雨村梨香 ⑰
怨返しの呪いにびくびく怯えることもなければ、雨村梨香から憎まれる心配もいらなくなった。清々しい気分で五月二十九日の月曜日の朝を迎えた。
俺は大学の最寄り駅を降り、軽い足取りで大学へ向かった。目を閉じて歩けるのではないかと錯覚するくらい、平和な通学路。心地よい陽射しの温もりを浴びながら、時折、爽やかな涼風が頬をなでる。
しかし、平穏な朝の時間は長く続かなった。そう、聞き覚えのある男の声が聞こえるまで。
「おう、阪城」
男から俺の名を呼ばれ、軽かった足取りが一気に重くなった。
俺に声をかけてきたのは天宮だった。彼は俺の足並みに合わせて馴れ馴れしく隣に並んできた。金髪、長躯、強面の三つの要素が揃っているこの男と、朝から通学するのはどうも落ち着かない。
天宮は無地の白いTシャツの上に、袖をまくったジージャンを着ていた。ズボンは細身の黒いパンツである。インターネットで検索すればありそうな、キレイ目のメンズのコーディネートだった。
今日は一人静かな大学生活を過ごせると期待していたのに。どうやら、一度築いてしまった人間関係は簡単に切り離せないらしい。
俺は観念して挨拶を返す。
「おはよう、天宮」
俺の対応に何か問題があったのか。天宮は眉をひそめて俺の顔を覗き込んできた。
「おいどうした、朝から暗い顔して?」
原因はまさにお前だ、なんて小心者の俺には言えない。
「元からこういう顔だけど」
「そういえば、そうだ」
何の忌憚もない即答だった。俺はそんなに人から心配されるような顔をしているのだろうか?
「唐突だが、世の中って不平等だな」
「ホントに唐突だな。どうした?」
苦手意識のある人間からいきなり、この世の不条理を話されても言葉に詰まる。一笑に付せばいいのか、真摯に耳を傾ければいいのか。相手が求めている言葉がわからず沈黙で待機する。
「お前みたいに不景気な顔をしているやつもいれば、人生を謳歌してるやつもいる。見てみろよ、あれ。朝からいちゃつきやがって」
天宮の視線の先を辿ると、見知った顔が二人いた。彼が不平等だと言った意味が何となくだが理解できた。
大学に向かう青年たちの群れに混じり、末治英雄と雨村梨香が談笑しながら足並みを揃えていた。肘と肘が触れ合うほどの距離。雨村はほとんど前を見ず、末治の端正な顔立ちを幸せそうに見上げていた。末治はというと、本心からなのか上辺だけなのかわからない、薄っぺらい笑みを浮かべて彼女に応対していた。
なぜ、あの二人が一緒に登校しているのか大体の予想はつく。雨村がたまたま末治を見かけ、愛想を振りまきながら近づいて行ったのだろう。末治から雨村に近づくとは考えにくい。
「高校時代からは考えらない光景だ」
「えっ、どういうこと?」
天宮があの二人を見て、なぜ高校時代の話を展開するのかわからない。
「あの背の高いイケメンいるだろ。小さい女を連れて歩いている」
「末治のこと?」
「お前、末治のこと知ってたんだな。いつからあいつと知り合いなった?」
「一ヶ月くらい前かな」
正確には三週間前に出会い、突然、一方的に呪いをかけられた。それは別に言い直さなくてもいいか。話がややこしくなる。
「じゃあ阪城は、高校時代の末治を知らねぇんだな?」
「まぁ、うん。天宮は一緒の高校だったのか?」
「あぁ。あいつ、昔と今じゃあ全然違うぞ。大学デビューのお手本みたいだ。高校の時はメガネかけてたし、クラスで孤立もしてた。それにいじめも受けていた」
「いじめ? あの末治が?」
「今じゃあ、信じられねぇだろ。女を連れてにこにこしているようなやつが」
天宮から聞かされた情報に驚く。俺の知る末治英雄は、学級で浮くようなやつではない。初対面の相手に物怖じしない社交性があり、人の不幸を陰で嘲笑する嗜虐心はあっても、人を本気で敵に回すような愚行は犯さない。人の過去には色々あるが、あの優男が高校時代にクラスで孤立し、いじめを受けていたと聞かされてもにわかに信じがたい。
朝から末治の意外な過去を知った日だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます