雨村梨香 ⑦

 残された俺たちの間には、いたたまれない空気ができた。俺と梨香の間は一席空いているが、一席分以上に距離が離れているように感じた。


 梨香は末治がこの場から立ち去り、すこぶる不満げな顔をしていた。いや、お気に入りの男がいた時は快活な女を演じていただけで、こっちが素の彼女なのかもしれない。


 二面性の激しいこの女に、花月のことをどう切り出そうかと思っていると、彼女の方から不機嫌に声をかけられた。


「何じろじろ見てんの? もしかして私に見惚みとれてるわけ?」


 こいつの変わり身ホントすごいな。


「ごめん、別に変な目で見ていたつもりじゃないから」


「まぁ、私はかわいいし、目が奪われるのも仕方ないけど」


 その溢れんばかりの自信を、少しは俺にも分けて欲しい。

「えっ、と、佐々木ささき君だっけ?」


 誰それ? 『さ』の部分しか合ってないんですけど。


「阪城」


「あぁ、そうそう、阪城君。アンタってさぁ、末治君とどういう関係なの?」


「加害者と被害者の関係」


「はぁ?」


「何でもない」


 梨香に怨返しの呪いのことを説明したところで、白眼視されることは容易に想像できる。末治が呪いをかけた加害者で、俺が呪いを受けた被害者と言っても、どうせ伝わらない。あまりに非現実的で、作り話の設定みたいなことだから。


「互いのことを深く詮索しない、知人みたいな関係かな」


 俺と末治の関係性を上手く言い表せないので、世間でありふれた関係性の一つを答えておいた。少し語弊があるかもしれないが、嘘は言っていない。


「そこまで仲良くないんだ。ふーん、まぁ、いっかぁ……」


 俺に対して言ったというより、独り言に近い小さな声で言った。梨香はカウンター席のテーブルに頬杖をついて、高慢に言ってきた。


「末治君のこと、知っている限りでいいから私に教えて。女の子の好みとか、趣味とか」


 彼女の不遜な態度に文句の一つでも言ってやってやろうかと思った。俺はお前の使用人じゃない。ただ、ことなかれ主義の臆病な俺は、思ったことを心にとどめておく。


「それはいいけど、ただ、俺も梨香に訊きたいことがある」


「ちょっと、誰の許可を得て私の下の名前呼んでるの? 初対面なのに図々しくない?」


 気軽にファーストネームで呼んでと言ったのは、どこの誰だったんですかね。


 梨香―いや、雨村と言葉を交わす度に、末治との扱いの差に不満が溜まっていく。俺は彼女の呼び方を訂正して、言い直した。


「ごめん、俺も雨村に訊きたいことがある」


「別にいいけど、先に末治君のこと聞かせてよね。レディーファーストでしょ」


 俺に対してどこまでも厚かましい女だ。ボランティア部の女が、雨村を口さがなく罵っていた理由がわかる。この女は、人によって態度をころころ変える。


 言い返したい言葉を飲み込み、彼女の求める情報を開示した。


「俺から見た末治の第一印象は良かった。表情豊かで、礼儀正しい。雨村も見たからわかると思うけど、ルックスも良くて身長が高い。身に付けているものも清潔感があって高価な物ばかり」


 末治英雄という男は、おおよその女子が抱く理想の彼氏の外見を体現したかのようなやつだ。ただ、見た目に非の打ち所がなくても、性格は歪んでいるが。


「ただ、俺はあんまり好きじゃないけど」


「何で?」


「性根が腐ってるから。俺が不幸な目に遭うと、平気で楽しそうに笑うし」


「ふーん、例えば」


「俺の顔にビニール袋が飛んで来た時とか、イスが壊れて思いっ切り尻餅をついた時とか」


「……それって、アンタがマヌケなだけでしょ。その場に私もいれば笑ってるし」


「いや、違う。俺が不幸な目に遭う原因は、そもそも末治にあって――」


「意味のわからない責任転嫁はよくないと思うよ」


 そろそろ泣いてもいいですか?


 怨返しの呪いのことさえ雨村が理解してくれれば、俺の言わんとすることに共感してもらえるはずなのに。だからと言って、おいそれと呪いの存在を認めてくれるわけがないだろう。こんな理不尽があっていいものなのか。世知辛い世の中だ。


「他に何か知っていることはないの?」


「他に? えっ、と……視力が悪くて時折メガネをかけてる。あとは、コーヒーをよく飲んでる」


「それ以外は?」


 雨村はまっすぐに伸びた細い髪を指でいじりながら言及してきた。彼女の質問に答えてやりたいが、あの男の容姿と性格以外は特に知らない。花月と同じ出身高校だったことも知らずにいたのだから。


 俺は声を落として言った。


「それ以上は何も……」


 ツインテールの女は大きくため息こぼした。はっきりとした言葉を用いず、まるで役立たずと責めるように。彼女からすれば思った以上に期待外れだったのだろう。


「末治君のことはもういい。それで、私に何を聞きたいの?」


 雨村に言われて、本来の目的を思い出す。彼女に失望されたことを悔やんでいてもしょうがない。


 俺は曲がった背筋を正して、花月のことについて触れた。


「雨村は、南場花月っていう女子を知っているだろ?」


「うん、それで?」


「雨村は何で、花月と距離を置くようになったんだ?」


 彼女の瞳孔が一瞬大きく開いた後、唇が弓形に曲がった。不自然な笑みだった。目から下は笑っているように見えるのに、その目は全然笑っていない。


「別に。距離なんか置いてないけど」


「雨村はそうでも、花月はそう思ってないみたいだぞ」


「気のせいだって。今度会った時、私から伝えとく。別に避けてなんかいないって」


 ぎこちなく改めた態度。それは何かあると、自白しているようなものだった。しかし、安易に彼女の胸中を探ろうとすれば、言い知れぬ報復ある。彼女からそんな重圧が放たれていた。


 掘り下げるべきか。踏み止まるべきか。どちらが呪いを返せる最短ルートになるだろうか。


 俺は慎重に、後者を選んだ。


「わかった、俺からも花月にそう伝えとく」


 雨村が、花月に何か思うところがあるのは間違いないだろう。粘り強く揺すれば、情報がこぼれたかもしれない。だが、雨村に恨みを買ってまで、俺が深く突っ込むメリットはない。そもそも、花月からは雨村を見つけ次第すぐに居場所を伝えて欲しいと言われただけだ。可能であれば、雨村から話を聞くというはずだった。


 花月と雨村の問題に、部外者の俺が口を挟むべきではない。関与してもいいギリギリのラインは、二人を会わせることまでだ。


 雨村は、俺がこれ以上突っ込んだ話をしてこないと察すると、作り物の笑みを引っ込めた。無愛想ではあるが、自然体の面持ちになった。


「アンタ、物分かりいいのね」


「諦めが早いだけだって」


 俺たちはそのあと、末治の連絡先を教えるために連絡先を交換した。俺の友達リストに、また新たなアイコンが増える。彼女のアイコンは、綺麗にメイクされたかわいらしい顔をアップで自撮りしたものだった。


 俺と雨村の会話が途切れる。彼女は右手でサンドイッチを食べながら、左手でスマホを操作している。誰かと一緒にいるというより、一人で時間を過ごしている体だった。俺のことなど、もはや眼中に入っていないのだろう。


 雨村の居場所さえわかれば、これ以上彼女と一緒にいても意味はない。この微妙な距離を保ったまま、二限目の講義が終わるのを待つのは辛い。彼女を見失わない程度に、少し離れたところで見張っておこう。


「それじゃ、俺はこれで」


 そう言うと、彼女はサンドイッチを咀嚼しながら振り向き、「んっ」と返事をした。せめて言葉を喋ってはくれないだろうか。俺の扱いがぞんざいになっていく。


 俺は購買を出て、通行人の邪魔にならない階段の近くに立った。ここにいれば、雨村が場所を変えてもすぐに気づけて、柔軟に対応できる。花月に連絡できる時を、小説を読みながら待った。

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