おしゃれしてみよう

 長い会議を終えて席に戻ると、櫂君がじっとりとした目で私を見る。戻る早々、櫂君のそのねっとりとした視線に怯まずにいられない。

「な、なに……?」

「気になって、少しも仕事が手につかないんですが」

 なんのことやら?

 首を捻り、ノートパソコンを机に置いてストンと椅子に腰かけてから思い出した。そうだった。さっき、くだらない冗談の途中で席を外したんだったね。ごめん、ごめん。

「昨日のことだよね?」

「そうですよ。僕、菜穂子さんに一体何をして、何を言ったんですか? それに、あんなことって……」

 子供みたいに拗ねた顔を私に向けている櫂君は、一時間や二時間では二日酔いが抜けないのか、テンションの低い声のまま、あーだこーだ言っている。けれど、私は会議中に届いた社内メールが気になっていて、櫂君のグチグチを右から左にスルーして開いた。

「ん? ほうほう。これまた盛大ですね」

「菜穂子さん。僕の話、聞いてますか?」

 届いたメール画面に釘付けになっていると、放置されていたことに気がついた櫂君がふくれっ面を向けてきた。

「え? あ、ごめん。聞いてない。それよりさ、今年も来たよ、ほら」

 櫂君の記憶喪失についてはスルーのまま、私はディスプレイの向きを少しかえてメール画面を櫂君に見せた。

「クリスマスパーティー? ああ、あの盛大なやつですよね」

 膨れながらも、向けられた画面に視線を向ける櫂君は、去年の記憶を辿っているみたいだ。

「そうそう。毎年恒例の、社内行事」

「クリスマスと忘年会を一緒にやってしまおうっ、ていうのでしたっけ?」

 届いたメールには、『クリスマスには、忘年会!』と書かれていて、赤いデカデカとした装飾文字が目に飛び込んでくる。細かい日程などの詳細にも目を通した。

「櫂君は、去年初めて経験したんだっけ?」

「はい。なんか、よくわからないうちに、ビンゴやなんかに巻き込まれて、気がついたら景品のホットプレートをGETしてました」

「あ、そうなの? それ、すごいじゃない。私なんて、もう何回も出てるのに、いまだ参加賞の、社内ネームが入ったボールペンしか貰ったことないよ。ほら、これ」

 引き出しから、なんとも安っぽい造りのボールペンを取り出し、カチリと鳴らす。

 ボディーには、会社のロゴと社名がばっちり入っていて、社外で使う気には到底なれない。

「でも、ホットプレートを貰っても使い道がなくて、未だに箱に入ってそのままですけどね」

「ええー、もったいない。焼肉とか、お好み焼きとかすればいいじゃない」

 私なら、家でジュージュー焼いちゃうなぁ。使ってないなら、そのホットプレートくれないかな。そしたら、神崎さんをお誘いして、おうちで楽しくお好み焼きパーティーなんて。むふふふ。

 私がしょうもない妄想に耽っているのをわかっているかの如く、邪魔するように櫂君が話を続ける。

「一人でやっても仕方ないじゃないですか」

 溜息を零しつつ、櫂君は肩を落とした。

「彼女は?」

 ほら、目のクリっとしたアニメ的な彼女とか。禁断の人妻だっけ?

 ……あ、それは私の妄想か。

「だから、いませんて。僕には、想う人がいるんですっ」

 二次元女子や人妻をきっぱりと否定するように、酷く怒って言い返されてしまった。私の考えていることが、読まれているのだろうか……。

 まぁ、いい。

「日程は、来週の金曜日だって。ちょっと楽しみだな。へぇ、今年はリッツでやるんだ。気張りましたね、社長」

 ここにはいない社長に向かって、「よっ。やるねっ!」なんてかけ声をかけていると、櫂君に呆れた顔をされてしまう。

 二日酔いに、おバカ全開の相手はきついらしい。

 早く元気になって、もっとかまってよぉ~。

「普段のスーツ姿で、いいんですよね?」

 おバカ話から軌道修正をした櫂君が、当日の服装を訊ねてきた。

「もちろんだよ。場所は大層な所を借りるけど、気取らないのがうちの会社の楽で良い所なんだから」

 大体、ドレス着て来いなんていわれても、そんなの持ってないし。

 会社の忘年会のために、わざわざレンタルするっていうのもね。経費で落ちるならいいけど。

 そんなことを言ったら、櫂君はまたきっと呆れるんだろうな。でもさ、でもさ。レンタルなんて言ったって、結構お高いのだよ、櫂君。

 まだ言われてもいないのに、隣に向かって言い訳めいた視線を向けると、櫂君は、「なんですか?」という具合に首をかしげているから「なんでもない」と首を振った。

「いつも会社に来ている格好でいいのよ。そもそも、仕事終わりにそのまま行くのに、いちいち着替えてられないでしょ」

 とは言っても、女性社員は、その日かなり頑張っておしゃれしてくる人が大半だけどね。就業時間間近になってくると、化粧直しやなんやらで、トイレが混む混む。

 あ、そうだ。翔君がくれたネイルチップ。せっかくだから、あれつけて行こうかな。指先だけでも、たまにはおしゃれしないとね。

 それで、神崎さんにその日偶然逢ったりなんかしたら、さりげなく爪をチラッと見せて、アピールするのだ。むふふふ。

「あれ? なんか、嬉しそうじゃないですか、菜穂子さん」

「ん? そう?」

 神崎さんのことを考えると、つい頬が緩んでしまいます。

 そうだ。これを機に、ちょっとおしゃれに目覚めてみようかな。美容院にも行って、新しいスーツと靴も買って。

 あとはー。うーん。うーん。

 普段おしゃれに無頓着過ぎて、他にどうしたらいいのか思いつかない。

 帰りに本屋さんで、ファッション誌でも買って勉強しようっと。

 神崎さんに「川原さん、綺麗になったね」なんて、言われたら、どうしようーーーっ。きゃあっ。

 妄想を炸裂させていると、隣から冷たい視線が刺さる。

「顔、だらしなくなってますよ……」

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