ひょんなことから 2
「どうぞ、適当にお座りください」
寒さに凍えていた神崎さんは、靴を脱ぐとズカズカと部屋に上がり、ストンと床に胡坐をかいた。
エアコンは効いていて暖かいはずだけれど、それでもずっと外に居たから、体の芯は冷え切っていることだろう。なので、とりあえず温かい紅茶を入れてみる。
ティーパックのやつだから、直ぐに用意ができた。
「よかったらどうぞ。睡眠薬とか、けして入っていませんので」
念の為にと言い添えたのが余計に悪かったのか、手を伸ばしかけた神崎さんがその手を引っ込めてしまった。
あのね……。大体、そうそう都合よく睡眠薬なんて、持ってませんて。どれだけ信用がないのでしょうか。
がっくりときながらも、そういえばと思い出す。
「うどん。食べます?」
一人分しかないけれど、と訊ねると、今度は首を縦に振った。
紅茶には警戒したのに、うどんには警戒しないというのがよくわからない。お腹が空いているのかも。
そして、この神崎さんという人は、意外と遠慮をするということを知らない人なのかもしれない。
こんな時櫂君なら、いえいえお構いなく。とか。寧ろ、じゃあ僕が何か作りますよ。なんて冷蔵庫の中にある物でチャッチャと料理を作ってくれそうな気がする。
まぁ、櫂君の場合、気が利きすぎるところがあるから特別よね。
あ、そういえば。今、何時だろう? 二十一時に来ると言っていた櫂君だけれど、時間を確認するととっくに約束の時刻は過ぎていた。
スマホを見てみると、LINEで連絡が来ていた。
どうやら、もうちょっと遅れるらしい。それでも”絶対に行くので待っててください。”と書かれている。無理しなくてもいいのに。
「写真でも撮るのか……?」
スマホを見ていると神崎さんにそう言われて、なんのことか解らずに首をかしげた。
「友達からのLINEですけど……」
そう返事をしてから、隠し撮りすると思われたんだと気づき、慌てて弁明する。
「あの、隠し撮りとか絶対ないですからね。私、本当にストーカーじゃないですからっ。紅茶だって、本当に何も入ってないですよ。なんなら私のと交換します? それとも、お湯を沸かすところからご自分でやられてもいいですし。あ、それだとティーパックの疑いは、はれないですよね。えーっと、えーっと。じゃあ、外の自販機にあるあったかいコーヒーとかの方がいいですかね。だったら、問題ないですよね」
必死で言うと、ちょっと笑われた。
余りに必死過ぎただろうか? だけど、ストーカーだけは本当に勘弁して欲しい。
「うどん。食わせてくれんだろ?」
「ああ、そうだった、そうだった」
催促されてキッチンへ行き、土鍋に火を入れる。すると、さっきの必死さが伝わったのか、神崎さんは恐る恐るという感じだけれど、私が入れた紅茶を口にしていた。
その姿に、少しだけでも信用してもらえたとほっとする。
うどんをグツグツさせた土鍋をテーブルに運んで蓋をあけると、出汁のいい匂いが鼻腔をくすぐった。
考えてみれば、櫂君が来る前に小腹を満たそうと考えてからもう随分と経っている。お腹が空いて当然だ。
神崎さんは、湯気の立ち上る土鍋の中身を見てぼそりと零す。
「ネギと揚げしか入ってない……」
まったく遠慮のない人です。仕方ないじゃないですか、元々料理なんてしないのですから、食材なんてあるわけないし。ネギとお揚げがあったのが奇跡的ですよ。
神崎さんの言葉はスルーして、一人前のうどんを二人で分け合って食べた。
この状況だけを考えれば、なんとも仲のよい恋人同士のようだけれど、半径一メートル以内に近づけない私は、彼から離れた場所に座っているのでなんともおかしな絵面だ。
うどんを食べつつ、私はその間何度もお祖母ちゃんに電話をしてみたのだけれど、一向に繋がる気配がない。
どうしましょう?
