雨村梨香 ③

「ということなんだけど」


 花月から、あらましの事情を聞いた。


 腕時計をこっそり見ると、十時四十分過ぎだった。あと十分ほどで二限目の講義が始まる。一度は空寂くうじゃくの時が流れた教室も、学生が続々と空席を埋めていっていた。


「どうすれば、前みたいに仲良くできるかな? もし私に落ち度あるなら、昨日の天宮君みたいに謝って、これまで通りの関係を続けていきたいんだけど」


「情報が少ないから、俺の口からは今のところ何も言えないな。前にも同じようなこと訊いたかもしれないけど、もう一回、梨香の人柄を教えてもらっていい? できるだけ詳しく」


「人柄か……。何と言ってもおもしろい女の子ってことかな」


 今しがた情報交換アプリで見せてもらった文面を見ればわかる。たぶん、友達といる時は、周囲を盛り上げてくれる立ち位置なのだろう。


「それから、男友達が多い。女の子より多いんじゃないかな? よく男子と飲みに行くって話は聞いてた。見た目は私より小柄で、童顔。その日にもよるけど、長い黒髪をよくツインテールにしてる」


 ちょっと待ってね、と花月が言い、スマホを取り出して操作しだす。一分もしない内に、マナーモードにしていた俺のスマホが振動した。


「今、梨香の写真を送ったんだけど、見てもらっていい? 梨香の顔を知っていた方がイメージしやすいと思うから」


 花月にそう言われ、黄緑色のアプリを開き、花月から送信されてきた写真に目を通した。


 写真には、不自然に目が大きく、唇の色が濃い、二人の美女が並んで映っていた。二人は綺麗な白い歯を見せて破顔し、ピースサインを取っている。薄過ぎず、厚過ぎない、春らしいパステルカラーの装いだった。背景はピンク一色である。おそらく、プリクラで撮られた写真だろう。


 一人は知っている顔だった。淡いチョコレート色の髪をした花月だ。写真の中の花月は、今より髪が短く、髪先が肩に乗るくらいの長さだった。


 もう一人の女の顔は知らない。おそらく、梨香だろう。黒髪と聞いていたが、花月の隣にいる彼女はセミロングの茶髪だった。花月より拳一つ分くらい背丈が低く、ぱっちりとした目と小顔で、庇護ひご欲をき立てられる愛らしさがあった。


 見知らぬ茶髪の女は、十中八九、梨香で間違いはないだろうが、念のため花月に確認を取っておく。


「花月の隣に映っているのが、梨香って言う女の子?」


「うん」


「黒髪って聞いていたけど、写真の中に映ってる梨香は茶髪だよな」


「あぁ、えっと、一年くらい前に撮ったやつだから……」


 急にどうしたのだろう。


 花月は机の上に置いたスマホの画面を、落ち着かない様子で何度か目を落とした。俺の目には、一風、何も変わらない地図のアプリや検索アプリなどが整列しているホーム画面にしか見えなかった。バッテリーの残量が少ない気もしたが、そんなことでそわそわしないだろう。


「何かあった? 誰かから急な連絡が入ったなら、そっちの方を優先して」


 花月の異変を指摘すると、彼女は苦笑して心中を明かしてくれた。


「ごめん、そろそろ移動しないと次の講義に間に合わなくて」


 そうか、時刻を気にしていたのか。言ってくれれば早く切り上げたのに。


「ごめん、俺の話に長い間付き合ってもらって」


「ううん、そんなことないって。私の悩みを聞いてもらってるのに」


 俺たちは席を立った。教室に入ってくる学生たちとすれ違い、ほの明るい廊下を通る。足早に階段を下り、校舎から青く晴れ渡った空の下に出た。


 タイルの道を花月と移動していると、彼女から梨香の話の続きを振ってこられた。


「梨香のことなんだけど、もし見かけたら私に連絡してもらっていい? どこにいるのかわかれば駆けつけるから」


「連絡するだけでいいのか?」


「できれば、何で私のことを避けてるのか聞いてて欲しい。直接会って聞くのが、一番いいんだけど、なかなか顔を合わす機会がなくてさ」


「わかった」


 簡単に承諾したものの、梨香を見つけることができるのだろうか。在学生が千人以上もいる学び舎で、特定の一人と出くわす確率は極めて低い。とは言え、俺に怨返しの呪いをかけた依頼人を探し出すよりかは、性別も顔も知っているぶん難易度が下がるが。


「それと、昨日はごめんね」


「昨日?」


 花月は何に対して謝っているのだろう? 全く見当がつかない。


「昨日、公大だけ電車乗れなかったでしょ」


 彼女にそう言われて、昨日、プラットホームで転倒した際の痛みを思い出す。雨で足元が濡れて滑りやすくなっていたとはいえ、まさか、エスカレーターを上った所でこけるとは。第三者から見れば滑稽な姿だったろう。


「それは俺が勝手にドジ踏んだだけだから」


 俺の慰めに耳を貸さず、彼女は辛そうな顔をして首を横に振った。


「そもそも私がきっかけだし」


 そういえばあの時、駆け込み乗車をしようと言い出したのは、花月だった。でも、そんなことで責任を感じる必要なんてない。何でも自分で解決して、背負おうとする彼女の悪い考えだ。俺が勝手に彼女の提案に乗っかって転び、電車に乗り遅れただけなのに。


「怪我もなかったし大丈夫だって」


「でも……」


「本当に大丈夫。そうやって心配してくれるだけで嬉しい。天宮なんて、何も連絡くれなかったんだから」


 俺が何度も大丈夫だと言い聞かせると、彼女は何とか納得して顔をほころばしてくれた。

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