったよ、佐々木さん。あからさまの二乗って感じですか。

「そうなんだ。うーん。うちの部署も年末が近くて立て込んでるからね」

 櫂君は、ちょっと困った顔をしている。

 そんな佐々木さんと櫂君のやり取りを黙って隣から眺めていたら、不意に彼女の射るような視線が私へと向いた。

「大丈夫ですよね、川原さん。先輩の川原さんは、お仕事も早そうですし。櫂君をお借りしても問題ないですよね」

 佐々木さんは、なんとなく脅迫めいた口調で眼中になかったはずの私を見てそう言い切った。

 目が恐いんですけど……。

 櫂君を見るときの、甘々ラブラブな目つきとは打って変わり、私を見るときの佐々木さんの目は、まるで蛇のようだった。

 一度狙われたら、必ずやられる感じがするよ。丸呑みしないでね。あ、嚙み噛みされても嫌だな。

「いや。問題があるかどうかは、私の判断では……」

 恐い目つきと、余りにきっぱり言い切られてしまったものだから、後輩相手だというのに語尾が知りきれトンボ状態になってしまった。

 部長に訊いたほうがいいんじゃないかと私が口を開こうとしたら、まるでそれを遮るかのように佐々木さんが強引に言葉をかぶせてきた。

「じゃあ、そういうことで。藤本君をお借りしますね」

 何の返事もしていないというのに勝手に判断した佐々木さんは、櫂君の腕を引き連れだしてしまう。

 櫂君も櫂君で、それほど抵抗もせず。「仕方ないですねぇ」なんて、ぼそりと呟き立ち上がり、佐々木さんと一緒にフロアを出ていってしまった。

「あ、ちょっとぉ……。もぉ、行っちゃったよ」

 お借りしますね、って簡単に言われてもねぇ。櫂君は、レンタル用品じゃないんだからさ。

 当日返却で三六〇円ですよ。なんて。

「勝手なことして、部長に怒られても知らないからね」

 連れ去られていく櫂君の背中にそう零しながら、私は深い溜息をついた。

 それにしても……、こっちの仕事はどうすんのさ。

「別にさ、櫂君の分のお仕事を引き受けるのは、一向に構わないのよ。いつもお世話になってるからね。だけどさ、何であのひらひらちゃんに、あんな脅迫めいた感じで指示されなきゃいけないのよ」

 こんなんでも、一応先輩なんだからねっ。あぁっ、もう。イライラするっ。

 キーボードに向かってイライラをぶつけながらガツガツ叩いていたら、部長が通り過ぎざまに呟いていった。

「壊したら、給料から天引きだぞぉ」

 その言葉に仕方なく、キーボードへの八つ当たりはやめにした……。

 だいたい、櫂君も櫂君よ。黙って連れて行かれちゃうって何? もっとちゃんと断ればいいじゃん。私には酔っ払いの相手なんて、ちゃんとかわしてください、なんて叱ったのに。櫂君なんて、酔っ払ってもいない女の子をかわせてないじゃん。

 クリスマスパーティーの時のように、また私のお腹の中がモヤモヤとしてきた。

 これは、あのひらひらちゃんこと佐々木さんのせいよね。彼女が私を目の敵のようにしてくるから、むしょうにイライラしちゃうんだ。

 佐々木さんの態度にイライラしながらも、櫂君の分の仕事も片付けなきゃと、私はせっせと仕事に励んだ。

 それから一時間経っても、二時間経っても、櫂君は戻ってこなかった。

「もう、お昼じゃん……」

 PC画面の時計を見て、私は一人ぶつくさと零す。

 調子の悪いPCを直すのに、何時間かかるわけ? 新しいの買って貰った方がはやいんじゃないの?

 嫌味臭く思っていると、部長がそばに来た。

「午後一の会議。遅れるなよ」

 ああ、そうだった。午後からは、議事録頼まれてたんだっけ。すっかり忘れていたよ。

 それもこれも、あのひらひらちゃんのせいだわ。

 気がつけば、何もかもを佐々木さんのせいにしている私の表情を今激写されたら、鬼の形相といわれるかもしれない。

 折角神崎さんに似合ってるって言われたヘアスタイルも、そんな顔をしていたら台無しだよね。

 イライラしている自分を俯瞰してみて、諦めの溜息をついた。

「いつまでも戻ってこない櫂君なんて放って置いて、サッサと食事を済ませて会議室に向かわなきゃ」

 財布を片手に席を立ち、一人でランチへ向かう。

 何を食べようかなー。あんまりプンプン怒ってばかりいたら、お腹が空いちゃったよ。

 グルグルと忙しなく鳴るお腹を押さえて歩いていると、ビルを出てすぐのパスタ屋さんの窓際に櫂君の姿を見つけた。

「あ、櫂君。こんなところでランチしてたのね。だったら誘ってよねぇ」

 櫂君を見つけて自分も中へ踏みこもうとしたけれど、直ぐに思いとどまった。だって、櫂君の目の前には、佐々木さんがご機嫌な顔をして座っていたから。

「……なんだ。佐々木さんとランチなんだね……」

 佐々木さんはメニューを櫂君の方へ向けて、なにやら楽しそうに笑顔を振りまいている。

 櫂君は櫂君で、佐々木さんの開いたメニューを、身を乗り出すようにして見て、なにやら頷き返したりしていた。

 仲がよさそうだね……。

 佐々木さんとランチに行くなら行くって、ひとこと言ってくれたらいいのに……。

 ランチはいつも櫂君と一緒に食べていたから、何も言ってくれなかったことに、私は寂しい気持ちになってきた。

「相棒がいないと、こんなにも空しいお昼になるんだなぁ……」

 シミジミと呟いて、近くのコンビニに入った。

 一人でどこかお店に行って食べる気にはならなかったから、サンドイッチと飲み物を買って会社へ戻る。

 自席についてサンドイッチを頬張っていると、部長がまた通り過ぎ際に呟いていった。

「漫才の相方がいないと、背中が寂しそうだな」

「……なんですかそれ。別に寂しくないですけどっ」

 そうは言ってみたものの、かぶりついたサンドイッチのなんて味気ないこと。

 ご飯は、誰かと一緒が美味しいんだね。

 なんて、またシミジミ……。

 味気ないサンドイッチをあっという間に完食して、私は午後一の会議のために、さっさと会議室へ向かった。その時、少し先のエレベーターから櫂君と佐々木さんが出てくるのが見えたけれど、私は気づかないふりで会議室のドアを開け中に入った。

 胸の中のイライラがよくわからないモヤモヤに変わっていて、会議中、私は溜息ばかりをついていた。

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