よく見ると

「じゃあ。カンパーイ」

 突如機嫌が直り明るくなった櫂君が、グラスを持ち上げて高々と掲げる。私も釣られてグラスを持ち上げると、そこへカチンと合わせてきた。

「今日は、とことん飲みますよー」

 グラスのビールを一気飲みした櫂君は、すっくと立ち上がり勝手に冷蔵庫から次の缶ビールを持ってきた。そして、何の遠慮もなく飲みまくる。

 私が課長クラスのおっさんなら、「いい飲みっぷりだねぇ」なんて褒めたくなるくらいだ。

 だけど、ちょっと勢いがよすぎるのでは?

 突然ガラリと気分の変わってしまった櫂君を不思議に思いつつも、いい飲みっぷりに釣られてしまう私。だけど、余りのハイペースに、途中で櫂君が心配になってきた。

「明日も仕事だけど、大丈夫?」

「なるようになれです」

 私の心配もよそに、そんなことを言う櫂君の飲むペースは、一向に揺るがない。

 櫂君らしくない発言をして、呂律も回らず、更にビールをがぶ飲みする。

 次から次へとビールを体に流し込む櫂君の姿を見て、私は呆気に取られてしまった。

 櫂君てば、お酒に飲まれるとこんな風になってしまうのね。

 外で飲んだ時には、ここまで酔ってしまったところなど一度も見たことがなかった。ちょっとヘロヘロになることはあってもいつも冷静で、会社のみんなで飲みに行っても周りの勢いに飲まれるなんてこともない。

 どちらかといえば、私の方が危なっかしいと思う。楽しくなってくると、ペースがガンガン上がって、ベロンベロンになるなんて事はよくあることだった。

 いつもならそんな私を櫂君の方が心配そうにして見ているんだけど、今日は珍しくも逆パターン。ハイペースな櫂君に付き合ってしまうと自分の方がつぶれてしまいそうなので、彼の目を誤魔化しつつ私はチビチビとビールを空けていく。

 どんどんビールを空けていく櫂君と、ペースを緩めつつも飲み続ける私。しばらくすると、お皿に乗っていた惣菜もほぼなくなり、乾き物でもいいからつまみが欲しくなる。

 キッチンの棚に、何かなかっただろうか。視線を走らせると、テーブルの端っこにグシャリと置かれたままのコンビニ袋に目がいった。

「あ、そうだ」

 さっき翔君がくれたネイルチップが、袋の中に入ったままだった。

 ビールを飲みまくる櫂君をよそに、ビニール袋からネイルチップを取り出した。

 デザインは二種類で、クリスマス用なのか。ひとつは、コバルトブルーに雪の結晶をデザインした物。もうひとつは、赤のグラデーションにトナカイアートの物だった。

 クリスマスまでにはまだ少し気が早いけれど、とても可愛いデザインだと思う。

 ネイルなんて、女の子が気を遣うようなことに、実のところあまり必死にならない私は、夏になると気まぐれに自分でマニキュアを塗るくらいがせいぜいだった。

 だけど、これならチップを貼ればいいだけだし、簡単でいいかも。

 ズボラな私にぴったりの物をくれるなんて、さすが翔君。よくわかってらっしゃる。

 クリスマスに一緒に過ごす相手なんかいないけれど。もし、万が一にも神崎さんと一緒にいられるかもしれないとなったら、このチップで指先のおしゃれでもしてみようかな。

 神崎さんとのクリスマスをぽわわんと勝手に想像して幸せ気分に浸っていたら、櫂君が私の持つチップに気がついた。

「なんですか、それ?」

 とろんとした目をした櫂君は、その目を細めてよく見ようとチップに顔を近づけてくる。

「さっき、翔君がくれたサンプルのネイル。可愛いよね」

 ネイルの柄がよくわかるように、二つを摘んで櫂君へ見えるように向ける。すると、櫂君が座った姿勢のまま、両手を後ろについてのけぞりながら零した。

「可愛いかもしれないですけどー」

 何故か、その姿勢のまま不満そうに言って口を尖らせてしまった。

 あれ。なんか、また不機嫌君に逆戻り?

