幕間

幕間 ②

 痛みに慣れる。


 どこかで聞いたことのあるフレーズだと彼女は思った。それは、日常的に痛みを受けることで、次第に感覚が麻痺していき、ついには脳から送られる危険視号がなくなること……。もし、痛みに慣れる、というのがそのような意味で周知されているのだとしたら、それは解釈が間違えていると彼女は主張したい。


 痛みを感じなくなることなんてありえない。痛みに慣れると言うのは、多少の恐怖がやわらぐこと。何をされて、どのくらい痛いのかという感覚を知っていれば、想像を膨らまして必要以上に怯えることはない。それが、痛みに慣れるということだ。


 連日に続き今日も、彼女は級友の男の子のたちから人より少し肉付きのいい身体を笑いものにされていた。悪口に耐性がつくほど彼女の心は鈍くなく、目に見えない傷が増えていく。まだ他者の気持ちにうとい年頃の男の子たちに、そんな彼女の傷心など知るよしもない。


 いつまでこんなうんざりした気持ちにさせられるのだろう。小学校を卒業するまで? 大人になるまで? それとも、生涯を通して?


 これからの人生、自身の体型は周りから揶揄やゆされるのを甘受するしかないのか。そんな諦念が彼女に去来していた時だった。


「そのネタ、いい加減にしとけよ。そろそろ飽きた」


 男の子たちのせせら笑いを黙らせたのは、一人の少年だった。


「お前らがからかってる女子、無理して愛想笑いを浮かべて困っているだろ。お前らのいじめが先生に見つかって、怒られても知らねぇぞ」


 少年の非難めいた説教に、彼女をからかっていた一人の男の子がおどけて応えた。


「お前は、このデブ女の恋人気取りか?」


「いや、ヒーロー気取りだけど」


 少年の目的がまるでわからない。けれども、自分をかばってくれているということは、彼女にも理解できた。


 少年の介入によって興が冷めたのか、彼女をデブ呼ばわりしていた男の子たちは離れていった。彼女が悩んでいた問題は、いとも簡単に一人の少年によって取り除かれた。


 彼女は少年にお礼を言おうとすると、彼はすでに日頃から懇意こんいにしている友人たちの元に戻っていた。彼女は積極的に自分を表現する子どもではなかったが、不義理な子どもでもなかった。助けてもらったことをたなから牡丹餅ぼたもちで済ますことなく、少年に近づいて感謝の言葉を述べた。


 彼女の謝意を受けた少年はおごることなく、事もなげにこう答えた。


「自分のためにしただけだから」


 その時の彼女には、彼の言わんとすることを推し量ることができなかった。

 

 だが、後で級友の女の子から聞いた話によると、彼女を助けてくれた少年たちの間で妙な遊びが流行っていたらしい。困っている人をより多く援助できた人が勝ちという、ボランティア精神に溢れた遊戯。


 彼女を救ってくれた少年も、その遊びでポイント稼ぎをするためにした打算的な善行にすぎなかったのだろう。友人たちより多くの人を助けることで、優越感に浸りたかったに違いない。


 少年の行いは単なる偽善だった。少年が言った通り、彼女のために動いたのではなく人から認められたいという欲求があったからこそ彼女を助けた。


 ただ、彼女は悲観しなかった。どころか、少年の利己的な正義を建設的に受け止めた。


 自分もあの少年のように、人助けをして自己満足に浸りたい。そんな正しいことのできる人間になりたいと、彼女は強く思った。


 その日から、彼女という人間は少しずつ変革していった。少年が見せた、偽りの正義に憧憬しょうけいを抱いて。

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