知りたいんだもん

 自分からお願いした手前、食べ物も飲み物も私が用意した。

「気前いいでしょ?」

 ニコニコと櫂君へ言うと、当然でしょうという冷めた目を向けられる。

 そんな櫂君の手には、お祖母ちゃんのコンビニで買った惣菜やつまみや、たくさんの缶ビールが入ったビニール袋が握られていた。

 重そうなそれらを軽々と持つ櫂君と共に、私は自宅マンション内に入る。

 エレベータで三階に行き、渡り廊下を歩いていくと、私の部屋の隣で櫂君がピタリと足を止めた。

「櫂君?」

 自分が入りたかった部屋の前で、後悔の念にでもかられているのでしょうか。

 櫂君は、お隣さんのドアの前で何やらじっと思案中。

「ここですか。名前、神崎っていうんですね」

 言われて、表札が出ていることに初めて気がついた。食い入るように「神崎」の文字に目を奪われる私。

「カンザキって、この神崎さんなんだ。へぇ~」

「他にどんなカンザキさんがあるんですか?」

 櫂君の突っ込みは、スルー。

 あとは、アツヒロってどんな漢字を書くのか知りたいな。

 むふむふ考えていると、櫂君がじっと私のことを見ていた。

 あれれ? なんか、私の考えが丸見え?

「大丈夫。変な事は、考えてません」

 とは言ったものの、櫂君にはばれていると思うけれど。

 本当ですか? という櫂君の猜疑心丸出しの顔つきを、スルーしたのは言うまでもない。

「ていうか。何で僕まで、こんなにことにつき合わされなくちゃいけないんですか」

 不満顔の櫂君は部屋に上がると、さっき買った惣菜や缶ビールを袋から丁寧に出し、ローテーブルへと置いていく。

「だって。一人だとストーカーっぽいけど、二人だったら、宴でいける気がしない?」

「宴って。隣の物音聴くために僕を連れ込んでも、やってる行為はどう取り繕ってもストーカーですよ」

「そうなの?」

「そうですよ」

 せっかく色々と買い込んだのにな。

 私は、テーブルの上に並ぶ沢山のお惣菜を眺めながら腕を組む。

 櫂君は呆れた溜息を吐くと、「お皿借りますよ」と甲斐甲斐しく惣菜をお皿に移して、レンジでチンしてくれる。

 別に、パックのままでもよかったんだけど。

 それをしないのが、気遣いばっちりの櫂君なのですよね。さすがです。

「さっき通った時は、まだ電気は点いてなかったよね。帰りは、遅いのかな?」

 キッチンで準備している櫂君に話しかけると、「だからぁ」と怒ったような呆れたような顔を向けられた。

 そんな顔されても、気になっちゃうんだもん。好きなんだから、しょうがなくない?

