空きなし
朝一から、会議議事録を依頼された私は、櫂君への挨拶もそこそこにPC片手に会議室に閉じ込められていた。
ああ、眠い。ああ、ダルイ。ああ、つまらない。
次々に交わされる言葉を記録しながらも、頭の中はぼんやりしてしまう。カタカタとスピーディーに動く指と、ぼぅっとしている頭は別の生き物のようだ。
なんて生産性のない会議なんだろう。さっきから同じことをグルグルと繰り返して、打開策の“だ”の字も出てこない。
よっ、給料泥棒!
声に出して言いたいところだけれど、「お前がな」と返されそうなので黙っておく。
あーあ、もうすぐお昼じゃない。
PC画面の隅にある時刻を見て、気づかれないように溜息を零した。
こんなの時間のロスだよ。もっとチャッチャと仕切れる人はいないのかな。
会議室には、うなり声と煙草の煙が充満し、コーヒーばりが消費されていく。
社長は、この議事録にちゃんと目を通しているのかな。中身のない会議の記録をしているだけなら、なおさら無駄なことだと思うんだけど。
そんな会議も、ようやく終了となった。というか、ランチタイムを区切りに次回へ持ち越しとなっただけなのだけれど……。
これ、お昼休憩がなかったら、いつまで続いてたんだろう。想像すると怖ろしくなるので、やめておこう。
悪寒にブルブルッと身震いをすると、自分を取り巻く臭いに顔が渋くなる。
ああ、もうっ。服が煙草臭いよ。
会議室の壁を拭いたら、あっという間に雑巾が黄ばみそう。
ヤダヤダと首を竦める。
社員たちがぞろぞろと気だるげに会議室を出て行ったのを見計らい、うっと大きく伸びをする。
「ぐは~っ」
伸びて吸った息を力なく吐き出すと、櫂君が開いたままの会議室のドアからヒョコッと顔を覗かせた。
「ランチ行きませんか?」
笑顔で誘われれば、お腹がぐーっと返事をする。
「おごり?」
意気揚々と目を輝かせて訊ねると、「後輩に集らないでください」とピシャリ断られた。残念。
櫂君の教育係になってから、私たちはほとんどランチを共にしていた。この行為が他の女性社員たちから睨まれる原因の一つだとはわかっているけれど、櫂君と一緒にいると楽しいので、周囲のガヤガヤくらいの面倒はスルーしている。
櫂君からも誘ってくるわけだし、同じ部署の人間同士が一緒にランチへ行くなんて、少しも珍しいことじゃないよね。
二人で会社近くのオムライス専門の洋食屋さんに入り、テーブルに届いたそれを凝視したままスプーンを握り締める。目の前にある、ボリューム満点のオムライスは、とっても食欲をそそる香りだ。しかし、これ何人前ですか? というくらいに山盛りだった。
店主の心意気なのか、ここのオムライスはライスの量が半端ないのをすっかり忘れていた。
「相変わらずのボリューム感ですね……」
櫂君も、目の前にあるずっしりと重量感のあるオムライスに、頬を僅かに引き攣らせている。
一時期、二人でここのオムライスにはまって、足しげく通っていた頃があった。その時も初めて注文した時には、あまりの量に驚いたものだ。けれど、周囲の注文する声を聞いていると、女性が「ライス少な目で」と頼んでいるのがわかって、それからは同じようにそうしていた。
けれど、久しぶりに来たことで、“ライス少な目で”と伝えるのを忘れてしまったら、どーんとしたのが届いてしまった。
目の前に山のように盛り上がったボリューム満点のオムライスが現れてから、しまったと思ったけれどもう遅い。盛り上がった卵の天辺には、長いウインナーまで乗っかっている。
「食べきれるかな……?」
余りのボリュームに、つい苦笑いが漏れてしまう。
「残ったら僕が食べますよ。食べられるだけ食べちゃってください」
心配する私に、櫂君がそう言ってくれた。
「ありがとね」
櫂君の好意に甘えた私は、心置きなく食事に取り掛かる。とろっとろの卵とケチャップライスを掬い取り、口へと運べばほっぺたが落ちそうだ。雑誌で取り上げられたことが何度もある店だから、味は間違いない。
「そうだ。お祖母ちゃんに、マンションの事訊いたんだけど、今は空きがないって」
咀嚼したあと櫂君へ結果を告げると、ガックリとしてしまった。
「そうなんですか、残念だなぁ……。菜穂子さんのところ、通勤に凄く便利だから狙ってたんですよ」
櫂君は、眉根を下げつつもオムライスの乗るスプーンを口に運ぶ。部屋に空きがなかったことが本当に悔しいのか、その後オムライス目掛けてブスブスとスプーンをつき立て始めた。
櫂君相手だと、行儀悪いよ。と注意するよりも、タンタンと肩を叩いて落ち込むなよ。と慰めたい気分になってくる。
「ごめんねぇ」
「あ、いえいえ。空きがないのは、菜穂子さんのせいじゃないので」
とは言っているものの、櫂君の食べるオムライスの崩れ具合を見れば、申し訳ない気持ちにならざるを得ない。あんなに立派だったオムライスは、鉱石を取り尽した山の如く穴だらけだ。
櫂君は、未だにスプーンでオムライスをブスブスついていて、その姿に少しでも元気付けたくなるのは親心に近いかも。
何かいい案はないものか。
少し考えてみたけど、さっきの会議となんら変わらず、打開策が見つからないのでくだらない提案で笑いを誘うことにした。
「なんなら、私とルームシェアする?」
笑いながら冗談を言うと、目の前の櫂君はオムライスにスプーンをつき立てたまま目を見開いて固まってしまった。
何このリアクション……。
いいですねぇ、ルームシェア。毎日酒盛りじゃないですか。てな感じに冗談で言い返してくるかと思ったのに……。
ちょっとくらい笑ってよね。芸人が滑ったみたいになって、気まずいじゃん。
そもそも、私とルームシェアなんて、何処まで面倒みさせる気なんだとか思ってんでしょ。
その態度、あからさまではないですか?
しかし、面倒臭いと思われるのは私の普段の行いを考えれば仕方がないことなので、ここは大人の対応といきますか。
「おーい、櫂くーん? 冗談だよぉー」
口元に右手をもっていき、山彦でも誘うように声をかけると、固まっていた櫂君の金縛りが解けた。
どうやら現実に戻ってきてくれたらしい。
「あ、はい。うん。そうですよね。冗談ですよね、はは……」
なんだか慌てたようにして、わざとらしい笑いを零している。
ついでに、ブスブスになったオムライスは山を崩し、見た目はなんとも無残になっていた。
こんな姿、作ってくれた人には見せられないよ。早く食べてしまいなさい。
それにしても。
「そんなに私と一緒は、不満なの?」
少しだけ口を尖らせて、大人の対応を崩した私は、わざと櫂君へ抗議をする。
すると、「とんでもない!」と声を大にするから、こっちが驚いた。
「そんな、とっても光栄すぎて、びっくりしただけですっ」
そこまで力強く言われると、素直に受け取れないんですけど……。
櫂君は、うんうん。と何度も頷き、しまいにはケタケタと笑っている。
しかも笑ってるし……。そのリアクション、どう受け取っていいものやら……。
なんにしても、私とのルームシェアは、まったく持ってありえないということだよね。いいけどさー、別にぃ。
その後、気を取り直した? 櫂君は、ボリューム満点でブスブスに崩れた自分のオムライスと、三分の一ほど残してしまった私のオムライスをなんとか完食してくれた。もちろん、天辺にデデーンと乗っかっていたウインナーもしっかりとだ。
「ねぇ。大丈夫?」
少し苦しそうな顔をして店を出た櫂君が心配で、ちょっと休憩がてらにコーヒーでも飲む? なんて誘ったら、これ以上何もお腹に入れさせないでくださいと笑われた。
確かに。
午後からの櫂君は、食べ過ぎた分を消費するみたいに、いつにもましてバリバリと仕事をこなしていった。
そんな頼れる勇ましい仕事っぷりを見ていると、彼はいつか本当に出世していくんじゃないだろうか? こんなよく解らない雑用部署には、そう長くいないかもしれないなぁ。なんて、少し寂しい思いにかられる。
櫂君が花形の営業とか開発に移動したら、あの生産性のない会議もなくなるかもしれなよね。
やっぱり今のうちに媚を売るか?
ニヤニヤとした顔で出世頭を見ていると、櫂君が下心アリアリの私の視線に気づいて手を止めた。
「なんですか?」
僅かに訝しんだ顔が、よからぬことを想像しているだろうと言っているように見える。だとしたら、なかなかに鋭い。
「なんでもないでーす」
前に向き直って仕事にかかると、櫂君は首を傾げて不思議そうにしていた。
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