天宮満 ⑰
言葉が浮かばなかった。誰かに恩を受けた記憶がない。
末治からそのメッセージを受け取ったのは、天宮の恩を返し終えた二分後のことだった。ちょうど、三人で下校していた最中。
理不尽な呪いの始まりに納得がいかず、思わず末治に電話をかけた。文章で連絡を取ってもよかったが、一刻も早くあの美男の口から納得のいく説明を聞きたかった。
コール音が四回鳴ったあと、やつに繋がった。
『もしもし、末治です。どうされたのですか? 阪城さんから電話をくれるなんて』
悠長に喋る末治の声が聞こえた。俺は顔の見えない美男に、機嫌を損ねない程度に文句を言った。
「どういうことですか、末治さん。全く身に覚えがないのに怨返しの呪いがまた始まって、ひどい目に遭ったんですけど」
詰問調の俺に、末治からなだめる声が返ってきた。
『落ち着いてください、阪城さん。呪いついて不可解なことがあればちゃんとお答えしますから』
俺の声色が
『阪城さんにかけた怨返しの呪いの発動条件は、覚えていられますか?』
「人から恩を受けることですよね」
『おっしゃる通りです。僕がいくら阪城さんの醜態を見たいと望んでも、人から恩を受けない限り呪いは発動しません。逆に、阪城さんが人に感謝するようなことがあれば、呪いは発動します。つまり、阪城さんは人から恩恵を受けていない、と主張されていますが、無意識の内に誰かに恩を感じているのだと思われます。もう一度、ご自身の気持ちを確かめていただけますか』
極めて冷静に、丁寧な対応をされた。まるで、数々のクレームをさばいてきたコールセンターのスタッフのようだ。あまりに落ち着いて対処されると、臆病な性分ゆえに、自分に何か見落としがあったのではないかと自省する。
末治に少し待ってもらい、数分前の出来事を思い返してみた。だが、やはり花月と天宮と談笑した記憶しか覚えていなかった。
「誤って呪いが起きた可能性はないんですか?」
『ないです。もしそのようなことがあれば、依頼者の期待を裏切ってでも、僕はあなたの怨返しの呪いを解くと約束します』
人の不幸は蜜の味と標榜する末治だが、いい加減なことを言うやつじゃない。言えないことがあれば偽ることなく、正直に言えないと申告する人間だ。それに、自分の手違いで呪いが始まったのなら、怨返しの呪いを解くと断言したのだ。発動条件の精度にかなりの自負があるのだろう。
ということは、理不尽に呪いが再び起きたのではない。ちゃんとした理由があって、新たに呪いが始まったのだろう。知らず知らずのうちに、俺は数分前に誰かから恩を感じている。誰に、何に対して感謝したのだろう?
『僕から呪いの始まりを知らせるメッセージが届いた時、誰かいましたか?』
「花月と、天宮がいました」
『天宮、という方は誰ですか?』
「先週の水曜日に、昼飯代を払ってもらった俺の恩返し相手です」
『その方には、もう恩を返されたのですか?』
「はい」
『そうですか。そういえば、四時過ぎに、一度呪いを終わらしていましたね。そのあとすぐに、また新しい恩を受けて呪いが始まりましたが』
「その新しい呪いのきっかけとなった人物がわからないんですよ」
『なるほど。ところで、花月さんはなぜ、阪城さんと天宮さんと一緒にいたのですか? 阪城さんと天宮さんが一緒にいたのは、恩返しのためだとわかりますが』
「天宮の恩返しのために、花月が必要だっ――あっ」
そうか。そういうことか。
『急に黙り込んで、どうかされましたか?』
「お手数おかけしました。次の恩返しの相手がわかりました」
次の、と言うと正確ではないかもしれない。また、と言った方がおそらく正しい。
俺は末治に、電話に出てもらったお礼を言って、通話を切った。耳元に当てていたスマホのホーム画面を見て、ため息をこぼした。
天宮の抱えた悩みを解決するにあたり、花月の助力なくしては不可能だった。そう考えると、俺の呼び出しに応じてくれた彼女には感謝していた。呪いを終わらせるために彼女の協力を要請したのに、また呪いが始まってしまうのでは本末転倒だ。
「どうしたもんかな……」
今しがた、電車が出発してひっそりとしたホーム。俺はそこで、灰色の空を見上げながら呟くのだった。
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