休日予定なし
週末の、誰にも縛られない自由な時間が大好きだ。前日に夜更かししようが、テレビを見続け、お菓子を貪り食べようが、お酒をたんまり飲もうが、文句を言ってくる人はいない。
その中でも、誰に叩き起こされることもなく、のんびりとふかふかの布団に包まっていられるのは幸せだ。
午前中をのんびり寝て過ごそうと、至福のその場所でぬくぬくといつまでも過ごすはずが、今日に限ってはなにやら外が騒がしい。廊下をバタバタと何人もの人が行きかっているようで、足音や話し声がさっきからひっきりなしに聞こえてきておちおち寝てもいられない。
「もうっ、五月蝿いよぉ……」
こう見えても、意外と神経質なんだよ、私。
むくりとベッドの上で起き上がり、大きく欠伸をする。その後力の抜けた体で玄関先まで行き、ほそーくドアを開けて外の様子を窺ってみた。
お隣さんが退去するためか、引っ越し屋さんがバタバタと動いているのが見えた。揃いのつなぎを来た彼らの背中には、とってもわかりやすくパンダの笑がついている。
「ご苦労様です」
ポソリと労い、そっとドアを閉じる。
本日退去と言う事は、近々新しい人が入居してくるってことよね。変な人じゃないといいけど。
最近は物騒だから、どんな人が隣になるのか、ちょっと心配だったりする。
お祖母ちゃんが物件を預けている不動産屋さんは、昔馴染みで気のいいおじさんがやっているけれど、人間観察眼が衰えてきるっていう噂もあるし……。
ドタバタと聞こえてくる引越し作業の音に安眠を諦め、洗面所へ向かった。さっぱりとしてから着替え、コーヒーを淹れてゆっくりのんびりと過ごす。
スマホで面白動画を観ていたら、櫂君からLINEが届いた。
【 近所に物件探しに来てるんですけど、よかったら今日、ランチしません? 】
近所? うちの? ほほお。結局、この辺の立地条件は、手放せなかったってことか。
ていうか。モテ男が、休日にまで私と一緒でいいのかい?
寂しがりやの後輩から届いたLINEに笑みを零しつつ返信をし、誘われたランチまでの時間を私はのんびりと過ごした。
「おーい。櫂くーん」
駅前で待っていた櫂君のそばに走り寄ると、普段着姿の櫂君が手を振って迎えてくれた。
ジーンズ姿にTシャツというラフなスタイルの櫂君は、なんだか大学生みたいだった。そのままどっかの大学にもぐりこんでも、まだまだいけそうな感じがする。しかも爽やかで、なんか眩しい。
おっと、これは逆光のせいか。
「菜穂子さん。スカート似合いますね」
デニムのスカートを見て、櫂君がお世辞を言ってくれる。休日でも気遣いに余念がないのが素晴らしい。私の、普段の教育の賜物だ。よしよし。
「櫂君こそ。やっぱり若いね。爽やか君じゃん」
Tシャツに書かれている英語が“Restless”なんですが……、それって私への当て付けですか?
思わず苦笑いがもれる。
「若いって。三つしか違わないじゃないですか」
「三つ違ったら充分でしょうよ。女と男じゃ、同じ年をとっても違うからね」
落ち着きのない私じゃ、精神年齢は下かもしれないけどね。
脳内で皮肉を繰り広げる私。
「そんなもんですか?」
「そんなものなのですよ、櫂君」
余り納得していない櫂君でした。
そんな彼がこの町の事をよく知りたいというので、案内がてら大雑把に説明してあげることにした。
駅前辺りは、小さなお店が寄り集まっているおかげで、意外と重宝することや。大通りに出ると大きなドラッグストアがあること。自転車で十分も行けば、広々とした公園もある。それに、私と一緒に商店街辺りで買い物をすれば、昔からの知り合いが多いから、何かとサービスしてもらえるよ。なんてことまで教えておいた。櫂君は可笑しそうにしていたけれど、割り引きは大事だから。
「この道路脇の木って、桜ですか?」
櫂君がふと足を止めて、商店街の道にいくつも植えられている、色の変わってしまった葉のついた木を見上げた。
「そうそう。ここから大通りに出るまで、ずっと続いてるんだよ。春は凄く綺麗なんだ」
「想像できますね。益々、引っ越してきたくなりましたよ」
櫂君は、目をキラキラさせて話す。なんだか、秘密基地でも発見した小学生のようだ。ワクワクと未来に希望を見ている少年の目が、続く桜の木を眺めている。
その後、美味しいと評判のラーメン屋さんへ櫂君を連れていった。
「ランチにラーメン選ぶって。菜穂子さんらしいですよね」
「え? なにそれ。なんか、馬鹿にしてる?」
「いえいえ。気を遣わなくて楽なので、いいです」
「褒められているような、いないような」
「あんまり深く考えないでください」
「それって、褒められてないってことじゃないの?」
しらーっとした目で見ると、ススーッと目を逸らされた。
まぁ、いい。大らかなのが私のいいところだから。
「ここの塩ラーメン。美味しいんだよ」
メニューを指差す。
「じゃあ、菜穂子さんお勧めの塩味にします」
「従順でよろしい」
「大将。塩二つねー」
「あいよ」
湯切りをする店主に声をかけると、「毎度ありがとさん」と、出てきたラーメンにはチャーシューのサービスがされていた。ラッキー。
多めに乗ったチャーシューに満足気な顔をする私を見て、櫂君が笑っている。
私が勧めたラーメンを、櫂君はかなり気にいってくれたようで替え玉をした。
「細いのに、よく食べるよね」
感心しながら櫂君の食べっぷりを見ていると、あっという間に替え玉もぺろりと平らげる。スープまでしっかり完食した櫂君は、あとひと玉くらいいけそうな気がする、なんて驚きのセリフまでつけてきた。
その細い体の何処に、ラーメンが収まってしまったんだろう。マジマジと見てみたけれど、相変わらずシュッとしたスマートさで、お腹の辺りも出ていない。本当にラーメンが何処へ消えてしまったみたいだ。マジシャン?
