雨村梨香 ④

 花月とは食堂の建物の前で別れた。授業に向かう彼女から一声かけられる。


「それじゃ梨香のことよろしく」


 彼女は俺に手を振って、大学の中心に建つ八号館へと向かった。俺は「できる限り頑張る」と、頼りがいのない返事をして見送った。成功より失敗を第一に考える俺には、何かを断言するということをあまり好まない。


 花月に恩返しをする手段は見つかった。元ボランティア部の梨香を見つけ、花月と対面させる。梨香から花月を避ける理由を聞き出せれば、なお良し。


 目指すべきゴールは見えた。問題は、そこに到達するまで道筋だ。学校に来ているのかもわからない相手を、どうやって見つければいい? 闇雲に学内を歩き回り、奇跡的な邂逅かいこうを望めるわけもない。以前、天宮を探していた時にそれは学習していた。無計画に捜索したとこで、思うような成果が挙げられないと。


 梨香を探す手立てを考えていると、中庭から学生の姿が減っていき、さびれた景色になっていた。腕時計を見ると、二限目の講義開始時間が迫っていた。花月が次の時間の講義に間に合っていればいいのだが。


 花月を心配していた俺に、突如、背後から俺の名前を呼ぶ男の声が聞こえた。


「こんにちは、阪城さん」


 ぎょっとして振り返ると、男性ファッション誌に載っていそうな高身長の二枚目、末治英雄が歩み寄って来た。


 末治は第一ボタンを外した白シャツ上にベージュのカーディガンを重ね、細身のジーンズを穿いていた。清潔感があって、優しい印象を受ける。今日はあのマリンブルーのメガネをかけていない。


 俺はこの優男の接近に、不安がこみ上げ、表情が引き締まった。この男から訪ねられると、いつも不快な気分になるから。


「昨日、阪城さんから電話が来た時は驚きましたよ」


「俺の早とちりでした。よくよく考えてみると、恩を感じた人はちゃんといました」


「誤解が解けて何よりです。ところで、昨日、僕に電話をかける直前にどんなおもしろい――ではなく、どんな不幸に遭われたのですか。昨日は訊きそびれましたが、阪城さんが僕に電話をかけてまで抗議をしてきたのですから、余程のことがあったのですよね」


 またこの男は、答えにくいことを楽しいそうに聞いてくる。


「駅の構内でつまずいて転んだだけですよ」


「えぇー、本当ですか? 僕と目を合わしてくださいよ。ほら、ほら」


 こいつ、ウザさに磨きがかかってる。


 末治は瑞々しく端正な顔を近づけてくる。彼の吐息や髪の匂いが無臭だったので気持ち悪くはなかったが、ストレスは溜まった。


「別に何があったかなんて、報告する義務はないでしょ」


「いいえ、僕のかけがえのない楽しみが一つ減ります」


 それ、ただの私情だから。真顔で言うことじゃないから。


「まぁ、そこまでかたくなにおっしゃりたくないのでしたら、僕が勝手に想像を膨らまして楽しみます」


「妄想はご自由に」


 挨拶代わりに俺をおちょくる末治。さっさと、来意を告げて欲しい。


「冗談はこれくらいにしておきます。今日、阪城さんにお会いしに来たのは、依頼者のヒントをお伝えするためです」


 末治は、いかにも俺のためを想ってという物言いだが、正直、俺としてはそこまでヒントに拘りがなかった。


「あぁ、はい……。じゃあ、教えてください」


 どうせ今回もあってないようなヒントをくれると思うと、あまり嬉しさはない。


「では、ヒントです。阪城さんと僕の依頼者は、この大学に入学する前から会ったことがあります」


 別段、驚かされるような事実ではない。何となくそんな気はしていた。俺が大学に入学してから現在に至るまで、人から怨まれるような愚行に出た記憶は皆無と言ってよかった。何せ、人付き合いを極力避けて、好意も嫌悪も受けることなくひっそりと大学生活を送っていたのだから。


 俺に怨返しの呪いをかけたやつは、昔の俺を知っている。今よりも自分の意思がなく、周りに媚びへつらっていた小心者。そんな俺を蛇蝎だかつのごとく嫌ったやつが、呪いという形で復讐を果たしたのだろう。いや、正確にはまだ復讐の途中か。


「俺とその人は、いつ頃に、どのくらいの期間、会っていたんですか?」


「お答えしかねます」


 俺が知りたい肝心なところは伏せてくる。この二枚目は本当に嫌な性格をしている。


 一応、今日、家に帰ったら卒業アルバムをしらみ潰しに開いていくか。昔の写真を見れば、何か思い出すかもしれない。


 末治と向かい合って話していると、一人の女が食堂を目指して歩いているのを視界に収めた。授業が始まり広々とした中庭は、一人一人の顔と挙動がよく見える。そのせいか、俺たちの傍を通り過ぎようとする女を無意識に目で追いかけた。


 女はさらさらとした長い黒髪を、両耳の下あたりで結んでいた。いわゆるおさげという髪型で、別名、ツインテール。薄い生地のゆったりとした白いニットに、桜色のプリーツスカートを穿いている。南場花月の身長より硬球一つ分くらい低く、細々とした肢体。


 見目も動作もおかしな点は見当たらない、どこにでもいる女子大生。


 ただ、俺はその女に向けた視線をすぐに外せなかった。その女を見れば見るほど、俺の探し求めていた人物の外見に共通項が多かったからだ。


 その女の顔立ちは、ついさっき花月から見せてもらった写真の中の女と近似していた。全くのそっくりとは言えないのは、髪色の違いや一つ年を重ねて大人びて見えたからだろう。


「末治さん、ちょっと待っててもらっていいですか」


 末治の返答を待たず、俺はおさげの女に近づいて行った。まさか、こんなに早く、こんな所で出くわすとは。都合の良い奇跡に感謝した。


 不安と緊張、そして期待と喜悦が胸の奥で渦巻くのを感じながら、俺は女に声をかけた。

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