「あのぉ。何処で失くされたかは、わかっているのでしょうか……?」
躊躇いがちに訊くと、全然と首を振りながらも、「もしかしたら会社かもしれない」と肩を落とす。
半分のうどんを完食した神崎さんは、「気がついた時には、もう鍵は無かった」と呟いた。
その後、当然のことだろうけれど、二人の間に特に弾む会話もなく。なんとも気詰まりな空白の時間が押し寄せてくるので、紛らわせるためにテレビを点けてみた。
バラエティー番組をつけて、互いに時々薄く笑いを零す。
仲がよければ、何かしら会話をしながらあーだこーだと言い合って笑ったりもできるんだろう。
しかし、彼はきっと私がまだストーカーだという思いを拭いきれていないだろうから、そんな仲のいい雰囲気はとても望めない。
ああ、気まずい……。櫂君、はやく来てくれないかなぁ。そしたら、今よりはもう少しまともな空気になりそうなんだけれど。
櫂くーん。
心の叫びを胸に秘め、新たな提案をしてみる。
「コーヒー、飲みますか?」
私が訊ねると、僅かに間をおいたあとに神崎さんは頷いた。
「ああ」
キッチンへ行き、そそくさとコーヒーの準備をしていると、躊躇いがちに神崎さんから話しかけてきた。
「そういえば、あんた。結構、いいところあるんだな」
え?
なんのことだろう? と顔を上げると、さっきまであんなに険しい目つきをして私のことを見ていたのに、神崎さんの顔が穏やかに緩んでいた。
「松葉杖のおばさんの袋、持ってやってただろ?」
松葉杖って、ああ、コンビニの時の。
「あの人、ここのマンションにずっと住んでる人で、知り合いなんです。それに、同じ場所に帰るんだし」
コーヒーを淹れて持っていくと、小さく「サンキュ」と呟く。
そのささやかな感謝の言葉に、心がきゅんとなった。
横暴だれけど、垣間見える優しそうな表情や言葉に、つい嬉しくなってしまう。
私は、また一メートルほど離れた場所にぺたりと座り、同じようにコーヒーを飲んだ。
「それに。今日も商店街で婆さんの荷物、持ってやってただろ?」
「え? それも見てたんですか?!」
私は驚いて、神崎さんの顔を見返した。
神崎さんこそ、私のストーカーなんじゃないですか? という冗談を言いそうになったけれど、また気まずい雰囲気になりそうなのでやめておいた。
「あのお婆ちゃんも、知り合いなんです。タイさんていって、商店街の裏にあるお煎餅屋さんのお婆ちゃんなんですよ。あ、そうだ」
私はタイさんがたくさん持たせてくれたお煎餅を、神崎さんに勧める。
「これ、タイさんがくれたお煎餅です。美味しいですよ。良かったらどうぞ」
「コーヒーには、あわないな」
ぼそりと神崎さんは零したけれど、その割には立て続けに何枚もお煎餅を食べている。
やっぱり遠慮のない人だ。
素朴で昔ながらのお煎餅を二人でバリバリ音を立てて食べていると、電話が鳴った。
「あ、お祖母ちゃん」
表示された名前を見て声を上げると、神崎さんがごくりとお煎餅を飲み込み通話に注目した。
「もしもし、お祖母ちゃん」
「菜穂子、悪かったね。お煎餅ありがとね」
慌てて呼びかける私とは対照的に、お祖母ちゃんはのんびりと昼間に置いていったお煎餅のお礼を言った。
「何処に行ってたの? 何度も電話してたんだよ」
「あら、そうなの? それは、ごめんなさいねぇ。で、なんだい?」
「新しく入ったお隣さんが、鍵を失くしちゃって家に入れないの。スペアキー、ある?」
「あら、それは大変だね。ここにあるけれど」
「じゃあ、今からすぐにとりに行くよ」
「夜も遅いから、気をつけて来るんだよ」
「うん。わかった」
電話を切ると、希望の光に満ちた顔をした神崎さんが、私を一メートル先から見ていた。
「私、お祖母ちゃんのところへ行って鍵を取ってきますので、ちょっとここで待っていてもらえますか?」
「あ、俺が自分で行くよ」
「けど、私の方が場所も近道も知ってるし。自転車もあるので、パパッと行ってきます」
自転車の鍵を手にすると、「俺が行く」と神崎さんも一緒に玄関を出てきた。
急いで自転車置き場へ行き、自転車へ鍵を差し込むと、一緒に下りてきた神崎さんに横からハンドルを取られた。
「俺が運転すっから、道を教えて」
荷台に視線をやった神崎さんを見て、驚きとともに自然と表情が明るくなる。
それって……、二人乗りで行くってこと?
