雨村梨香 ⑭
俺の金曜日のルーチンは、三限目の講義が終わり次第すぐに一人で帰宅となっている。しかしこの日は、俺の隣に雨村梨香が並んでいた。美女と足並み揃えて歩けるのは鼻が高いが、彼女は無言で無愛想なので心が浮き立つ下校にはならなかった。人を上手く突き放すほど人付き合いに慣れていたら、こんな想いをすることはなかったのに。
休み時間中の中庭。雨村の短い歩幅に合わせてゆっくり歩く。お昼を食べたあとだからか、彼女は授業中に頬杖をついて午睡していた。その睡眠が引きずり今の彼女は寝ぼけていて、用件をなかなか切り出さない。マイペースな女だ。
彼女の眠気覚ましになればと思い、気になっていたことを尋ねてみた。
「訊きたかったことがあるんだけど、何で花月のこと嫌いになったんだ?」
「別に嫌いなわけじゃない。ただ、私の隣に並ばれると困るだけ」
理解に苦しむ回答だ。彼女の足らない説明を、自らの質問で補っていく。
「困るってどういうこと?」
彼女からの返答はない。寝起きの少し赤くなった目で、俺を
「アンタだから言うけど、私は別に花月のことが嫌いじゃない。性格も良いし、話も合う。女には裏表があるって言ったけど、あの子にはそんなものない。純粋で、実直で、綺麗な人間だと思う。目くじら立てても、おおよそ非の打ち所がない。あえて短所を挙げるなら、真面目すぎることぐらい」
南場花月という人間に賛辞を並べているのに、彼女の声や表情からは苦渋が漏れている。地に俯き、声に覇気がないのは、寝起きのせいだけではないだろう。
「そんな花月のどこが嫌になった?」
「それを聞いてどうするの? また花月にチクる?」
「いや、どうもしないけど」
少し冷たかったかな。言ったあとで後悔した。捉えようによっては、
彼女は苦笑した。楽しむでもなく、
「私と花月、どっちの方がかわいい? もしくは、彼女にしたい?」
唐突の質問に隠された意図がわからず、返答に悩んだ。
南場花月と、雨村梨香。どちらが女としての魅力が勝っているか。
タイプは違うが、二人とも美女であることに変わりない。花月は、年相応の大人の色香がある。包容力があって頼りがいある女性。対して雨村は、身長が低く童顔であることから、愛らしい少女といった印象である。裏表はあるが、特定の異性には愛嬌を振りまきかわいがられる。
甲乙つけがたい二人の美女のうち、どちらを選ぶか。難しい選択にも思えるが、長い時間をかけて熟考するまでもなく、答えは出た。
考えた仕草を彼女に見せてから、俺は言った。
「俺は雨村の方がかわいいと思う」
「嘘はいいから。私に気をつかわないで」
雨村は俺が言うことを予知していたかのように言い返してきた。彼女の目はもうちゃんと開いていた。
「何で俺が嘘をついたと思う?」
「何で、って聞き返してくるのがその証拠」
心を見透かされたような気分であまりよろしくない。そんなにわかりやすく嘘をついたつもりはなかったはずなのに。彼女の目をちゃんと覗き込み、自信を持って声に出した。だが、いともたやすくリップサービスが看破された。
南場花月と雨村梨香。どちらの方が美人かと問われれば、俺は花月と答える。
容姿は傷つけるのがもったいないと思うほど綺麗で、性格も温厚で、素行も悪くない。良い人間の定義というものはよくわからないが、もしそんなものがあるとすれば、花月はそれに一番近い理想的な女だと思う。
一方、雨村のかわいいは、学校のクラスメイトに一人や二人いるような、平凡な美の域に留まっている。花月のような全国級、あるは何十年に一人とされる美貌ではない。雨村のどこが劣っているのではなく、花月が群を抜いているのだ。
「私もわかってるから。花月と私を比べたら、どっちがかわいいかなんて」
「花月の方がかわいかったら、何か問題あるのか?」
「おおあり。アンタ、これまで生ぬるい人生送ってきたんだね」
雨村の人を見下した発言に、早くも免疫が付いてしまった。傷心の実感がなく、冷静に彼女の言葉を受け流すことができた。
「アンタもこんな経験ない? 自分より外見とか、勉強とか、運動神経が良い人と、自分が見比べられた時に感じるもの。何とも言えない腹立たしさであったり、言葉で言い表せない悲しみであったり。一言で言えば、劣等感なんだけど、アンタにはわからない?」
俺は何と言えばいいのかわからず、返事に窮した。
劣等感に悩んだことがないから、言葉を返せなかったわけじゃない。逆だ。彼女が抱く劣等感の種類は違えど、俺もどうして他者と比べて上手くできないのか悩んだことがある。気持ちがわかるから、安易に共感して見せかけの理解者になりたくなかった。わかってもないのにわかった風になって説教をされると、その人の声も聞きたくないほど
雨村にそこまで言われると、花月を避けていた理由がわかった。そして、訊いても簡単に理由を話してくれなかったのも。
雨村梨香は、南場花月に強い劣等感を抱いている。容姿であったり、人望であったり、能力であったり。具体的に一つに絞れないほど花月と自分との差を嘆いている。いつからそれを胸に潜めていたのかはわからない。だが、昨日や今日の話ではないだろう。花月を避けるようになったのも、ストレスに押し潰されないよう心の平穏を保つために取った行動に違いない。
プライドの高い雨村だから、花月を遠ざける本当の訳をはぐらかしていたのだろう。訳を話してしまえば、自分で花月に劣っていると認めてしまうようなものだから。言って楽になることを、彼女の誇りが許さなかったのかもしれない。
彼女の気持ちを知らなかったとはいえ、俺は酷いことをした。悩みの元凶を引き連れ、しかも、彼女が好意を寄せていた男の前で、花月と見比べるような形にさせた。俺に文句の一つや二つ言いたいのもわかる。
「私は大学に入った時から、花月と付き合いがある。あの子と過ごす時間は悪くなかったよ、ホントに。楽しいというか、飽きないというか、ともかく、自分を正直に出せて。私みたいな女と違って、裏表がない愚直な子だったから。でも、あの子と一緒にいたら時々、辛くなる。私たちの間に男が入ってきたら、誰も彼も花月に夢中になるから。私も会話に参加するけど、どう頑張っても花月みたいなかわいい女の子になれない。いつも道化を演じてる。茶化して、茶化されて、場を盛り上げる。大学に入るまでは、お姫様のような扱いを受けてこの私が。ホント、屈辱だわ。それが段々嫌になって、耐えられなくなって、それで――」
「一週間前から避け始めた、と」
正門を出て大学の最寄り駅へと続く歩道を彼女と歩いていく。授業を終えた学生たちが周りにいて、俺と雨村の沈黙の間を埋めてくれるように話し声があちこちから聞こえた。
「アンタとこんな話がしたかったわけじゃないのになぁ。今のは忘れて」
無駄話が過ぎたという風に、雨村はにべも無く言った。悲痛な表情を浮かべてそんなに語られては、忘れるなんて土台無理な話だ。
「昼休み話の続きをしよっか。昼休みの時にアンタを残した理由は二つ。一つは、アンタに花月の件で文句を言うこと。もう一つは、私のお願いを聞いてもらうこと。ちなみに、拒否権はないから」
「俺にできることなんてたかが知れてる」
「そんなに難しいことを頼みたいことじゃないの。誰にでもできる簡単なこと」
自信に溢れていたこれまでの彼女と打って変わり、伏し目がちにこう言った。
「私に、もう花月を会わせないで」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます