鶴見緑 ②

 今朝から降り続ける大粒の雨は、依然として勢いが衰えていなかった。この調子だと、おそらく今日は陽の光を浴びることはないだろう。


 俺は薄い水が張った地面を駆けて、八号館の校舎に入った。雨避けで入った校舎の一階には、どうでもいい資格講座や就活セミナーの案内が掲示板に貼られている。


 うっとうしい雨のせいで気分が沈んでいると、見知った顔と遭遇した。髪を金に染め、無償髭を生やした威圧感のある男。雨水を滴らせた傘を片手に持っている。


 そいつと目が合う。しかし、先方は何事もなかったかのように前を向いて俺の隣を通り過ぎようとした。


「無視は悲しいな、天宮」


 互いがすれ違う直前に声をかけると、天宮は足を止め、億劫そうに顔を振り向かせた。


「あぁ……阪城か。気づかなかった」


「目と目があっただろ」


「こんな所で道草食ってるほど暇じゃねぇんだよ。世間話をするために呼び止めたなら、他に当たれ」


 そう言って、一度は止めた足を前に進めた。


「せっかく声かけたのに御挨拶だな」


 冷たくあしらって離れようとする天宮を、俺は追いかけた。言われっぱなしは癪だ。何か言い返してやろう。


「何をそんなに急いでるんだよ? 借金取りに追われているとか?」


 この男は、人から金を借りるほどパチンコに溺れていた賭博中毒者だ。現在も一人や二人、誰かから金を借りていてもおかしくない。


「お前から一秒でも早く離れたいからだ」


 俺の嫌味を物ともせず、歯に衣着せぬ言葉が返ってくる。滑って転べばいいのに。


「これから講義受けるのか?」


「お前には関係ない」


「そう邪険にするなよ。俺、お前に何か悪いことした?」


 天宮は無言で視線を向けてくる。その瞳の奥には、親の仇のように深く暗い情を秘められていた気がする。何か言いたげで、グッと堪えていた。これ以上ちょっかいをかけると、周囲の人間の注目を鷲掴みできるほど激昂しそうだ。さすがに、そのいかつい顔でそんな目をされれば、軽率な発言を控えざるをえない。


 天宮は屋根の外に出る手前で、俺に興味を失ったように目を前へ向けた。閉じた傘を開き、雨音の激しい中庭を歩いて行った。


「随分と嫌われたものだな」


 俺の小言はあの男に届くことなく、豪雨にかき消された。

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