な、なんか。テンション上がる!
もう諦めようとしまいこんでいた愛しい感情が、ふつふつ熱を持ちこみ上げてきた。
ヤバイ、やっぱり好きだ。
遠慮とかない人で、睨んだ目とか超恐いけど。さっきみたいな柔らかな表情や、素直に感謝の言葉を口にするのが本当の神崎さんなんじゃないかって思えてならない。
恋をしている贔屓目だとしても、この人のこと、やっぱり好きだよぉ。
声を大にして叫びたい衝動を抑え、「早く乗れっ」と急かす神崎さんに従い後ろにまたがった。
「ちゃんと掴まってろよ」
「はい」
と言っても体に触れるの憚られるので、私は荷台をしっかりと両手で握る。
私を乗せて走りだした自転車は、漕ぎ出しこそ僅かにふらついたものの、神崎さんの脚力でどんどんスピードを上げていった。後ろから神崎さんへ道順を説明しながら、私たちはお祖母ちゃんの家を目指す。
神崎さんはガンガンペダルを漕ぐので、自転車のスピードがものすごく速くて、私は何度も振り落とされそうになる。
歩道の切れ目の凸凹で自転車がガタンッとなるたびに、ヒャッと上がる悲鳴とじんわり浮かぶ冷や汗。
振り落とされたら、ひとたまりもないだろう。頭パッカリの血液がダラリという感じで、ホラー的な怪我をしそうだわ。
アトラクションのような安全性が見込めないので、必死に掴まっているのだけれど、体はどうしてもグラグラしてしまう。
「ちゃんと掴まってろって」
前から怒鳴られるように注意されて、「はいっ」と大きく返事をした。
櫂君が居たら、「いい返事です」と褒められそうなくらいだと思う。
数分後、命からがら辿り着いたお祖母ちゃんちで、私たちは鍵を受け取った。
「管理会社へは、私の方から連絡を入れておきますのでね。管理会社から新しい鍵を受け取りましたら、この鍵はお返しくださいね」
「はい。ご迷惑をおかけします」
神崎さんは、私相手とは絶対的に違う、とても丁寧な態度でお祖母ちゃんにお礼を言って頭を下げた。
帰りは鍵を受け取ったことでほっとしたのか、行きよりも自転車の速度はのんびりとしたものだった。自転車の後ろに座る私は、行きのような焦りもないから撫でていく風に髪の毛を押さえる。
「悪かったな……」
風とともに、神崎さんからの謝罪の言葉がふわりと後ろに届いた。
私は、「いえいえ」と言いながら神崎さんには見えもしないのに首を横に振った。
それより、この年になって、自転車で二人乗りをすることになるなんて思いもしなかった。しかも、二人乗りの相手は一目惚れした愛しい人だなんて。
なんか、青春してるみたい。やっぱり赤い糸?
櫂君が居たら、後ろからスリッパでスパーンッとひっぱたかれそうだけれど、ニヤニヤが止まらないよ。
この状況に頬を緩めていたら、ガタンと大きく自転車が揺れ、叫び声とともについ神崎さんの背中にもたれるようにくっ付いてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて背中から体を離すと、「大丈夫か?」と神崎さんが優しい声で心配してくれた。
油断していて思わず触れてしまったから怒られるかと思ったけど、意外なほどに優しい声が後ろに届いて、また顔が緩む。
嬉しいなぁ。
マンションに戻り自転車置き場へ行きながら、神崎さんがもう一度お礼を言ってきた。
「今日は、ありがとな。マジ助かった」
「いえいえ。お役に立ててよかったです」
ヘラヘラと笑う私に、神崎さんは爽やかな笑みを見せる。
「うどんも旨かったし。あんたストーカーなのに、いい奴みたいだな」
「いえいえ、そんな」と謙遜したところで、「ストーカーじゃなくてっ」と慌てて訂正した。
すると、口元にグーにした手を持っていき神崎さんが笑う。
「ははっ。悪い、悪い。もうストーカーなんて言わないよ。ええーっと、川原さんだよな」
「はい」
「サンキュー、川原さん」
神崎さんは、最初に会った頃に見た眩しい笑顔を私にくれたのでした。
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