懐かしい思い出

 しばらくたった週末。何の予定もなく、ダラダラゴロゴロと、私は家の中にこもっていた。

 外はお天気だけど、木枯らしが吹いていて寒そうだから、なかなか出かける気にもなれない。

 櫂君を誘って飲んでもいいかなと思い、さっきLINEで連絡を入れたら、大学時代の友達と遊んでいるからと断られた。

 それならとお祖母ちゃんに電話をしたら、一向に出ない。きっと商店街の集まりか何かで出かけているんだろう。

 じゃなかったら、不意に思い立って小旅行へでも行っているのかもしれない。だったら私も連れて行って欲しかったな。

「お祖母ちゃん、旅行好きだからなぁ」

 ポソリと床に向かってこぼしたところで、グルグルグルとお腹が鳴った。情けない音で、空腹だと催促している。

 コンビニに行ってまた神崎さんと逢っても嫌な思いをさせるだけだし、自分も落ち込んじゃうから駅前の商店街にでも行ってこようかな。

 細身のジーンズにたっぷり目のニットを着て、薄手のコートを羽織る。ドアを開けて渡り廊下へ出ると、木枯らしどころかビューッと冬の気配漂う冷たい風が吹きつけてきた。

「さ……、寒い……」

 もうそろそろダウンを出さないと、寒さに負けそうだ。枝を伸ばす桜の木には、ポツリポツリと黄色くなった葉がついている程度だ。ポケットに両手を入れて、寒さに肩をこわばらせる。

「早く春にならないかな」

 そしたらここも、とても晴れやかな雰囲気になるのにな。

 桜の枝に咲き乱れる桃色の花たちを想像してみたら、少しだけ気持ちがアップした。

 僅かに軽くなった足取りでマンションを出て、駅前を目指す。商店街の小さなショップではセールの文字も目立ってきていて、クリスマスソングも流れていた。

「クリスマスねぇ。なんて縁遠いワードだろう」

 今年もお祖母ちゃんと、小さなケーキを食べることになりそうだ。

 駅前の商店街では、小さなお店が犇めき合っている。狭い店内にこれでもかってくらいワゴンに商品が並べられているから、すれ違うのも大変だ。中二階になっているお店もあって、身軽な一人者なら難なく上り下りして商品を見ることができるけれど、階段もそれほど広くないから老人や小さい子を連れた家族連れは大変だろうな、といつも思っていた。

 レンタルショップの前を通り過ぎ、帰りに際に暇つぶしにDVDでも借りていこうと、とりあえず鳴り続けるお腹を黙らせるために昔からある洋食屋さんに入った。

「こんにちはー」

「あら、菜穂ちゃん。いらっしゃい。奥どうぞ」

 小さい頃から通っていたお店だから、フロアに立つおばちゃんのこともよく知る一人だった。

「いつものでいいの?」

「うん。お願い」

 指定席というわけじゃないけれど、奥にある席の商店街通りが見渡せる席が私のお気に入りだった。

 通りでは、家族連れや子供たちがたくさん行きかっている。そんな中、時々通る恋人たちを見ると、きゅっと心が辛くなった。

 あんな風に、神崎さんと私もなれたら良かったのにな……。

 もう叶うことはない未来をぼんやりと想像して、切なさにまた心がきゅっとなった。

 向かい側にある三階建ての小さなビルには、安い食料品店が入っていて今日も盛況のようだ。端っこにある細い階段を行き来するのがちょっと大変だけれど、品物が本当に安いのでいつも繁盛している。

