夏真っ盛り
仕事帰り。本屋に寄るのが面倒で、お祖母ちゃんのコンビニでファッション誌の立ち読みをしていた。
「ふむふむ。最近は、こんなのが流行っているのね」
食い入るように雑誌を眺めていたら、翔君がやって来た。
「あれ? どうしたんですか? ファッション誌なんて見て」
丁度お客がいなくなったのを見計らい、雑誌コーナーの整理をしに来たのかもしれない。翔君は、棚に斜めに刺さっている雑誌を直したり、種類別に整えていく。
「うーん。たまには、おしゃれしようかなって思って。ほら。翔君からも、せっかくネイルチップ貰ったしね」
貰ったチップは、パーティー当日忘れないようにと、鏡台替わりの姿見の前に置いてあった。
「あれ? もしかして、彼氏ができましたか?」
興味津々の顔で、翔君が私を見る。が、残念だけれど、まだその域には至っていないのだよ。
「違う、違う。まだだよ」
神崎さんとお近づきにはなれたけれど、もっともっと親密な間柄にならないとね。
「まだって。じゃあ、好きな人だ」
「正解」
私が人差し指を立てて笑みを向けると、「とうとう、菜穂子さんにも春がやってくるんですねぇ」なんてしみじみとした顔をされた。
確かに、しばらく春は来ていなかったけれどね。思わず苦笑いが浮かぶ。
「翔君こそ。春は、まだ来ないの?」
「俺ですか? 残念ながら、俺には、まだ来そうにないですよ」
がっくりと首を下げるので、よしよしと頭を撫でてあげた。
櫂君といい、翔君といい。私の周りには、守ってあげたい系年下男子? ばかりだな。
なんて櫂君に言ったら、「いつ菜穂子さんに守られたか、全く記憶にないんでけど」とか素で言われそうだけどね。
「取りあえず、美容院にでも行ってこようかな」
「え! 髪、切るんですか!? 俺、菜穂子さんのそのストレートロング、結構好きなんですけど」
翔君は、背中近くまである私の髪の毛に注目する。
「なんか、年中これでしょ。たまには、ウエーブとかレイヤーとか、どうかと思って」
肩先にあった髪の毛の束を少し手にしてクルクルと指に絡めると、キューティクルいっぱいの元気な髪の毛がスルリと跳ねるようにすり抜けた。
「うーん。ウエーブですか。大き目の緩々パーマとか、どうですか?」
「緩々かぁ。なるほどね。美容院に行ったら、担当さんに訊いてみるね」
家に戻り、早速美容院へ電話をした。パーティー前日の夜が空いていたので、すぐに予約を入れてもらった。
どんな感じに変身できるか、楽しみだなー。
週末には、新しいスーツとヒールを購入した。といっても、別段小洒落たものというほどでもない。
パーティー用にと特別なデザインの物を買ってしまうと、その後特別な時にしか着られなくなりそうなので、スーツは普段でも着られて、でも少しだけ華やかなデザインのものにし、ヒールはいつものより少しだけ高めの八センチヒールを選んだ。
履いて歩いてみるとちょっと不安定だけれど、デザインが素敵だったからそっちを重視。履いて行くうちに、ヒールの高さには多分慣れるだろう。
そうやって色々と準備を整え、いよいよ明日に控えるパーティーのために、今日は美容院でカットをしてもらった。
美容師さんによると、髪の毛の色素がもともと薄いのでカラーはしなくても軽く見えるし、カラーをして髪をわざわざ傷める必要はないという。それに、カラーとパーマは一度にできないので、パーティーは明日だから、パーマをかけたいのならどちらにしろ無理らしい。
翔君も話していたように、「ここまで綺麗に伸ばしたのに、もったいない」と美容師さんが私の髪の毛を梳かす。スルスルと櫛を通る髪の毛を鏡越しに見ながら、そんなもんかな? なんて嬉しさに頬が緩む。髪の毛を褒められるって、女の子はみんな嬉しいよね。
迷いに迷ったけれど、やっぱり緩々パーマにはチャレンジしたいのでお願いした。
実は、立ち読みしたファッション誌に、ゆるふわヘアのかわいいモデルさんが載っていたんだよね。この雑な性格の私が、そのモデルさんのようにパーマをかけたからといって可愛くなれるとは到底思えないけれど、あんな風になってみたいなと、珍しく乙女心が刺激されたのですよ。
美容師さんは、「毛の量を少し調整して、ゆるめにふわっとウエーブをかけましょう」と、なるべく髪の毛に負担がかからないよう技術を駆使してくれた。
それに、このヘアスタイルは、お手入れも簡単だから私向きだとか。私の雑加減を、よくわかってらっしゃる。
完成した鏡の前の自分を見ると、なんだかちょっと別人のようで嬉し恥ずかしだ。雑誌のモデルさんとまではいかなくても、いい意味でのイメチェンには成功しているんじゃないだろうか。
これなら神崎さんに偶然会っても、胸を張れる。
「前髪をこんな感じで流して。髪を乾かす時は、毛先を揉み込むようにしながら乾かして、あとはワックスでクシュッと散らしてくださいね」
美容師さんは笑顔つきで簡単にお手入れの説明をしてくれたけれど、自分でちゃんと毎日できるだろうか?
