歓喜

 櫂君のおかげで翌日には熱もだいぶ治まり、体も楽になっていた。そうなってくると、五月蝿く声を上げ始めるのが私の胃だ。

 なんせ、あのあと櫂君が作ってくれたおかゆを食べただけで、他には何も口にしていないのだから当然といえば当然だよね。

 まずは、熱のせいで汗をいっぱいかいたから、熱々のお風呂にゆっくりとつかり汗を流した。

 体がすっきりしてからまだ熱でふわふわする頭を抱えて、昨日櫂君が買ってきてくれたお惣菜をみてみる。

 気の利く櫂君が冷蔵庫にしまってくれたのを引っ張り出し、どれにしようかな? なんてウキウキしながら考えているとインターホンが鳴った。

「ほいほい。どちらさまでしょう?」

 櫂君が心配して、今日もまた様子をみに来てくれたのかな?

 軽く考えてインターホンに出ると、「神崎です」なんて声が聞こえて来て、思わず背筋がぴんと伸びる。

「は、はいっ。ちょっと待ってください」

 インターホンに向かって言ってから、慌てて玄関に向かったけれど、パジャマ姿とすっピンだということに気づいて急いで踵を返す。

「どうしよう」

 声に出しても今更高速で化粧もできないし、着替えるっていったって、可愛い服など咄嗟に出てこない。

 普段からこじゃれた恰好ばかりをしていれば、こんな時に慌てふためくこともないのに、菜穂子のバカバカ。

 後悔してもこの緊急時にどうすることもできないので、仕方なく顔はマスクをして誤魔化し、パジャマの上には羽織ものを着て、ほんの僅かだけドアを開けた。

「あれ? 風邪?」

 玄関ドアの隙間から顔を見せると、ダウンのポケットに両手を入れたままの神崎さんが寒そうに訊いてくる。

「あ、いえ。はい」

「どっち?」

 曖昧な返事をすると、ぷっと吹き出されて笑われてしまった。

「ラーメンの誘いにきたんだけど。風邪じゃあ、無理だな」

「あ、いえ。大丈夫です」

「いや。無理はしないほうがいいよ」

 確かに、まだ頭がフラフラしているけれど、神崎さんとのラーメンなら吐き気がしたっていきたいのですよ。

 そもそも、私お腹空いてるし。

「いきます。すぐに着替えますから、お家で待っててください」

 すっピンなのも忘れて、思わずマスクを口元からずらして宣言してみたのだけれど。

「いいよ。無理しなくて。また誘うから。お大事に」

 無常にも、神崎さんは背を向けてしまった。

 あ~……。行ってしまった。

 あっけなく去ってしまった神崎さんにうな垂れ、泣く泣く再び櫂君のくれた惣菜選びに戻った。

「いいもーん。神崎さんなら、きっとまた誘ってくれるもん。櫂君の惣菜だって、美味しそうだもんねぇ」

 誰もいないのにスネながら呟いて、お惣菜をレンチンした。

 温められた美味しそうな食べ物をテーブルに並べると、一緒にお酒も飲みたくなってくる。

「飲んじゃ駄目だよね……。食べたら薬飲まなきゃいけないしね。……けどぉ、ちょっとだけ」

 誰に言い訳しているのか、ひとりごちてから冷蔵庫の中の冷えた缶ビールを一本取り出した。

「一本飲んじゃうのは、まずいかな?」

 お酒なんてダメですよっ。と叱る櫂君の声が聞こえた気がしたけれどスルー。

 グラスを用意して、三分の一ほど注いでみた。

「うーん。もう少しかな」

 半分まで注いでみる。

「うん。とりあえず、半分で手を打ちましょう」

 空腹の胃にビールを煽ると、一気にアルコールが体中を巡っていった。

「ひゃあ~っ。きくぅーーー」

 ビールのCMなみに旨さを表現してから、惣菜を口にした。

「うまっ」

 パクパクとリズムよく惣菜を食べ、ビールを飲むとめちゃくちゃ幸せを感じた。