 人の出入りの激しいそのお店をぼんやりと眺めていたら、階段のところで不意に目が止まる。

 あ、なんかあれ、危ないかも……。

 その階段付近にいるお客が、なんだか危なっかしい雰囲気がして私は席を立った。

「おばちゃん、すぐ戻るからっ」

 レジに居たおばちゃんに声をかけて、私は洋食屋を飛び出した。

 通りを歩く人たちをうまく避けながら、急いでお店の階段下へ駆け寄る。

 たくさん買い物をしたのだろう。大きな袋を両手に二つずつ提げた、どこぞの知らないお婆ちゃんが、ふらふらしながら狭い階段を下りてきていた。

 この階段は急な上に手すりもなくて、踏み外したらひとたまりもない。

「お婆ちゃん、大丈夫? 私、下まで荷物持ってあげるよ」

「あら、トキコさんちのお孫さんだね。ありがとねぇ」

 よく知らないお婆ちゃんだと思っていたけれど、相手は私のことを知っているみたいだ。

 何処のお婆ちゃんだっけ? 後でうちのお祖母ちゃんに訊いてみよ。

 荷物を持ち、手を差し出してお婆ちゃんを支えながらゆっくりと一階まで降りる。

「ここの階段は急だからさ、今度はお店の人に頼んだほうがいいよ」

「そうだねぇ」

 解っているのかいないのか、のんびりとした返事を返された。

 荷物を手渡すと、お婆ちゃんは「ありがとね」とぺこぺこと頭を下げて、商店街の先へとのんびり消えていった。

 あれは、また同じことをするな。

 お婆ちゃんの小さな背中を苦笑いで見送って、私は再び洋食屋に戻った。

 席に座ると、丁度でき立てのハンバーグセットをおばちゃんが運んできた。

「はい。いつもの」

「ありがと」

「ハンバーグ、少し大きめにしておいたよ」

 おばちゃんは、こっそりと耳打ちしてウインクをする。

 やった、ラッキー。

 嬉しさにおしぼりを手にして拭いていると、おばちゃんが感心したような目を向ける。

「それにしても、さっきのよく気がついたよね」

「たまたま、外を見てたからね」

 お冷のお水を口にして、フォークとナイフを手にした。

「あのお婆ちゃん、お煎餅屋のタイさんだよ」

「お煎餅屋?」

 ああ、商店街の真裏にあるやつか。

 小さい頃に何度か行ったけど、裏の通りには食べ物関係のお店が少ないから、なかなか足を運ぶことがなくてすっかり忘れていた。

 そうか、お煎餅屋のタイさんだったのか。随分と年とっちゃったなぁ。

 昔は背中もしゃんとしていて、もっとしっかりした足取りだったのにな。私が成人しているんだから、タイさんも年をとったってことだよね。

 なんとなく心がしんみりとしてしまう。

 とにかく、タイさんが怪我をしなくてよかったよ。

 さて、熱々のうちにハンバーグを、催促し続けるお腹へおさめるとしよう。

 はふはふとジューシーなお肉を口に運んでいたら、櫂君からLINEが入った。朝の誘いを断ったお詫びなのか、夜には時間が空くので飲みましょう。と誘われる。

 わざわざ無理しなくてもいいよ。と返したんだけど、意外と頑固なところのある櫂君は、絶対に行きますから。とLINEを締めくくった。

 何をそんなに意地になっているのか。とは思いつつも、お酒を一緒に楽しむ相手がいるのは、私としては嬉しいことだけどね。

 お腹も満たされ、レンタルショップへ足を向けた。櫂君がやってくるまでの間の暇つぶしに、映画を一枚借りた。

 洋画は、字幕を読むのに疲れるので邦画にする。ちょっと感動できるやつがいいな、とほろり泣けるのを選んだ。

 レンタルショップの袋を片手に、久しぶりにタイさんのお店へちょっと寄ってみることにした。

 お煎餅でもバリバリ齧りながら、映画っていうのもいいかなって思ったんだ。

 裏の通りへ入ると、商店街のある表通りとは対照的に、とってもひっそり静かな雰囲気が漂っていた。人通りがないわけじゃないけれど、賑わいはない。

 少し歩いていると、昔ながらの佇まいを残すお煎餅屋さんが現れた。店内には、お煎餅の入った大きなガラス瓶がいくつか並んでいる。その下も間仕切りのガラス張りになっていて、どんなお煎餅があるのかすぐにわかるようになっている。

