警戒 2
後輩ちゃんとのことを知らない櫂君は暢気なもので、楽しそうに口角を上げて話し出す。
「本当は、誕生日とかの方が、こういうお店に来るにはいいんでしょうけど。菜穂子さんの誕生日って、四月だから。まだまだ先だし」
「そうだね。って、よく私の誕生日を知ってるよね?」
「えっ……。あー、それは、ほら。何でも屋の総務第二課の宿命ですよ。社員の事はある程度把握していますから」
へぇ~。同じ部署にいながら、他人事のように感心する私。
「相変わらず凄いねぇ、櫂君は。私なんて、必要に迫られないと色々調べないし、憶えておこうなんて気にもならないもん」
「菜穂子さんは、そんなこと憶えておかなくてもいいんですよ」
「なんで?」
「僕がちゃんとフォローしますから」
どこか誇らしげに櫂君が胸を張る。
それは、ありがたい。ありがたいけど、それこそ誕生日でもないのにこんないいお店のイタリアンをおごって貰うのは、さすがの私でもちょっと、いや結構気が引ける。
お会計の時に割り勘にしてもらおう。
お店の料理は、どれも見た目通りに美味しかった。ちょっと味が濃い目なのは、お酒が進むように仕組まれているからだろうか?
ボトルを一本空けたあたりでそんな風に思ったけれど、美味しいからまあいいや。
今日は、浴びるほど飲んでやる。なんて口に出したら、いつも浴びるほど飲んでいるじゃないですか。と目の前から突っ込まれそうだな。
そんな私の目の前に座る櫂君は、食事中とても饒舌だった。
特に中身のない話ばかりだったけれど、時々ふっと話すのをやめてふわりとした目を向けたまま時間が止まる時があって。
なんだろう? と私が首をかしげると、櫂君はなんだか幸せそうに微笑むんだ。
もしかしたら、酔いすぎて櫂君にだけ妖精さんが見えていたりして。なんて。
コロポックルとか居たりする? あ、あれって見た人は死んじゃうんだっけ? 櫂君、大丈夫? コロポックル見えてたりしない?
冗談交じりで心配してみる。
私との食事で幸せを感じるなんて事はないだろうから、もしかしたら顔にパスタソースでもついているんじゃないかと、慌ててナプキンで口元あたりをおさえてみたりした。
そんなやり取りが食事中に何度かあって、いい加減、なんなんだ? と思った時には、「さあ帰りましょうか」と伝票を手にされてしまった。
訊くタイミングを逃してしまい、会計の金額を覗き見して、私はほんの少しだけ先に外へと出た。
お店から出てきた櫂君に、お会計の半額を渡そうと数枚のお札を差し出す。
「はい。これ」
「いいですよ。今日は、僕のおごりって言ったじゃないですか。それに、前に僕おごってもらってるし」
「けどね」
お店のレベルが高いよ、櫂君。私がお祖母ちゃんのコンビニで惣菜やビールをおごったのとは差がありすぎだよ。
「気にしないでくださいよ」
櫂君は、アルコールでご機嫌なのかヒラヒラと手を振ると、「タクシー拾いますね」と大通りに手を伸ばす。
これは、お祖母ちゃんに裏の手を回してもらってでも、櫂君の住処を確保しなくちゃいけないな。
はっ。もしかして、櫂君。はなからそれが目的だったとか!?
私としたことが、迂闊だった。これは賄賂ってやつじゃないですか。まんまと櫂君の罠にはまってしまったわ。相当いい物件を紹介しなくちゃいけないじゃないの。
早速お祖母ちゃんに、いい物件がないか再度訊いてみなくちゃだわ。
乗り込んだタクシー内でも、櫂君は終始ご機嫌だった。
食事の時みたいに饒舌にぺらぺらとおしゃべりをしていたわけじゃないけれど、にこやかな表情をずっと保ったまま、時より隣に座る私のことを窺うようにしてみていた。
「櫂君。ご機嫌だね」
私がそう話しかけると、「はい。とっても」といって笑う。
なんか、あんまりご機嫌な表情でそばに居られると、神崎さんに避けられてどんよりしていたことも忘れてしまいそうだよ。櫂君の笑顔のパワーかな。
そんな櫂君は、私を先に家まで送ってくれた。これまた気が利くこと。
「じゃあ。また会社でね」
私がタクシーを降りると、櫂君は中から手を振りやっぱり上機嫌だった。
何かいいことでもあったんだろうか?
私に新しい恋、なんて言っていたけれど。実は、何かとってもいいことがあって、それのお祝いだったりして?
なんにしても、ゴチになりました。あざーす。
「お祖母ちゃんに、もう一度いい空き物件がないか訊いておくね」
「よろしくお願いしますっ」
櫂君は、敬礼のポーズをビシッと決めながらもヘロヘロな感じは拭いきれず。緩んだネクタイが右にヘナリと曲がっているのが、なんだかちょっと笑えてしまう。
ありゃ、相当酔ってるな。ヘロヘロの櫂君が乗ったタクシーを見送って、エレベーターで三階へ行くと、丁度お隣のドアが開いた。
あ。久しぶりの再会。
愛しの神崎アツヒロさんに逢うことができて、私のテンションが急激に上がっていく。
チャージ開始!
彼はまだ私という存在に気づいておらず、俯き加減でエレベーターのあるこちらへ一歩踏み出した。
それから不意に顔を上げ、私という存在に気がついた瞬間に一歩たじろぐように退いた。
そして、ぼそりと呟いた。
「ストーカー女」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。それ、違うって言ったじゃないですか」
私は撤回してもらいたくて慌てて彼に走り寄る。すると、彼は焦ったように家の鍵を取り出すと鍵穴に差し込みガチャガチャさせている。
どうやら近寄る私から逃げるために、もう一度部屋に戻ろうというのだろう。なんてわかりやすい動作だろう。
「もう。本当に、違うので、そんなに怖がらないでくださいよ」
私は、二、三歩離れたところから、懇願するように神崎さんへ訴えかけた。
少し離れて話しかけたのは、余り近づくとこの状況では更なる誤解を生みそうだからだ。
神崎さんはといえば、うまく鍵が開けられず、恐々と弁明している私を振り返る。
「そんな目で見ないでください」
「普通、見るだろ」
怖がりながらも、半ば切れたように言い返されてしまう。
「危害を加えるような事は、絶対にいたしません。誓いますっ。ただ、本当に私は、純粋にあなた様に一目惚れをしただけでして」
「それがストーカーだろっ。あんた、マジこえーし。大家の孫かなんかしらねえけど、これ以上俺に関るなっ」
切れ気味のまま言い切られて、もう何を言っても無駄なんだなぁ。と私はなんだかとっても悲しくなってしまった。
肩を落として俯くと、お前の相手なんかしてられないとばかりに、神崎さんは私の横をサッと通り過ぎていなくなってしまいました。
ああ、悲しい。
ああ、せつない。
ああ、惨め。
櫂君の言うとおり、会社までつけて行ったりしなきゃよかった。そしたら、ここまで酷いことを言われたりしなかったかもしれない。
ただ、電車で見つめているだけなら、まだ相手への印象は悪くならなかったのかも。こんなに近い距離に住んでいるのに、心は遥か宇宙の彼方以上に遠いよ。
叶いそうもないこの恋に、私はシミジミ思うのでした。
神様は、なんて罪な距離に私と彼をおいたのですか。
それでも、“ストーカー女”と呼ばれるのだけは、どうしても撤回して欲しいな。せめて、川原と呼んでいただきたい。
また逢う機会があるなら、の話だけれど。ふぅ~。
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