雨村梨香 ⑥

 俺の前で階段を上る美男美女は、和やかに自己紹介をしていた。


「私、雨村梨香あめむらりかって言います。気軽に梨香って呼んでください。あなたの名前は?」


「僕は末治と言います。こちらは阪城公大さん」


「へぇー、末治君って言うんですか。下の名前は何ですか?」


「英雄と言います。英語で言うとヒーローです」


「えっ、マジで? 何それ、かっこいい。名は体を表すって言うけど、本当ですね」


「ありがとうございます」


 購買に繋がる階段を上りながら、梨香は積極的に末治に話しかけていた。用があって話しかけたのは俺なのに、末治とばかり話して盛り上がっているのはどうかと思う。


「末治さんって、今何回生ですか?」


「二回生ですよ。今年で二十歳になります」


「えぇーそうなんですか。じゃあ、私と同じですね。私も二回生なんですよ。歳も一緒だし、堅苦しい敬語はなしで喋りませんか? 敬語使うと、何か距離感ありますし」


「もちろん、雨村さんは構いませんよ。ただ僕は、この堅苦しい言葉遣いに慣れているので」


「へぇー、育ちがいいんだね。末治君がそう言うなら敬語でもいいけど、いつかはもっと砕けて喋って欲しいなぁ。それと、雨村じゃなくて、梨香って呼んで。さん付けでもいいから」


 梨香は軽快なトークで、末治との距離をどんどん詰めていく。末治の何気ない話を一つ聞くにしても、彼女は大きくリアクションを取るので明るい空気が醸成じょうせいされた。そして、この短時間でもう親しき友人のような感覚でコミュニケーションを取っている。花月が彼女のことをおもしろい女子だと評したのも何となく理解できた。


 ただ気になるのは、先程から俺と目も話も合わしてくれない。俺の存在を眼中に収めていないようだった。


 お互いのことを簡単に紹介し合っていると、購買に着いた。梨香は朝食がまだだったようで、サンドイッチとアイスココアを持ってレジに向かった。


 俺はというと、まわしき呪いのせいで末治の財布となり、冷えた缶コーヒーを購入した。『あなたは恩を返し終えました』というメッセージをスマホの画面で確認し、とりあえず安堵する。


 中庭を見下ろせるカウンター席に座った。左から順に、梨香、末治、俺、という席順だ。この並びでは、梨香と末治の二人だけで話が盛り上がってしまいそうだった。事実、購買に来る道中、俺は一言も話していない。


「末治君って、彼女いるの?」


 ストローから口を離して、梨香が言った。ただの世間話か、それとも、何か含みがあっての問いかけか。俺にはわからない。


「残念ながら、ご縁のある方はいません」


「えぇー、ウソ。絶対モテそうなのにー。何もしなくても女の子の方から言い寄って来るでしょ?」


「何度かそういったお話はいただきましたが、気持ちに応えた女性はいませんね」


「でも、特別親しい女子が一人いるよね?」


 梨香のその物言いは、質問というより、確認に近かった。彼女には何か根拠があるのだろう。彼女は続けて言った。


「末治君と話すのは今日が初めてだけど、実は前々から何度か見かけたことがあるの。やたらとかっこいい人がいるなって」


 確かに、末治の優れた容姿は注目されていてもおかしくない。女からすれば、末治の外見は目の保養だろう。腹黒さに目をつぶれば、学園一の美男と誇ってもいい。


「南場花月。もちろん、末治君は知ってるよね? ときどき、一緒にいるし」


 意外な形で花月の名前が出てきた。これまで考えたこともなかったが、花月と末治の間には繋がりがあったのか。


 末治はコーヒーを一口飲んだあとに、爽やかな微笑を作って答えた。


「出身高校が同じだったので、たまに立ち話をしているだけですよ」


「本当にそれだけ?」


「はい」


 末治が事もなげに答えると、梨香は再びストローに口を付けてアイスココアを吸った。明るかった表情を引っ込め、窓外の景色、あるいは少し先の将来を見つめるような、ぼうっとした顔になった。


 物思いにふけっていた彼女は、再び人当たりの良い笑顔を作り直して言った。


「なら、私にも可能性があるかな?」


「何の可能性でしょうか?」


「私と末治君が、付き合える可能性」


 これが噂に聞く肉食系女子か。……というか、俺の存在を完全に忘れているだろ、これ。


 上目遣いで挑むような梨香の姿勢は、勇ましく、それでいて蠱惑こわく的だった。


「ゼロではありませんね」


 さすが、イケメン。梨香の大胆な告白を、軽く受け流した。一般男子なら今の一発で心を鷲掴みにされているだろう。俺なら、心が揺れに揺れまくっている。この美男、女への耐性が半端なく強い。


「すいません、僕はこのあたりでおいとまさせてもらいます」


 末治は腕時計を見て言った。席から立ち、空になったコーヒーの缶を持った。


「えぇー、もう行くの? 何か用事でもある?」


 駄々をこねるように梨香が末治を引き止めた。彼女はきっと甘え上手なのだろう。わがままを言っても、不思議と嫌な気分にはならなかった。


「はい、私用がありまして」


「私も付いて行っていい?」


「申し訳ございません、雨村さんのお言葉は嬉しいですが、一人で行かなければならないので」


 理由は不十分だが、きっぱりとした拒否。しかし、末治の言い方が優しく丁寧だったので、梨香は気に病むことなく引き下がった。


 末治に同行するのは断念したようだが、彼との関係をここで終わる気はないようだった。


「あっ、待って。今日会ったのも何かの縁だし、連絡先だけでも交換しない?」


「すいません、予定が押しているので。どうしてもということであれば、阪城さんからお聞きください」


 そう言って末治は、早足で購買を後にした。

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