 櫂君がレンチンしてくれたお惣菜のメンチカツを肴に、二人でビールを煽った。

「おいしいっ」

 メンチカツのうまさとビールの炭酸にきゅっと顔をしかめて静かに堪能していると、櫂君もビールを飲んで大きな声で「うまいっ」と声を上げた。

「声が大きいよ、櫂君。静かにしてないと、アツヒロさんが帰ってきた音に気づけないじゃん」

「あのですねぇ。本当に、そういうのはやめたほうがいいって思うんですけど、僕」

 部屋はテレビも点けず、音楽さえ流していない。

 静かにしていないと、大事な物音を聞き逃してしまうからね。

「けどさ、櫂君。好きな人のことって、何でも知りたいじゃない? 櫂君だって、好きな人のことは少しでも知りたいって思うでしょ?」

「そりゃあ、まあ……」

 不満そうではあるけれど、知りたいという心理については完全否定をしない。

「そういえば。櫂君て好きな人いるんだよね? この前どんな人か訊き忘れたし、せっかくだから今日教えてよ」

「せっかくの意味が解りません」

「せっかくは、せっかくよ」

 強引に言い切ると、苦笑いを浮かべている。

 だって、ただ静かにお惣菜にかぶりついてビールを飲んでいてもつまらないじゃない。惣菜以外にも、お酒には肴が必要なんですよ。

 興味津々で櫂君が話し始めるのを待っていると、遠慮がちに口を開いた。

「片想いなんで、あんまり言いたくないです」

「ええー。櫂君なのに、片想いなの?」

 私は、酷く驚いた。

「ええーっと、それどういう意味ですか?」

 だって、あれだけ会社でも注目の的で、「藤本くぅ~ん」なんて甘い声で呼ばれちゃってる人が、まさかの片想いだなんて、普通は驚くでしょう。

「櫂君て、もてるでしょ? 私、女の子たちがよく櫂君の噂してるの聞くよ」

 メンチカツに齧り付き、モグモグと咀嚼する私へ櫂君が問い返す。

「なんですか、噂って」

「かっこいいのに彼女がいないのは何故だ、的な」

「かっこいいは嬉しいですけど、大きなお世話です」

 大きなお世話ですか。そりゃ、失礼しました。

 あっ。

「まさか、櫂君……」

 私は右手を反り気味にぴんと張り、その甲を左頬につけぽそりと呟いた。

「こっち系?」

 言った瞬間に、櫂君は飲んでいたビールをブッと思い切り噴出した。

「あーあー」

 噴出して汚れてしまったテーブルを、私は近くにあったティッシュで拭き拭き。

 もったいないじゃないのよぉ。

「ご、ごめんなさいっ」

 櫂君も慌てて拭いている。

「いーの、いーの。謝ったりしないで。どおりでねぇ。そりゃあ好きな人のことなんて、そうやすやすと口にはできないよね。こっちこそ無理に訊き出そうとして、ごめんねぇ。人の想いなんてそれぞれだから、男が男を好きになったっていいのよ。しゃんと胸張ってね」

「ちっ、違いますよ。謝ったのは、そのことじゃないですって。ビールを零した事です。大体、誰がそっち系なんですか。僕はちゃんと女の子が好きなんですよ」

「あ、そうなの? それは、失礼しました」

 まったくもう。と櫂君は頬を膨らませたあと、グイッとビールを煽っている。

 けど、片想いなんて、櫂君の容姿からはやっぱりイメージが結びつかないよ。

 私が片想いしているというなら、きっと周囲は二度三度と大きく頷きを返すだろうけれど、モテモテで選び放題のはずの櫂君がねぇ。

 もしその片思いの相手に櫂君が告白したら、相手はすんなりオーケーするかもしれないよね。

 だって、櫂君だよ。こんなイケてる男の子からの告白を、断る女の子なんていないでしょう。

 あ、それとも禁断の恋? 相手は人妻とか?

 うっひょお~。やるねぇ、櫂君。

 なんやかんや言っても、恋愛というのは難しいものだね。

 私がくだらない思考を力いっぱい脳内で繰り広げていると、何やら物音が聞こえてきた。

 おっ! この音は。

 私は咄嗟に櫂君へ向かって、「しっ」と人差し指を口元に立てる。

「もしかして、帰ってきた?」

 呟きを漏らしたあとは瞬時に立ち上がり、隣に面している壁に耳を押し当てる。

「菜穂子さん、それ駄目ですって」

 聞き耳を立てる私は、櫂君に止められ壁から引き剥がされてしまった。

 仕方ないので、部屋を出て廊下を行き、靴を引っ掛けそおっと玄関ドアを開ける。隣の様子をほっそいドアの隙間から伺ってみたけれどよくわからないので、グイっと首を伸ばして渡り廊下へ頭を出した。

 すると、さっき通った時には暗かった、渡り廊下に面しているお隣の窓ガラスが明るい。

 やっぱり帰ってる。今何時だ?

 腕時計を確認すると、既に二十一時だった。

「帰りは、いつもこんなに遅いのかなぁ?」

 部屋に戻りながら呟くと、櫂君が帰り支度をしていた。

「あれ? 帰っちゃうの?」

「これ以上、共犯めいたことには付き合えません」

 素気無く言って、玄関へと向かう。

「つれないなぁ」

「ていうか、菜穂子さん。本当に、やめてくださいよ。好きなら正々堂々とした態度に出てください」

「ストーカーって思われてるのに、今更正々堂々としたって、無理だと思わない?」

「だったら、きっぱり諦めるとか」

「無理」

 決着のつかない押し問答に、櫂君が折れる。

「とにかく、僕は帰りますけど。くれぐれも、変な行動は起こさないように」

「はーい」

「返事は、はいっ」

「はいっ」

「よろしい」

「じゃあ、お疲れ様でした」

「ばいばーい」

 玄関先で櫂君を見送る。

 そういえば、また櫂君の好きな人を訊き忘れちゃったな。どんな子が好きなんだろう?

 櫂君のことだから、きっと可愛らしい子が好きなんだろうなぁ。

 背は少し低めで、口や鼻のパーツは小ぶりで、フリルとかが似合いそうで。目と胸だけはやたらと大きくて。きゃはっ。とか笑いそうな感じで。うるうるの瞳で、「櫂君」なんていって甘えちゃうんだろうなぁ。

 勝手に次々妄想していったら、アニメキャラのような人物像が出来上がってしまった。

 まさか、二次元じゃないよね? お帰りなさいませ、旦那様とか? 人妻とどっちがましだ?

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