泣けてくる

 ぼんやりとした意識のまま瞼を持ち上げてみれば、いつのまにか私はベッドの上に寝ていた。きっと、櫂君が抱えて寝かせてくれたんだろう。

「かい……くん……」

 カサカサに渇いた喉から発した声は、熱のせいか余り音にはならなかった。それでも、見守るようにそばに居てくれた櫂君には届いたみたい。

「大丈夫ですか?」

 櫂君が、心配そうにして私の顔を覗き込んでいる。

 全然大丈夫じゃなかったけれど、話すのがつらくてとりあえず頷いておいた。

 体中がだるくて、寝返りさえもままならなくなっていてつらい。

 さっきまで、櫂君が買ってきてくれたお惣菜を食べる気満々だったはずなのに、今食べ物を目の前に差し出されたら、それだけでリバースしてしまいそうだった。

 喉はカラカラに乾いているのに、熱の辛さに目じりには涙がたまっていく。

「喉、渇きませんか?」

 私が寝ている間に買ってきてくれたのか、櫂君がスポーツドリンクをコップに入れてくれた。

 抱えられるようにして上半身を起こし、涙のたまった目元を拭おうとしたところで、おでこに冷えピタが貼り付けられているのに気がついた。

 どうして櫂君は、いつもこんなに気が利くんだろう。

 心の中では、看病してもらっているありがたさにとっても感謝しているのに、それが言葉になって出てこないのがとてももどかしい。

 櫂君から渡されたコップを受け取り、スポーツドリンクを飲むと、カラカラだった体と、空っぽだった胃に染み渡っていくのがよく判った。

「薬、飲めますか?」

 訊かれて頷いたけれど、渡された錠剤を口に含んだら喉に引っかかってなかなか旨く飲み込めない。

 何度も水を口に含んでようやく飲み込むと、力尽きたように私はまた布団に倒れこんだ。

「少ししたら、効いてくると思いますから」

 倒れ込んだ私の体に、櫂君が布団をかけなおしてくれた。優しい表情の櫂君は、私の目元にかかる前髪に触れる。

 そのしぐさは、昔母にしてもらったのと似ていて、懐かしさに心臓のあたりがきゅっとなった。

 祖母が居たとはいえ、母は女手ひとつで私を育ててくれた。

 何度も実家で暮らすよう祖母は言っていたらしいけれど、母はなかなかうんと言わず。私たち母子は、小さなアパートを借りて、ずっと二人で暮らしていた。

 当然、母は仕事に追われ、私は一人になることが多かった。

 私が小学生の頃に酷い高熱を出した時、忙しいはずの母はずっとそばに付き添っていてくれた。その時の母の、見守るような優しい眼差しと、そっと髪の毛を払うしぐさが今の櫂君と重なったんだ。

 なんて優しくて、温かな手なんだろう。

 櫂君が居てくれてよかった。

 櫂君が居なかったら、心細いまま一人で風邪と戦わなきゃいけなかったよね。本当にありがとう。

 櫂君の目を見たまま、心の中て櫂君の存在に頭が下がる思いでいると、その瞳が三日月になる。

「目、閉じて大丈夫ですよ。僕、まだ居ますから」

 櫂君の言葉はとっても心強くて、なんだか泣きそうになってくる。

 風邪を引くと心が弱るのはよくあることだけれど、櫂君が居てくれると思うといつも以上に人恋しさが沁みて涙腺が緩んでしまうんだ。

 ありがとう。

 また声にならなくて、私は口の形だけで櫂君にお礼をいい、瞼を閉じた。


 次に目を覚ましたら、体が随分と楽になっていた。櫂君がくれた薬が効いたみたいだ。

 ぼんやりとした視線をさまよわせ首を巡らせると、櫂君はベッドに寄りかかるようにして座っていた。

 声をかけようとしたけれど、静かな寝息が聞こえてきたのでやめておいた。クリスマスパーティーの後、同期の子たちと遅くまで楽しんでいたのかもしれないよね。

 櫂君、本当は疲れていたんじゃないの?

 物件の話を聞きにきただけなのに、櫂君には悪いことをしてしまったな。わざわざ家まで来て、看病までさせちゃったね。

「ごめんね……」

 小さく零した声に、櫂君がピクリと反応して起きてしまった。

 目を擦り、寝ている私を振り向く。

「どうですか?」

 私の頬にそっと手を添えると、ほっとした顔をする。その表情に、何故だか私もほっとした。

「ありがと。もう、平気だと思う」

 今度は、ちゃんと声になった。

 櫂君のほっとした顔に向かって笑いかける。

「駄目ですよ。飲んだのは、ただの解熱剤ですから。薬が切れれば、また熱が上がってくると思います」

 結局、その直ぐあと。櫂君が呼んだタクシーに乗って、私は救急の病院へと連れて行かれた。

 長い時間待たされて、漸く診察も済み薬ももらえた。

「これで良くなりますね」

「こんな時間まで、ごめんね」

 夜も遅い時間になって家に戻り、私は再び横になった自宅のベッドから櫂君に謝った。

「今度、美味しいお酒。おごってくださいね」

「もちろんだよ」

 笑顔で返す私を見て、「早く元気になってくださいね」と櫂君が微笑む。

「元気じゃない私なんて、私じゃないよね」

 軽口を叩くと、「無理しないでください」と優しく言って布団をかけなおしてくれる。

「じゃあ、僕はそろそろ帰りますね。あ、キッチンにおかゆ作ってありますから。食欲が出たら温めなおして食べてください。薬、ちゃんと飲んでくださいよ」

「うん。ありがと」

 玄関先まで見送ろうとしたら、やんわり断られた。

 優しく片手を挙げて出て行く櫂君の背中を見送って、私はまた眠りについた。

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