 美味しく食べられるって、本当に幸せ。

 むふむふ言いながら口にしていったのだけりれど、思いのほか量を食べられずに残してしまった。

 私としたことが、こんなんでもやっぱり病み上がりってことか。風邪に負けたとは思いたくないけれど、納得せざるを得ない。

 それから、薬を飲んで歯を磨き、再び布団にもぐりこんだ。

 少しウトウトとしかけた頃、またインターホンが鳴った。

 もぞもぞと布団の中で蠢いて、出るのが面倒だなぁ。なんて思っていると、控え目だけれど玄関ドアを直接ノックされた。

「神崎だけど」

 ん? 今、神埼って聞こえたけど……。廊下の先にある玄関を勢いよく見ると、再び声がした。

「川原さん」

 この声は、やっぱり神崎さんだ。

 微かに部屋へと届いた声に驚いて、ガバリと飛び起き上がる。

 さっきと同じように慌てて、またマスクをしてパジャマの上に羽織ものを着る。

 同じようにドアを少し開けて顔を覗かせると、神崎さんが無造作に袋を差し出してきた。

「具合が悪いのに、何度も悪いな。これ、見舞い」

「あ、ありがとうございます」

 マスクの上からモゴモゴしゃべり袋を受け取ると、中にはみかんが入っていた。

「いや、礼はいいよ。その風邪、夜中に俺がラーメンに連れ出したせいだろ?」

「え……」

「悪かったな」

「いや、そんな。違います。気にしないで下さい」

 私は、ブンブンと首を振って否定をした。

「なんか他に欲しい物があったり、具合悪くてしんどくなったら呼んでよ。なんなら、壁叩いてくれていいから」

 神崎さんは、壁を叩くジェスチャーをする。

「それか。イヤじゃなかったら、俺の番号教えるし」

 番号? スマホ?

 知りたいっ! 番号、知りたい!!

 神崎さんの番号を教えてもらえるなんて、棚から牡丹餅だよ。

 今度は、ブンブンと首を縦に振る。その仕草に神崎さんは、可笑しそうに俯いて笑ってしまった。

「川原さんて、ホントおもしろいよね。見てて飽きないよ」

 クスクスと笑いながら、神崎さんはスマホを取り出した。

「LINEできる?」

「はい」

 二人のスマホをフリフリすれば、相手のデータが現れる。

 神崎さんのデータ、ゲットーーーー!

 歓喜に震えそうなのを、必死に堪える。

「なんかあったら連絡して。じゃあ、お大事に」

「ありがとうございました」

 ぺこりとお辞儀をして神崎さんを見送ったあとには、一人で大喜びですよ。

 スマホを握り締めて、さっき堪えた歓喜の声を上げてしまいます。

「うっひょーーー」

 スマホに頬ずり。

「ここのところ、連続して嬉しいこと続きだよぉ。こんなに幸せでいいのかな」

 にひひひひ

 ニタニタしながら布団にもぐりこむと、早速神崎さんからメッセージが届いた。

【みかん食べて、ビタミン摂ったら直ぐに良くなるよ。また、ラーメン行こうな】

「了解ですぅ。ビタミン摂りまくって、早く元気になりますよぉ。で、神崎さんとラーメンにGOですもん」

 むふふふ。

 ん?

 気持ちの悪い笑いを零していると、続いてメッセージが届いた。

【化粧してなくても、あんまり変わらないな】

「え?」

 それって、どういう意味?

 化粧してもしてなくても、たいしたことのない顔ってことか?

 いやいや。ポジティブに取ってみよう。

 すっピンでも可愛い! とか?

 うん。こっちの方がいいよね。

 なんて、勝手な解釈をして浮かれるのでした。

 むふふふ。

「みかん、美味しい」

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