ところで。
「午前中、この辺の物件を見て回ってたんでしょ? なんかいいのあった?」
「それが、いくつか見てみたんですけど、間取りはいいのに日当たりが余りよくないとか。部屋の感じはよくても駅から離れちゃったりで、どれもいまいちなんですよねぇ」
櫂君は、話しながら眉根を下げる。
「もっと早く訊いてくれていれば、私の部屋のお隣に入れたんだけどね」
「え? 菜穂子さんちの隣ですか!?」
櫂君は、目を丸くして酷く驚いている。
「うん。私も知らなかったんだけど、今日退去してくみたいで。でも、もう次が決まっちゃってるんだって」
「ああ、僕ってなんてタイミングが悪いんだっ」
櫂君は、とっても悔しそうにしている。
「菜穂子さんちの隣に入れたら、いつでもお醤油借りに行けたのに」
「いつの時代?」
私たちは顔を見合わせ笑う。
この前の逆パターンでとぼけて笑い合う私たちは、とってもいい仲間だと思う。こんな風に気の合う相手など、そうそういるものじゃない。
「このあとも物件探すの?」
ラーメン屋を出て訊ねると、少し迷った顔を見せた。
「焦って探しても駄目な気がするので、今日の物件探しはおしまいにします。菜穂子さんは?」
「私は、特に何の予定もなしですよ。恋人がいないと、休日は度々こういうことになってしまうのよね」
ああ、なんて。予定のない午後に溜息を漏らすと、櫂君が再びキラキラした目で見てきた。
「じゃあ。いない者同士、どっか行きましょうか?」
「いない者同士って、ちょっと寂しい感じじゃないのよ」
拗ねた顔をすると、「まあまあ」なんて適当に宥められ、私は櫂君と共に休日を過ごすことになった。
電車で少し先にある主要駅へ移動し、私たちは映画を観ることにした。
真剣なのは肩が凝るから、笑えるのにしようよ。という私の提案を櫂君は快く引き受けてくれて、私たちはB級映画のくだらなさに涙を流して笑い、ポップコーンを頬張りながら、しょうもない主役に突込みをいれた。
「ほんっとにくだらなかったね。何、あのセリフ」
私がケラケラと笑うと、櫂君も、「うんうん」と笑ってくれる。
こういう趣味も合うから、一緒に居て楽しいんだな。
櫂君といると、居心地がいい。抱き心地のいい、大きなぬいぐるみみたいだ。
「櫂君は、熊? それとも犬?」
「え? 何の話ですか?」
勝手に想像した大きなぬいぐるみを重ね合わせて、つい言葉にしてしまった。
「ううん。なんでもない」
思わず、クスクスと一人で笑ってしまう。
「このあと、どうしますか? 晩飯にしては、早い時間ですよね」
「そうだねぇ。でも、飲みたいなぁ」
「いやいや。今僕、飯の話をしたんであって。酒の話は一言もしてないですけど」
「そうだっけ?」
私がとぼけると、「ホント酒好きですよね」と笑っている。
「居酒屋も、この時間じゃまだ開いてないですよ」
「うーん。じゃあ、家で飲む?」
「えっ? 家って、もしかして菜穂子さんちですか!?」
私の提案に、櫂君はとっても驚いている。そんなに怯えなくてもいいじゃん。
「あのさ。とって食おうってんじゃないから、そんなに驚かないでよね」
頬を膨らませて抗議すると、慌てたようにいい訳を始める。
「いや、そんな。食うだなんて……そんなこと……。思ってもみませんでしたし……、寧ろ僕が……」
「え?」
ゴニョゴニョといつまでも言い訳している櫂君が可笑しくて訊き返すと、「あっ、いえっ。なんでもないですっ」と慌てたように笑いを浮かべていた。
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