 一人だと一袋買っても食べ切れなくて湿気てしまうことが多いので、ばら売りをして貰えると色々な味も楽しめるし嬉しい。

「こんにちはー」

 声をかけると、四〇代くらいのおばさんが顔を出した。

「いらっしゃいませ」

「お煎餅ください。この塩のやつを二枚と、海苔のついたのを二枚。あとー、このエビのも二枚」

「ありがとうございます」

 そうおばさんが言ったところで、タイさんがひょっこりと顔を出した。

「あれ。さっきは、どうも」

 タイさんは皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして笑う。とても可愛らしい笑顔だ。

 若い時は、綺麗な人だったんじゃないだろうか。そんな風に見える、キュートな笑顔だった。

「いえいえ」

 顔の前で私が手を振ると、タイさんがおばさんの用意してくれた私のお煎餅の入った袋を横からさらった。

 すると、それを大きい袋に入れ替えて、徐に並ぶお煎餅のビンの中から手当たり次第にじゃんじゃか詰め込んでいく。

 おばさんと私は驚いて目が点。

「お義母さん!?」

 おばさんは、どうやらここへ来たお嫁さんのようだ。タイさんのことを「お義母さん」と僅かばかり遠慮がちに呼び、その行動を見て慌てながらも、どうしたらいいものかとそばで戸惑っている。

「さっきはありがとね。これ、持っていきなさいな」

 そう言うと、「お代は要らないよ」といってお煎餅がたんまり入った袋を私に寄越す。

 まるで小さな子供にお菓子を配るように、皴皴の手がしっかりと私の手に袋を握らせる。

 そんなつもりで寄り道したわけじゃなかっただけに、なんとも気がひける。

 さっき自分が選んだ分だけでも払うと言ったのだけれど、タイさんは断固として引かず。結局、私はわざわざお煎餅を貰いに来てしまったような状況になってしまった。

 ハロウィンの時期でもないし、しかもいい大人なのに、本当に申し訳ない。

「また来なさいな。あんたのところのトキコさんに、よろしくな」

 タイさんはうちのお祖母ちゃんのことをそう言うと、縮こまった背中に右手を乗せて、皺くちゃの可愛らしい笑顔で私を見送ってくれた。

 申し訳なく思いながらも、ぺこりと頭を下げて歩き出す。

 小さい頃はこういうお店に母と寄り道をして、おやつ代わりに買い食いなんてしていたことを思い出した。

 母は、「お祖母ちゃんには、内緒だよ」ってよく言っていたけれど、私はここのお煎餅や商店街のたい焼きを母と一緒に食べられるのが嬉しくて、ついお祖母ちゃんに買い食いのことを話してしまっていたっけ。

 けれど、お母さんが内緒だと言うわりに、私がお祖母ちゃんに買い食いの話をしても怒られたことなどなかった。むしろ、「良かったねぇ」と私の頭を撫でてくれたくらいだ。

 そんな幼いころの記憶が、母のいなくなった今では、とても幸せなことだったんだなってシミジミ実感する。

 思い出を胸に歩きながら、タイさんから貰ったお煎餅を一枚取り出し、バリンと一口頬張った。香ばしくて、とっても美味しい。

 懐かしい昔ながらのその味に、自然と目じりが下がる。

 お祖母ちゃんにも少しお裾分けしようっと。

 マンションへ向かう道から方向転換して、お祖母ちゃんの家を訪ねることにした。

 しばらく歩いて家の前に着き、呼び鈴を押したけれど出てこない。商店街の集まりから、まだ戻っていないのかな。

 合鍵で中に入ってみても、やっぱり留守だった。

 何処に行ってるんだろう?

 チラシの裏に読みやすいようにマジックで大きく【タイさんから貰ったからお裾分けと】書いてお煎餅をテーブルの上に少し置いておく。

 母の仏壇にも手を合わせ、お煎餅を供えた。

「本当に旅行にでも行っちゃった?」

 首をかしげて独り言を漏らし、残りのお煎餅をもって私は家に戻った。

 お茶を用意して、お煎餅をテーブルに広げてさっき借りたDVDの鑑賞を始める。いつ泣いてもいいように、ティッシュの箱も引き寄せておく。

 余談だけれど、お隣は留守のよう。

 あ、けしてストーカー的な行為はしていませんからね。

 ほら。人が居ない雰囲気って、なんとなく解るでしょ?

 ね、ね?

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