今まではずっとただのストレートだったから、乾かしっぱなしでろくに何もしなくて平気だった。なのに、毛先を揉み込むだの、ワックスだの言われてもできるかどうか……。
不安を抱えつつも、変身した自分に心がウキウキしていた。
弾む足取りでマンションに戻り、エレベーターに乗って三階の渡り廊下に出ると神崎さんがいた。
なんという偶然。こんな風に会えるのは、お隣に住んでいる特権だよね。ラッキー。
寒空の下、神崎さんは渡り廊下で煙草を燻らせながら桜の木を眺めている。
「こんばんは」
声をかけると、ゆっくりとこちらに首をめぐらせ、少しの間が空いた。
「……ああ、川原さん」
指先に挟んだ煙草を宙に浮かせたまま、神崎さんは我に返ったような顔をした。
「どうしたんですか? 寒いのに、こんなところで」
近づいていくと、再び煙草を口に咥えて煙を空に向かって吐き出す。
「うん。ちょっと、桜を見てたんだ」
「桜……ですか。枝しかないですけど……」
冬枯れしている桜は、数えるほどしか葉もついていないし。ついているその数少ない葉も、枯れてしまって、今にも全部落ちてしまいそうだった。
「ちょっと、昔のことを思い出していて……」
神崎さんは、寒さからなのか自らの煙草の煙になのか、僅かに目を瞬かせながら桜の木へ視線を向ける。
ダウンを着ているとはいえ、こんな冬の夜に枯れた桜の観賞とは、はて?
煙草を吸う神崎さんの横顔を眺めていたら、不意に訊ねられた。
「イメチェン?」
桜を見ていた神崎さんの視線が、こちらへと向く。
「え?」
「髪の毛」
「あ、ああ。はい」
そうだった。神崎さんに会った嬉しさで、美容院でヘアスタイルを変えてもらっていたことをすっかり忘れていた。
変わった自分を、一番に神崎さんに見てもらえるなんて光栄すぎる。
でも、ちょっと照れくさいかな。
もじもじとしていると、神崎さんが目を優しく細めた。
「よく似合ってるよ」
ズッキューンッ!!
キラリンと白い歯を見せるその笑顔とセリフに、私は胸を打ち抜かれましたよ。嬉しすぎて昇天しそうですよ。
「デートでもすんの?」
「え? デートなんて。そんな相手は、いませんよ」
私がデートをするのは、神崎さんとって決まっているんですから。
「ほら。この前の彼は?」
「彼? ああ、もしかして、櫂君ですか?」
「酔ってた彼、櫂君て言うのか。あの彼、川原さんに気がありそうじゃん」
少しからかい気味に笑うと、煙草を一口吸う。その後吐き出した煙が、息の白さと混じって空に消えた。儚い煙を、なんとなしに目で追っていく。消えた先では夜が深く、冷たい空気が二人の体温を奪っていくようだ。
神崎さんの見当違いな言葉に、私は肩を竦めた。社内の人気者が、私に気があるはずなどない。
寧ろ、珍獣扱いされている私を、櫂君が珍獣使になって、ビシバシ器用に飴と鞭を使いわけながら、やる気を引き出してくれているだけだ。
「それ、勘違いですよ。櫂君が、私なんかに気があるわけないじゃないですか」
おかしくてクスクス笑うと、「どうかな」なんて、今度は神崎さんが肩を竦ませている。
「私が好きなのは、神崎さんなんですよ」
どさくさ紛れに、さりげなくまた告白してみた。ストーカー騒ぎのときに続く、二度目の告白だ。
僅かばかり驚いた顔をした神崎さんだけれど、以前のように、ストーカー! なんて怒り出すことも逃げ出すこともない。それだけで、ほっとして笑みが浮かぶ。
「そうだった。俺のこと、想ってくれてるんだったっけ」
神崎さんは、少しだけおかしそうに頬を緩める。
サラリと告白したけれど、冗談みたいに取られてない? 結構、本気なのにな。拗ねてしまいそうだよ。
まー、ストーカーと誤解されたままより、今の方がずっといいか。ポジティブ、ポジティブ。
「明日、会社でクリスマスと忘年会を兼ねたパーティーがあるんですよ。それで、たまにはおしゃれしてみようかなと思いまして」
「へぇ」
それほど興味もわかないのか、そう返しただけで会話が終わってしまった。
それからも少しの間、神崎さんは葉もない枝だけの寒そうな桜の木を見ていた。
私もなんとなくそのままそばにいて、桜の木を眺める神崎さんを見る。
神崎さんが煙草を吸う姿はやっぱり素敵で。この前はチノパンだったけれど、今日はジーンズで、その姿がこれまたよく似合っていた。
スタイルや顔のいい人は、何を着ていてもかっこいいな。
ぼんやりと見惚れていると、神崎さんが煙草を吸い終わり、深く息をつく。
「寒いな」
ポツリもらした感想が、なんとなく寂しげに感じる。これは、冬の冷たい空気と、暗い空のせい?
「風邪、引いちゃいますよね」
「風呂に入って、寝るかな」
神崎さんはクルッと踵を返すと、ポケットから鍵を取り出す。
私も自分の部屋へ、足を一歩向けた。
「あ、川原さん」
ドアを開け、体を半分中へ入れた状態で、神崎さんが私を呼ぶ。
「あんまり綺麗になってて、最初、川原さんだってわかんなかったよ。お休み」
そんな言葉を残して、神崎さんは家の中に入っていってしまいました。
「お、お休みなさい」
あまりの嬉しさに、神崎さんがいた場所を見たまま動揺し固まってしまった。
冬の夜は凍りつきそうなくらい寒いはずなのに、神崎さんの一言で私の体は夏真っ盛りになった。
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