どうして怒ってるの?
鍵を手に入れた神崎さんと私は、そんな会話をしながらマンションのエレベーターに乗り込み三階の渡り廊下に出た。すると、ドアの前に一人の人物がそわそわとした様子で立っていた。
「あれ? 櫂君?」
エレベーターを降りた私に気づいた櫂君が、こちらを驚いたようにして見ている。そして、その僅か数秒後には、とっても渋い顔つきになった。
どうしたんだろう? と近づいて行くと、いきなり怒られた。
「菜穂子さん、何やってたんですかっ!」
櫂君に近づいていった途端大きな声で怒られて、私は驚きで肩をすくめる。
「……え? 何って、色々……」
隣に立っていた神崎さんも、櫂君の剣幕にちょっとびっくりしているようだ。ポケットに両手を入れた状態で、肩を竦ませている。
櫂君はそんなことなどお構いなしに、肩を怒らせて私と神崎さんを交互に見ている。まるで睨みつけるようにして見てくる櫂君に、余計な揉め事に巻き込まれるのも面倒だと思ったのか、神崎さんはそそくさとした態度で、「じゃあ、また」と小さく言って、手に入れた鍵でドアを開けた。
「あ、はい。また」
私が神崎さんに軽く会釈するとドアが静かに閉まり、渡り廊下には櫂君と私だけになった。その間も、櫂君はなんだか酷くご立腹の様子だった。
拗ねた子供のように怒った顔をした櫂君は、私の目をじっと見て逸らさない。
早くごめんねって言わないと、絶交だからね!
子供の頃、そんな風に言って怒っていた友達を思い出す。
櫂君が怒っている原因がわからないまま、とにかく寒いので私は部屋に上がってもらうことにした。
「さすがに十二月ともなると、寒いよねぇ」
怒っている理由も解らないので、取りあえずそう普通に話しかけながらリビングへ行き、点けっ放しで出かけてしまったエアコンの温度をもう少しだけ上げた。ピッと返事をするエアコンの音を確認してから、着ていたコートを脱ぐ。ハンガーにコートをかけて洋服ダンスにしまい、櫂君の分のハンガーも取り出した。
「直ぐに暖かくなるからね。適当に座ってて」
櫂君は私の言葉が聞こえているのかいないのか、部屋にあるローテーブルの前に突っ立ったまま、じっと何かを見ている。
「櫂君?」
首をかしげながら近づくと、櫂君がビシッと指を差した。
「これ、なんですか」
相変わらずの怒り口調で、櫂君は神崎さんと食べたあとのうどんの土鍋や紅茶やコーヒーのカップが、片付けられないまま乗っているテーブルを力強く指差した。
「土鍋とマグカップ」
私は、見たままを真顔で応えた。
「そうじゃなくてっ!」
驚きと共にきょとんとした顔を向けると、櫂君がはき捨てるように、けれど怒りを溜め込んだみたいな静かな声でそう返してきた。
え? それ以外になんて応えれば……。もしかして、片付けもせずにいるこの状態は、女子力が低いって言いたいの?
そもそも、私に女子力なんてものが備わっていないのは、櫂君が一番よくわかっているはずなのに……。
さっきの怒りバージョンとは違い、静かな声の櫂君はやけに冷静だからか、大きな声で言われるよりも、なんだかちょっと恐い気がした。
「……えっとぉ、どうしちゃったかな……?」
静かながらも怒りの度合いが高くて、私の脳内がちょっとパニックになってきた。だって、櫂君が怒るなんて、初めてのことなんだもん。
どんなに私のした仕事で間違いがあったって。(よく確認してください)
ランチを誘っておきながら、お財布を持って出るのを忘れたって。(確信犯ではありません)
部長からの仕事で残業に長々と付き合わせたって。(一人でも、寂しくなんかないやい)
諭したり叱ることはあっても、今まで一度も私に怒ったたことなんてなかったんだ。
しかも、どうして怒っているのかさっぱりで、私はどうしたらいいのか分からずに、脳内は右往左往で狼狽中。
「何度もLINE入れたんですよ」
櫂君に言われて、慌ててポケットにしまいこんでいたスマホを出した。「あ……。ごめん」
見ると、確かに未読のメッセージがいくつもあった。
神崎さんの鍵騒動で、スマホを気にしている余裕がなかったんだよね。
ごめん、ごめん。そっか。連絡したのに、私が無視してたから怒ってるんだね。
そうだよね。こっちに来るって言ってたんだもんね。なのに、LINEに反応もなければ家にも居ないとなると、そりゃあさすがの櫂君でも怒るよね。
だけどね、のっぴきならない事情だったのよ。だって、私の大好きな神崎さんが鍵を無くて、寒空の下に放り出されていたんだよ。
大好きな人が目の前で困っているんだもん、どうにかしたいって思うでしょ?
そんなわけでね、とってもバタバタしていたのですよ。
さっきまでの出来事を、おたおたしながらもなんとか私が説明すると、少しだけ櫂君の怒りが治まった。
――――ような気がした。
「で、菜穂子さんのことをストーカー呼ばわりしていた酷い人と、仲良くひとつのうどんを食べていたと」
「……いや。仲良くと言える距離感ではなくてね……」
寧ろ、半径一メートル以内に近づけなかったから、仲良くと言うよりも、警戒警報発令みたいな、ね。
「その上、自転車に二人乗りですか?」
あれは嬉しい誤算だったなぁ。むふふふ。
「それは、近道を知っている私と、一刻も早く家に帰りたかっただろう神崎さんとの意見の一致と言うかなんというか……」
「何でそんなことになっちゃうかなぁ……」
櫂君はぶつぶつと零し、俯きながら深いため息をつく。
「なんにしても。仲良くなってしまったんですね……」
「そうなのよ、櫂君。奇跡的にも、仲良くなれたのよ。凄くない? これって、やっぱり赤い――――」
“糸”と言いそうになったところで、櫂君がサッと踵を返した。
私は、隠し持っていたスリッパか何かでスパーンッ! とはたかれるかと思い、瞬時に頭を抱えたのだけれど。櫂君は、そんな私の横を通り過ぎて、玄関へと向かってしまった。
「僕、帰ります」
「え? どして? やっと来たのに、帰るの?」
「ええ。やっと来たけど、帰りますっ」
あれ? やっぱり怒ってる?
櫂君は着てきたコートを脱ぐこともなく、さっさと玄関を出て行ってしまった。
結局。櫂君がどうして怒っていたのか、私はよく解らないままハンガーを握りしめていた。
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