「てか、菜穂子さんはー、誰とでも気軽に話をしすぎです」

「え?」

 ネイルチップを櫂君に見せたままの体勢で、何の脈絡もない櫂君の言葉に首を捻った。

「誰とでもって。誰?」

「それは……。色々ですよ。色々」

 酔っている櫂君が何を言いたいのか、私にはさっぱり解りません。

 てか、もうそろそろお酒を止めた方がいいかも……。

「ねぇ。櫂君、そろそろお開きにしない? 櫂君、かなり酔ってるみたいだし。ほら、終電も逃しちゃったら大変でしょ?」

 気を遣って言ってみたんだけど、「余計なお世話です」と返されてしまった。けど、時間を見てみれば、あともう二〇分ほどで電車がなくなってしまう時刻だった。

「とにかく、ほら立って」

 座り込んでいる櫂君の大きな体を引っ張り上げて、床に脱ぎ捨てられたままのコートを拾ってあげた。

「ほら。寒いから、コートも着てね」

 まるで甲斐甲斐しい奥さんみたいに、私は櫂君にコートを着せてビジネス鞄を持たせる。

「菜穂子さんは、僕と一緒にいるのがイヤなんですか?」

 玄関まで連れて行くと、座った目をしてそんなことを言い出した。

「イヤじゃないよ。だけどね、明日も仕事があるんだし。こんなにつぶれるほど飲んじゃったら、二日酔いで大変でしょ。部長に怒られちゃうよ」

 宥めるように言ってはみたものの、座った目はそのままで納得している様子がない。櫂君て、酔うと何気に面倒くさいんだな……。

 これ以上機嫌を損ねて絡まれても困るので、浮かんだ苦笑いを悟られないようにする。

「菜穂子さん。あんなキラキラした、ネイルチップだかなんだか知りませんが。騙されちゃ駄目なんですからねっ」

 騙されるってなんですか。翔君が私を騙す理由ってなに? もう、まともに付き合ってらんないよ。

「はいはい」

 酔っ払いの相手を本気でしても仕方がないので適当に返事をし、櫂君に靴を履かせて何とか外に連れ出した。

 家の中とは違って、外はメチャクチャ冷え込んでいる。櫂君にだけはしっかりコートを着せたけれど、自分は何も上着を羽織らずに出たら寒いじゃないのさ。

「ううっ。風が冷たいっ」

 夜風にぎゅっと身を縮めると、櫂君が静かに私の名前を読んだ。

「菜穂子さん……」

 さっきまでお酒に飲まれて座っていた目が、心なしかちょっと潤んだようになっている。

 私はそんな櫂君の目を見ながら、寒さに自分で自分の体を抱きしめた。

「なに?」

 カタカタと、寒さに自然と体が震えたす。

「寒い……ですよね……」

「うん。もうっ、メッチャ寒い」

 吹く風の冷たさに、歯もカタカタと鳴り始める。そんな私を、櫂君がじっと見ている。

 さっきまで酔ってだらしなくヘロヘロになっていた顔が、会社でよく見る男前バージョンに変わっていた。

 あれあれ。何のスイッチが入っちゃったの?

 ここには可愛い同期の子も、後輩ちゃんも居ませんよ。なのに、そんな潤んだような瞳を私に向けてもしかたないじゃないのよ。

 そういえば、櫂君とこうしてマジマジと顔をつき合わせることって、なかったなぁ。

 真隣にいつも座っているせいか、お互い横顔ばかりみているような気がするし。飲みに行っても、お酒や料理ばかり見ているし。なんて言うか、すぐ近くにいるけど、見ているようで、見てこなかった?

 あ、頬の辺りに薄っすら小さなほくろがある。気がつかなかったな。

 目はしっかり二重で、鼻筋も通っているのね。

 後輩ちゃんたちが「藤本さんて、かっこいい~。きゃあっ」なんて騒ぐ理由も頷けるな。櫂君て、ちゃんと見てみたら男前だもんね。いや、ちゃんと見なくても男前だとは思っていたけれどね。

 彼女、作らないのかな? 好きな人は居る、なんて言っていたけど、実はもう付き合ってたりして?

 彼女ができたなら、先輩であるこの菜穂子さんにちゃんと報告しなさいよね。

 少し茶色に近い目の色を見たままそんなことを思っていたら、櫂君がふわりと私に抱きつくように覆いかぶさってきた。

「こうしたら、あったかいですよ」

 驚いている私の耳元で、櫂君が静かに囁いた――――。

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